第3話 噂の二組【回想】
煌めくシャンデリアとふかふかの赤絨毯。私の手を取るのは私を騙しているなど噯にも見せない紳士的な表情と態度のあの人。
冬の庭園での公開告白からあの人は私を色々な所に連れて行ってくれたわね。近場の公園から街の商店街。大衆食堂から格式あるレストラン。
一週間前は植物園、今日は舞台。流行りの演目でとても見たかったものだったから私は楽しみにしていたし、楽しかった。
ええ、舞台は楽しかったわね。
「まあ、ご覧になってセリオル様よ、あら? 珍しく女性をお連れになってるわ。お噂は本当だったのね」
「どちらの方かしら⋯⋯素朴な方ですわね」
「でも、ドレスもアクセサリーもとてもよいものでしてよ」
「あら本当、ドレスは良いものですわね」
連れて行かれる先々で「セリオル様の隣に相応しくない」を含む視線を向けられても私は全然平気。
言われたら言われた分、寧ろ胸を張った。贈られたドレスとアクセサリーを身に着けた私はこの人が選んだ女なのだと。
本当はそれがこの人の茶番だとしても誰も知らないし、この人だってそんな事を公言できるものではないのだから。
そんな事を考えていた時だった。会場内の空気が変わった気がした。
何かあったのかしら? そう思って顔を上げた私は思わず息を呑んだ。そこには今まで見たことのないような表情をした彼がいたから。
そしてその視線は真っ直ぐ私に向けられていて驚きのあまり心臓が大きく跳ねた瞬間、視界の端で誰かが動く気配を感じた。
「やあ、セリオル。君が女性を連れているなんて珍しい事があるもんだ。来てよかったよ」
「エポラル殿下⋯⋯」
親しげに話しかけて来たのはこの国、ランティク王国王太子エポラル殿下。
その傍には可愛らしい女性。
いくら身分の低い私でも分かる。連れている女性が殿下の「婚約者」ではない事を。
「セリオル、紹介してくれないか?」
「ええ⋯⋯こちらはエポラル王太子殿下と⋯⋯ご友人の、シーバス男爵家のレモラ嬢だよ。殿下、彼女はシュリン・フリンダーズです」
私が二人に礼を執り、顔を上げた時だったかな、レモラ様が一瞬冷えた視線をあの人に向け、扇で隠した口元で「話がしたい」と私に話かけていたと気付いた。
「ラル、私飲み物が欲しいわ」
「ああ、取ってこよう。二人ともあそこのソファーで待っていてくれ。セリオル付いて来い」
「え、いや、俺達は⋯⋯殿下! シュリン、すぐに戻るから」
えっ? 王太子殿下に取りに行かせるの!? この時私は凄く驚いたものだ。この二人には恋とか愛だけではない結びつきがあるのだとすぐに知ったのだけれど。
「さあ、参りましょう。ここでは目立ってしまっていますから」
そう、私はあの人のパートナー。レモラ様は王太子殿下のパートナー。向けられている視線は決して友好的なものではなかった。ヒソヒソと囁かれる端々に「娼婦」と聞こえ、私は俯きそうになりながらも堪えてレモラ様の後に付いた。
囁きが聞こえているだろうに微笑みをたたえるそんなレモラ様の噂。
──王太子殿下に取り入った娼婦──
彼女は社交界の陰でそう言われているのだ。
シーバス家は男爵家。普通なら王太子殿下との接点はないはずだったのだけれど半年前に開かれた王宮の園遊会で運命的な出会いをしたらしい。
「フリンダーズ様、貴女がセリオル様とお付き合いを始めてからずっとお話をしたかったのよ」
「そう⋯⋯ですか。お話するも何も私の評判はご存知かと」
「あら、私の噂が嘘のように、フリンダーズ様の噂も嘘だわ」
私は驚いた。ふわふわの雰囲気と華やかなピンクブロンドの髪のレモラ様。悪戯っ子のような笑みを零すレモラ様は確かに可愛い。けれど、どこか意志の強さがある。
