第24話 泣き虫な貴方

「わたくしとセリオル様は幼い頃からお似合いだって、言われているのよ。美男美女の侯爵夫婦になるだろうって。当然よねずっと一緒だったし、わたくしもいつプロポーズされるか楽しみにしていたの」


 思い出話を始めたミディアムがすっと目を細める。


「だからね、セリオル様に秋波を送る者は排除しなければならないでしょう? でもただ排除するだけでは面白くないじゃない」


 ミディアムは令嬢達がセリオル様を憧れの目で見るだけでも気に入らなかったのだ。だから、ただセリオル様に憧れているだけの子達に趣味の悪い茶番を嗾けて貶め嘲笑っていた。

 彼女達に「セリオル様は貴女を気になさっているわ」とでも囁けば、ミディアムの思う通りに動いてくれたのだろう。

 彼女達がセリオル様の好みになろうと努力する姿を嗤った。でも、彼女達が頑張れば頑張るほどミディアムは嫉妬し、嫉妬というスパイスが加わる事で募らせた憎悪を嫌がらせの形で昇華させていた。


「身の程知らずって怖いわあ。美人でもない身分も低い女なんて美しいセリオル様が気になんてするはずないのに。ふふっ、私だって嫌だったわよ? 嘘でもセリオル様があんな子達を気にしているなんて言うのは。セリオル様にふさわしいのはわたくしだけなのに」


 自分で嗾けておいて忌々しいと吐き捨てるミディアムが醜く笑う。

 

「でも、貴女だけは無駄な努力なんかを続けていつまで経っても身を引かなかった。わたくしの思い通りにならないなんて⋯⋯本当に邪魔な女ね──シュリン!」


 ミディアムにグイッと喉を持ち上げられたセリオル様から呻き声が漏れて周りから悲鳴が上がった。


「や、め⋯⋯ろミディアムっ」

「いやですわセリオル様。私をミディと呼んでくださらないなんて⋯⋯らしくないですわ」

「お、れは⋯⋯シュリンを愛している、と、何度も言ったはず、だ」

「ふふっ、わたくしを嫉妬させる為の演技だとわたくしは分かっていますわ。セリオル様があんな平凡で地味な女を選ぶはずがないもの。だからわたくしの為に婚約破棄したのでしょう? 絶望したシュリンを見に来たのよ」


 ミディアムがうっとりとした表情で頬を染めた。その顔は恋する乙女そのものだけど、内容は最低だわ⋯⋯。


「ああ、なんて可哀想なシュリン! どんなに頑張っても報われないのよ。どんな気持ちなのかしら。わたくしなら耐えられないわ」


 クスクスと笑うミディアムに向けられている視線は軽蔑と恐怖。そして嫌悪だ。誰も彼女を慰めないし、誰も同情していない。

 ──可哀想な人だ。

 スカラップ侯爵家に連なる侯爵家に生まれたミディアムは幼い時から何不自由なく蝶よ花よと育てられ、欲しいものは何でも手に入れて来たのだろう。だから人の心までも手に入れられるのだと勘違いをした彼女は自分の傲慢さを全く理解していない。自分が他人より優れた人間であると信じ切っている。

 だからこそ、酷い事を平然とやってのけられる⋯⋯ううん、彼女は酷い事だなんて思っていないのよ。


 ずっとおかしいと感じていた。微妙に成り立たない会話、物事を自分の都合の良い方向に受け取り、他人の感情など一切考慮しない行動。ミディアムは人として壊れてしまっている。


 ──それほどまでミディアムは「薬」に飲まれてしまっているのね。


「さあセリオル様、参りましょう。お父様とおじ様に結婚の報告をしませんと。わたくしに相応しい式を盛大に挙げて身の程知らずな者達に見せつけてあげましょう」

「良い加減にしろ! 俺はお前を好いてはいな、いっ」

「ふふっ照れていらっしゃるのね」


 殿下と殿下の護衛が隙を窺っているけれど誰も動けないままの、会話が成り立っているようで微妙にズレているミディアムの独壇場だった。


「セリオル!」

「ミディアム! お前はなんて事をしている!」


 うっとりとしながらミディアムが喉元にナイフを添わせたままにセリオル様を立たせた時だった。


 騒ぎに駆けつけたスカラップ侯爵様とフィレ侯爵様の姿を視認したミディアムが頬をほころばせてセリオル様の腰に絡めている腕とは反対側、ナイフを持っている腕を広げた。


「お父様、おじ様! わたくしセリオル様と結婚しますわ!」


「えっ!? シュリン嬢!?」

「ちょっとシュリン!」


 今しかないの!


