第15話 「忘れてはならない殺されゆく感情」


 私が初めて人に剣を向けたのは八歳の頃だった。母を亡くし、毒を盛られる日々を過ごし、ダンヴァンと離され孤独にされて数年を過ごした。


 荒んでいた私の気持ちなど知りもせず、知識が与えられた。それには紙の上だけで済まないものもあった。


 良心だったのか、悪意だったのか。


 今となってはあの頃私に教えた者が何を考えていたのか聞く訳にもいかない。あれはとうに私から逃げてしまった。


「王太子殿下、良く見ててくださいね」


 男は名をオンブルといった。役職も、家名も名乗ることなく、ただオンブルと名乗った。


 オンブルが引きずってきたのは一人の老人。泣き叫んだ後なのだろう。乾いた涙がそのままの顔で必死に叫んで、私に目を向けている。


 どさりと立ち尽くす私の目の前に転がされた老人。見れば足枷がされており、歩くことが許されていないのだろう。まるで芋虫の様にはっても逃げようとしていた。


 息をのんで固まる私の頭をオンブルは優しく撫でた。


「俺が貴方に教えるのは情報の集め方、人が死ぬことなく苦しむ方法、人の汚い姿です」

「……は、?」

「死にたく無いなら学ぶ、学びたくないのなら貴方の尊かった命は地に落ち、死んだ貴方の母君の気持ちもまた地に落ちる」

「」


 何か言いたくても何故か舌が動かない。それが恐怖だと私はオンブルに教えられた。オンブルの目はどこにでもあるような濃い茶色なのに、見たこともないような気さえした。


「こいつはとある事件の容疑者です」

「容疑者…な、のに枷」

「容疑者って言っても真っ黒なやつですからね、容疑者で留めてるのは単に情報を吐かせるためですんで」

「なんで、吐かせるために容疑者に…するんだ?」

「そりゃ俺より貴方の方が詳しいでしょう。この国の法ですよ」

「法?」

「あー…国外への密輸の犯人はどうなります?」

「打首」

「それですよ、それ、こいつの罪状密輸です」


 そこまで言われやっと幼い私は理解した。転がされた老人は犯罪を犯した事が確実だとわかって罰を下されてしまえば打首になり、死んでしまう。そして、死刑囚を動かすには国王の許可がいる。


 オンブルが動かすことができるようにこの老人は容疑者だとされていた。


「この男がやらかしたことはですね、とあるものを盗んで他国に売っぱらったんですよ」

「うん」

「なんだと思います?」

「え?」

「こいつが盗んだもの」

「……金品とか?」

「ハズレ、もっと価値があって盗まれるともっと苦しむものですよ」


 分からず口を閉じる私にオンブルは優しく諭すような語り口で続ける。


「子供です」

「…………え」

「こいつが盗んで他国に売っぱらったもの。密輸されたのは子供です、いいですか?子供ってのは便利なんですよ、子供のうちなら洗脳も簡単だし、食事を与えてれば自然と育つ。親の容姿が良かったり体格がよかったり頭が良かったらなおいい。子供のうちなら小さいから運ぶのもやりやすい」


 息が出来なくなるかと思った。

 本当に、信じられなくて。

 オンブルは当然のように子供の私を前にして商品にされる子供について語ったのだ。まるでお前のせいだぞと訴えている様な気がした。


「金品よりもよっぽど高く売れますよ、モノがモノなら」

「な、んで…それを私に」

「貴方は王になるんでしょう」


 首をしめられたようなくぐもった声が勝手に口からもれる。嫌だと涙が自然に浮かんだ。泣くのなんて久々だった。それでも責めるオンブルの目が私を射抜く。


「王とは綺麗なだけではダメなんですよ」

「陛下も?」

「アレはアレなりに人の汚さは知ってますよ、知ってるからこそ堕ちた人間ですから。それはいいんです、でも貴方は堕ちてはいけない。今の国王のせいで国力は衰退していっている」

「…口に出してはいけない、そんなことを言えば」

「どうせ今の王のままならいずれ死にますからどうだっていいですよ」

 オンブルはくえない男だった。飄々ひょうひょうとし、自由に見えて、自由を奪われた様にも見える。変な男だった。


「情報はね、それだけで人を殺せるんですよ、王太子殿下」

「…」

「それこそ貴方ですら殺せてしまう。貴方が死ねばその後ろにあるこの国のもの全てが死にます。だから俺は隠さず貴方に教えるんだと覚悟を決めてください」


 オンブルはそう言って老人の首の後ろを足で踏みつけた。蛙のような呻き声が聞こえる。もぞもぞと動く老人を足蹴にオンブルは私に目を向ける。


「敵に容赦はいりません」

「…でも、彼も民の一人で…」

「善良な民に紛れる敵を見抜けなければ貴方はただの飾りの王となる。罪を犯したものに対して罪を提案するのは各所の領主の役目ですが、最終的な許可は貴方がなさるのです。敵は微笑み友好的に歩み寄ってきて、貴方の首を…果ては貴方の背にある善良な民の首を狙う。躊躇すればそれだけ罪なきものが死にます」


 オンブルは私の方に小さな剣の柄を差し出す。取れと言わんばかりの視線に従い手にすると足元で震える老人が恐怖に目を揺らした。


「貴方はいずれこのような場に来ることはありません。ですが忘れてはならない、貴方の思想に従い、感情を殺し誰かの血に手を染めるものがいるのだと。それは騎士であり、従者であり、民である。だから貴方はその思いも手段も知らねばならない、そうしなければ彼らが持つ誇りも理解出来ず、いずれ手放す事になります」


 震えはもうなかった。涙も溢れなかった。血が出るという行為が、母の死んだ姿を思い出し吐き気がしたが、それだけだった。


 心が自然と落ち着いていく。まるでこんなことに感情が揺らぐべきでは無いとフィルターがかかるように。


 オンブルの教えは狂気じみていて、血生臭く、そして王となるものが背負う穢れを意味していた。

 当たり前では許されない。そういうものとして考えるべきではない。殺された裏の者の感情を拾い上げ、理解しなければならない。


 ─────理解出来る場を用意したオンブルに今感謝するのはおかしな話だろうか。



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