第12話 『火の番』


 シエルがシエラを可愛がる様子を見ながら剣の手入れをする。シエルは僕にとってこの世で一番大切な存在だ。


 たった一人の主君であり、兄弟であり、同胞であり、救いだった。


 シエルと5年ぶりに再会した日ははっきりと思い出せる。僕がこの方に忠誠を誓った日だった。


 王城にいるはずなのに、王子でしかも王太子になることが確定しているのに、シエルの顔色は真っ青で手足は僕よりも細かった。

 僕だってシエルから引き離された後、苦しみ絶望した時があった。だが、食事は十分与えられていたし健康だけには配慮されていた。


 たかが上位貴族の庶子を親に持つ僕ですら最低限は守って貰えたのに、この方には守る人など一人たりとも存在しないのだと胸が苦しくなった。


“ダン?”

 くしゃりと泣き出しそうな顔でも笑みを貼り付けるシエルに我慢出来なかったのは僕の方だった。


 泣きじゃくる僕をシエルは申し訳なさそうに、けれども嬉しそうに抱き留めて、僕が健康だったことをただ喜んでくれた。


 シエルは本来のんびりとしてマイペースな性格だった。だけど敵の中での王太子になる為の教育が彼をそのままで許してくれなかった。表情は常に笑みを、威厳ある言動を、熱を出すほどの知識が本来の良さを全て覆い隠し、笑みを浮かべる冷たい王太子へとシエルを強制的に歪めていった。


 王城は地獄だった。少なくとも僕とシエルには。


 シエルがどれだけ体調を崩しても看病もなく勉強は続行され、陛下から押し付けられた書類の処理におわれ、食事には常に毒が盛られていた。

 主君が苦しむなら、同じ苦しみを味わうと言えばシエルは顔色が悪いままに拒絶した。


“私は長い間で慣れてきたが、ダンはそうじゃないだろう”

 僕の事など気にしなくていいのに。ただ貴方を一人にしないためならなんだってできるし、毒飯を食らうことなんてわけもないのに。


 解毒薬はシエルの指示の元僕がつくり、味の調整もされていないものを毎回飲む羽目になった。飲んだとしても直ぐに体調は戻ることはなく、戻る前にまた新たな毒をもられる。


 毎日魘されるシエルの部屋の前で僕は立ち尽くすしか無かった。中にも入れて貰えなかった。警備の関係だなんて嘘だ。ただ苦しめたいが為に、殺したいが為にシエルを孤独にさせる。


 だから、僕はゼクスが許せなかった。


 やっと、やっと逃げることを選んでくれたのに。何度言っても王太子として国を導こうとしていたこの方に僕は何度も逃げることを提案していた。


 首を縦に振ることはついぞなかったが、あの愚かな第二王子のおかげでシエルはこの国をやっと諦めてくれた。


 僕にとってシエルが健やかならいい。

 故郷だと思ったことは一度もなく、産まれた喜びなど幼き日に自覚する前に奪われた。


 もし国の民が自分の事として国の未来を考えるようになり、ゼクスがシエルを探しに来たとしても僕だけは絶対にそれを許さない。


 当たり前のように奪われ苦しめられたシエルのやっと見れるようになってきた笑顔を曇らせることなど許せるはずもない。


 シエラにも同志になってもらおう。きっとシエルの事を心から慕ってくれる様になるはずだ。シエラにとってシエルは救いだったはずなのだから。


「火の番は僕が見てますよ、眠くなったら声をかけるのでその時は交代してください」

「今は眠くないの?」

「先程少しは寝れましたし、大丈夫です」


 シエルの心配が心地よく笑みを返せば仕方ないなと折れてくれる。シエラはとっくにシエルの脇に丸まって眠りについていた。


 ぱちぱちと焚き火の燃え爆ぜる音と二人の心地よい寝息が聞こえてくる頃、それはやってきた。


 パキパキと枝を踏みおり、近づいてくるのは一匹の大型イノシシ。魔物ではなく動物だろうが、随分と大きい。


 寝ている二人を起こさないように剣をぬき、イノシシと目を合わせたまま剣をチラつかせつつ二人から距離をとる。


 魔法を使うと起きてしまうか。


 剣を完全に構え、ワザと視線を外してやれば勝手にイノシシが突っ込んでくる。少し飛んで背後に降り立ちまずは後脚を切り落した。


 大きな鳴き声をあげる首を次に斬れば喉に血液が入ったのかごぷごぷという音しかしなくなる。


「あまり五月蝿くすると二人が起きてしまうので、お静かに」


 足を一本無くし、喉を斬られてもなお僕を殺そうとする蛮勇に敬意を表し、正面から受けてあげようか。


 よろけつつも巨体を僕の方にぶつけてくるイノシシを剣でいなし切りつける。鳴き声にもならない声を上げ、イノシシは息絶えた。


「明日の食事は豪華にできるな、……血抜きをしておかなきゃ臭くなってしまうんだったか」


 少し考えた後バラしてからツルで木に吊り下げた。


 巨体だったので結構な量になった、おかげで自然溢れる景色が一気に猟奇的になってしまう。


 ……これはまたシエラを怯えさせてシエルに怒られるのだろうか。


 少し二人を起こし巻き込むべきだったかと後悔はしたが、ぐっすりと仲良く眠る二人を見ると自分は間違えていないのだと結論づけれる。


 睡眠は健康に欠かせない。

 この二人は特に健康になってもらわなければならいのだ。


 なら、多少の小言も我慢しよう。

 ……できれば怒られたくはないのだけど。


 シエルの拳は案外痛い、あの細腕でどうやってあんな力を生みだしてるのか疑問がいつも浮かぶくらいには痛い。


“もし、この子が国を出ると決めたなら、ダン。どうか一緒にいてあげて欲しいの”

 最後に会った時、王妃殿下はそう言って僕の肩を掴んだ。

 隣にいる僕の母上も“ダンが決めていいの、でももし少しでも迷ったなら共に”と眠るシエルの頭を撫でながらそう言っていた。


「言われなくても…離れる気なんて無かったのにな」


 少しぼやきながら焚き火にまた薪を入れようとして、ふとひとつの疑問がわいてしまった。



「…あの二人はシエルが国を出ることを分かっていたのか、でもあの頃はまだ第二王子は産まれてなかったのに」


 嫌な予感がして、口を閉じる。

 気の所為だと頭を振って、薪を今度こそ投げ入れた。

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