 私はミディアムが一人で話している間に少しずつ距離を詰めていたのよ。

 殿下の護衛は殿下の身を一番に守らなくてはならない。つまり、殿下の指示が出てからしか動けない。それでは一瞬の遅れが出てしまうから。


「なっ──!?」


 ミディアムは自分自身の事しか見ていない。周りを見ようとしていなかったのだから私に気付くのが遅れたのね。侯爵様達に微笑む表情のまま私に気付いた時には私はメデュから教わった事を思い返しながら深く踏み込み、全体重を乗せてミディアムに体当たりしていた。


 ──お嬢様、相手の動きをしっかりと見るのです──

 ──両足に力を込めてから身体を屈め、体重を乗せて相手の懐に飛び込むのです──


 ミディアムは蝶よ花よと育てられた侯爵令嬢だった。ダンスの為の体幹は鍛えられているだろうけれど不意の衝撃には弱いはず。

 片や私は一年間歩かされて来たのだ。

 悔しかったけれど、そのおかげで──足腰が鍛えられたのよ。


 ──腰が入った衝撃は身体が小さくとも力が弱くとも相手を怯ませられます──

 ──私でしたら、そのままボディブローを入れますけどね──


 メデュが教えてくれた護身術。私は体当たりするだけで精一杯だったけど。


「きゃあっ!」


 私の体当たりを受けたミディアムはセリオル様に絡めていた腕を放し尻餅をつく。


「拘束しろ!」


 殿下の声が響き、護衛にミディアムは取り押さえられた。


「シュリン嬢、無事だったから良かったものの⋯⋯なんて危険な事をするんだ⋯⋯」

「そうよシュリン、無事で良かった⋯⋯」

「心配かけてごめんなさい⋯⋯私、セリオル様をお守りしたくて⋯⋯習った事、上手く行ってよかった⋯⋯」

「ああ、君は勇敢だ。良い師匠がいるようだね」

「凄いわシュリン。是非私も教わりたい! ラルを守れるようになりたいわ!」


 そんな風に言われると恥ずかしくなる。

 もし、上手く行かなかったとしてもミディアムの意識をセリオル様から私に向けられるし、その間に殿下の護衛がセリオル様を助けてくれると思っていたの。

 上手く行って良かった⋯⋯本当は怖かったのだけれど。


「し、シュリン⋯⋯?」

「セリオル様、ご無事で何よりです」


 あまりにもなお転婆に幻滅されたかも知れない。けれどセリオル様を守れて良かった⋯⋯。


「──王子様⋯⋯だ」

「⋯⋯は、ぃい?」


 セリオル様が私の手を握りながら碧色の瞳を潤ませ頬を染め呟いた。

 王子様⋯⋯とは?


「シュリンは俺の王子様だ!」

「はいぃ!?」


 セリオル様が叫ぶと周りから笑いと歓声が上がった。⋯⋯現金よね、私を嘲笑っていた人達なのに。


「嘘! こんなの嘘! あり得ない、あり得ないありえないありえないありえない! セリオル様はわたくしが好きなのよ! そうでしょう!? そうなのよ!」

「俺が愛しているのはシュリンだけだ」


 恐らくその言葉はミディアムに届いていない。だって拘束され連れて行かれながらミディアムは嬉しそうに頬を染めて嗤ったのだから。


「父上、アルバとミディアム「薬」の効果が強く出ています。急ぎパラミータとウェルダムの検査をして下さい」

「ああ、すぐに手配しよう」

「フィレ侯爵、まさかとは思いますが、親の情でミディアムを逃そうとはお考えではありませんよね。ミディアムの行いは厳しく処理を願います」

「⋯⋯ああ、勿論だ」


 ⋯⋯なんだろう、さっきまでお姫様のように囚われていたのに⋯⋯テキパキと指示を出すセリオル様。元々「顔」が良いけれど格好良く見えて、ドキドキする。


「シュリン、今やスカラップ侯爵家は筆頭貴族としての威厳は地に落ちている⋯⋯こんな事思いたくはないけれど、君との婚約を解消して良かったのかも知れない⋯⋯シュリンを巻き込んで申し訳なかった。心からお詫びする。これまで君にして来た事は⋯⋯ごめんで許されないだろうけど⋯それで⋯⋯」


 寂しそうな表情のセリオル様に胸が締め付けられた⋯⋯それにその先を聞きたくない。私は耳を塞ぎたくなっていた。


「君を守れない、情けない俺よりも⋯⋯相応しい男が君には──」

「身分も低く侯爵家には相応しくない私ですが、私はセリオル様が好きです。貴方に相応しくなろうと努力する事、苦痛ではありませんでした。それにセリオル様を守れた事、私は誇りに思います」


 聞きたくないから言わせない。

 あんなに好きだ愛していると言っていたのに他に相応しい人がいるだなんて、なんて残酷な嘘を吐くの? やり直しを始めたばかりなのにもう偽るの? 私達は偽る事を止めたのでしょう?


「どうか、セリオル様と歩ませて下さい」

「シュリン──っ、本当、に?」

「はい。私はセリオル様の「顔」が好きです。けれど、泣き虫なセリオル様がもっと好きなんです」


 私はあの日セリオル様から残酷な告白を受けたと思い込み偽り続けた。

 私からの告白は嘘偽りない本当のやり直しを始める決意表明。


 セリオル様の瞳からはらはらと雫が溢れる。本当に泣き虫ね。


「ありがとう⋯⋯っふうっ⋯⋯ヒック」


 嗚咽まで始まった。

 泣き虫が好きだと言いながらも「美形が台無し」だと苦笑した私にセリオル様は泣き笑いを返してくれた。


 それは嘘偽りのないセリオル様の本物の笑顔だった。

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