「私、あの日、あの場に居たのよ。そしてあの話も聞いていたの。気付かなかった? 反対側の生垣の向こうにもう一つベンチがあったの。そこに居たのよ」
「シーバス様が!?」
「しーっ。レモラって呼んで欲しいわ。ねえ、どうしてあんな最低な戯言に付き合っているの?」
「それは⋯⋯」
揶揄っているのかとレモラを見ると扇で隠した表情は怒っている。
かと言って信用して良いものか戸惑う私にレモラはニッと口角を上げた。
「私も似たようなものだから。私の場合はラルではなくてラルの婚約者の戯言だけれど」
「婚約者?」
「私達、上級貴族の暇つぶしの玩具にされているのは同じ。一人で戦うより二人だと思わない?」
私は公開告白から友人達に害が及ばないように距離を置くようにしていた。彼女達も貴族だ。私の心情を察して表立っての付き合いを控えてくれている。
レモラの友人も同じだった。
味方は居ないより居た方が心強いものだとレモラは言う。
「明日のご予定は?」
「何もないわ」
「なら、明日十時に「ルヴァンガ」で会いましょう。アップルパイが美味しいのよ」
「あら、それは素敵ね」
「待たせたね。女同士の話はできたかい?」
「ええ、噂が当てにならないと実感しましたわ」
「それは良かった。シュリン嬢、レモラは少し気が強いけれど仲良くしてやってくれ」
「畏れ多いお言葉⋯⋯私で宜しければ」
私達の会話はあの人と殿下が戻って来てひとまず終わりになった。
殿下は手にした飲み物をレモラに渡しながら小さく頷き、レモラもそれに応えて小さく笑った。
「レモラはレモネードだったね」
「ありがとうラル。私の好み覚えてくれたのね。ラルはピーチよね。はい、先にラルのを渡してくれるかしら」
「正解。いつも悪いね」
「いいえ、当然の事ですもの」
そう言ってレモラは銀のスプーンを取り出して殿下のグラスから一口分掬い、その色を確かめた後口にする。「あなた方のも」とあの人と私ににっこりと手を出したレモラは自分のグラスも含めて同じように掬い、全員分色を確かめてから口にした。
「はい。大丈夫です。どうぞ」
「レモラ嬢、今のはもしかして⋯⋯」
「あら、失礼しました。そうなんです。ラルが口にするものは私が先に口にしてからお渡しするようにしているのです」
「毒見⋯⋯ですか」
またレモラには驚かされた。まさか毒見係をしているなんて。
「でも、レモラ、様、もし毒が入っていたら⋯⋯貴女が」
「心配してくださるの? ありがとう。その時はラルが助けてくれるわ」
「ああ、僕はいつでも解毒薬を持っているからね」
「解毒薬を持っていてもラルは王太子だもの危ない目に遭わせられないわ。だから私が毒見をするのは当然よ」
「レモラには助けられてばかりだ」
殿下とレモラは強い信頼で結ばれているのだろう。互いを想い合っていることが良く分かる。私は少し羨ましいと思ったの。
でもレモラは婚約者の居る王太子に取り入った娼婦だと口さがない人は少なくはない。下級貴族の私だって噂を聞いたくらいだもの。上級貴族がどれだけ口汚く噂しているのか想像に容易い。
「シュリン⋯⋯取りに行く時に好みを聞けば良かった⋯⋯俺と同じので良かったかな」
「お気遣いありがとうございます。私の事はどうぞお気になさらず」
「そんな訳には行かない⋯⋯今更だけれど、何が好きなんだい?」
「私は⋯⋯アイスティーです」
「そうか! ⋯⋯あ、いや、良かった」
「なんだ、セリオルはシュリン嬢の好みも知らないのか」
「殿下! それはまだ、聞けていなかっただけで!」
