第18話 笑顔の武装【回想】
レモラに招かれたその部屋は心地よいレモンバームの香りに満たされていた。
その香りに少しずつ癒されて行くのを感じながらも涙が止まらない私にレモラは何も言わず、ただ黙って傍に座っていてくれた。
握られた手からレモラの温もりを感じて顔を上げると、レモラは優しく微笑み手を離し、そっと抱きしめてくれた。
突然の行動に驚いたものの、彼女の胸の中で泣かせてくれる優しさに感謝した。
「⋯⋯レモラ⋯⋯私、苦しいの」
ミディアムと踊るあの人。とてもお似合いだった。あの人が私に語る愛は嘘。あの人の優しさは偽り。分かっていても割り切っていてもそれが苦しくて。
私は分かっていなかった割り切れていなかった。それが悔しくて。
何よりあの人に心を奪われてしまった自分が情けなくて。
恋心を認めた今、もう偽りの婚約者では居られない。
「私はあの人が初めから好きだった。同じ時間を過ごせるなら偽りでもいいと思っていたの。でも、私は偽りではなく本当にあの人に愛されたいと思ってしまったの」
「⋯⋯うん」
「レモラにあの人が私を好きだって言われて⋯⋯本当にそうならいいなって思ったら、苦しくなって⋯⋯」
「⋯⋯ごめんねシュリン⋯⋯私の言葉がシュリンを苦しめてしまったのね、本当にごめんさない」
「違う⋯⋯っ違う、レモラが悪いんじゃないの、騙されているのにっ、好きになって欲しいって私が勝手に⋯⋯私は好みじゃない、あの人はミディアムが好きなのに──」
「シュリン、息を深く吸って、そう、ゆっくりよ。私に合わせて息を吐いて」
レモラは呼吸が上手く出来なくなっている私の背中を撫で続けてくれる。
まるで母親のような安心感に私は少しずつ呼吸が楽になった。
レモラは私の泣き腫らした目元をポンポンとハンカチで拭いながら微笑んだ。
「擦ったらお化粧が落ちてしまうでしょう」
「うん⋯⋯なんだかレモラが急に大人びた気がする」
「そう?」
いつもより口数が少ないし、いつもより⋯⋯変な言い方だけれど綺麗に見える。
でもきっとそれは気のせいではないと思う。だって今まで見た事のないくらいレモラは優しい表情をしているのだから。
そんな事を考えているうちにレモラは私から離れると、今度は私の両頬に手を当ててきた。
何をされるのかと思った次の瞬間、キュッと頬を摘まれた。
「ふへぁっ!!」
「ふふっ可愛いわよシュリン。貴女は可愛い。笑っているともっと可愛い」
「レモラ⋯⋯」
「シュリン、これからも沢山笑いましょう。そして幸せになるの」
そう言って彼女はまたギュウッと強く抱きしめてくれる。その言葉を聞いてまた涙腺が崩壊しそうになったけれどなんとか堪えて私はレモラに笑顔を見せた。
心から笑いたいと作る笑顔は作り物だけれど偽りではない笑顔。
私は覚悟を決めた。
あの人との最後の日。絶対に笑うのだと。負けが決まっていても最後の最後まで足掻こうと。
「シュリン! やっと⋯⋯見つけた⋯⋯良かった⋯⋯心配したよ。どこに行っていたの? 誰かと、一緒にいたの?」
「申し訳ありません。少し気分が悪くなってしまって休憩室を使わせていただいてました」
「⋯⋯一人⋯⋯で?」
「はい⋯⋯あ、いえ友人とです」
「⋯⋯それは、女性? ⋯⋯それとも──」
「女性ですよ。なんでしたらそこの、休憩室へ向かう出口のホールバトラーにご確認ください」
「あ、いや、疑っている訳では、ないのだけれど⋯⋯」
レモラと別れ会場へ戻ってすぐに青ざめたあの人が駆け寄って来た。
私が一人だったのか友人は女性かと確認するあの人。一体何を心配していると言うのだろう⋯⋯ううん、これは心配する姿を見せる為。私の瑕疵を見つける為。なんて思いながらもまた「もしかしたら⋯⋯」と期待してしまったけれどその期待のままあの人に微笑みを返した。
彼はホッとしたように息を吐いて手を引く。これまで何度引かれただろう。あの人との時間はあと僅か。あと何回手を引かれるのだろうか。悲しくなったけれど私は笑顔を作った。
「まぁっ! セリオル様、突然いなくなるから探しましたわよ。シュリン様も楽しまれているのだから大丈夫だと申しましたでしょう?」
「お兄様、シュリン様の楽しみを取り上げてはお可哀想ですわ」
「ふふ、シュリン様も隅におけませんわね」
ミディアムとパラミータがあの人に何と言っていたのか手に取るように分かる。
私が誰かと逢瀬を楽しんでいるとでも言っていたのだろう。私が不貞をしているのだと。
だからあの人はこんなにも⋯⋯不安そう? 何故そんな、辛そうな表情なの?
「⋯⋯シュリン、行こう」
あの人は眉間を険しく顰めながらも握る手に力を込めて私を引き寄せた。
私は残り少ないあの人との時間、笑顔でいるのだと頷き返した。
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