「ふぅん。そう言う事にしておくよ」
私の好みなんて覚える気なんてないくせに。
殿下の手前申し訳程度に聞かれた好み。私はこの人が持って来てくれた飲み物がアイスティーだったからそう答えただけ。この人が好きだから私は好みを演じるのよ。
「さて、僕達は先に帰るよ。セリオル、ちゃんとエスコートしろよ」
「殿下に言われなくても⋯⋯今度こそ⋯⋯」
「へぇ⋯⋯。ま、頑張れよ。シュリン嬢、何かあったら僕を頼ると良い。君にならいつでも時間を作ろう」
「身に余る光栄でございます」
「またね」と小さく手を振るレモラに私も小さく手を振る。
「俺達も帰ろうか。どこか寄りたい所があれば⋯⋯」
「いいえ、私は十分楽しみました」
「⋯⋯そう、か」
早く帰りたいのならそう言えば良いのに。けれど手を差し出されて私は素直に取る。会場を出て馬車に乗り込むその時の事。
「お兄様! 終わったのね」
「パラミータっどうしてここに?」
「嫌だわお兄様。今回の公演を教えたのは私よ。一緒に帰ろうと思って終わる時間を待っていたのよ」
腕に絡みつきながら甘えるパラミータが私を見て意地悪く笑う。
そう、毎回こうなるのだ。
出かけた帰りには必ずあの人の妹パラミータか従兄弟の双子、ミディアムとウェルダムが現れる。そして毎回下手な芝居を演じて私を嘲笑うのだ。
「一緒にって⋯⋯お前自分の馬車はどうした?」
「返したわ。だってお兄様と一緒に帰りたいもの」
また「馬車を返した」だ。
先日は植物園の帰りにパラミータだけではなくミディアムとウェルダムが現れて何故か馬車を返してしまったから乗せてくれと言って来た。
その日は近くだからとあの人が個人で持っている四人乗りの小さな馬車だった。あの人は一応三人に馬車を譲り、自分達は街馬車を拾って帰ると言っていたけれど「スカラップ侯爵家の嫡子が街馬車なんて!」「失礼だと思わないのかしら」と「婚約者でもない」私は「遠慮」させられた。
歩いて帰れない距離でもなかったし私はその日、歩いて帰った。
うん、この劇場も歩いて帰れない距離ではない。歩こう。
「ねえ、お兄様と一緒に帰ってもいいでしょう? シュリン様の家と私達の家は反対だもの街馬車もあるし大丈夫よね」
「パラミータ! なんて事を言うんだ! シュリン、早く乗って、君の家までちゃんと送る」
「私は大丈夫です。どうぞご兄妹仲良くなさってください。パラミータ様、お兄様の大切な時間をいただきまして申し訳ありませんでした」
「そうなのよ、お兄様は凄く忙しいの。シュリン様との時間が惜しいくらいに」
「いい加減にしろっパラミータ! 待ってシュリン!」
「さあ、お兄様。ミディアム姉様とウェルダム兄様がお持ちよ」
笑うパラミータの顔。私が歩いて帰るのを「惨めね」とその表情は楽しんでいる。
「今日はありがとうございました」
悔しかった。でも絶対に泣いてなんかやらない。私は分かっている。あの人の戯れで遊ばれているだけなのだと。だから絶対に笑顔を見せる。
「シュリン!」
「まあ! お兄様本気で勝つつもりなのね。私達も気合いを入れなくてはならないわ。ふふっ」
あの人が私を呼ぶ。けれど振り向かずに歩く。彼らが見えなくなって私は歩きやすいようにヒールの踵を折った。このドレスもこの靴もあの人が贈ってきたもの。そして二度と身に着けないものになる。
帰ったらドレスを脱ぎ捨てお風呂に入ろう。惨めになんて帰ってあげない。
「メデュと皆にお土産を買って帰ろう」
歩いて帰るのも悪くないのよ。
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