番外編①(ユマ視点)
八十島優真。
天涯孤独で児童養護施設で育ち、大手の警備会社に勤めている真面目な青年。
それが女神の使徒を辞した今の彼の経歴である。
戸籍に関しては女神に用意させたものだが、就職活動は社会勉強も兼ねて自力で地道に頑張った。
羽里と再会した時に無職の甲斐性なしでは格好がつかないからだ。
しかし、その道のりは平坦とは言えなかった。
あらかじめ膨大な知識を詰め込んでやって来たものの、初めは些細なことで戸惑ったり同じミスを繰り返したりした。様々な常識が異なる上、魔法の存在しない世界とあって日常生活そのものから危うかった。
持ち前の学習意欲と真面目さで、今ではすっかり異なる世界での生活にも慣れたが、そこに至るまでに多くの黒歴史が量産されたことは、羽里には極秘事項である。
そんな慣れない環境で揉まれ続け、日々の雑事に忙殺されていても、彼女に対する想いが消えるどころか日に日に募るような気さえする。
早く羽里に会いたい――だが、わずかな接触がすべてを歪ませてしまうかもしれない。
何がどう歴史に作用するか分からない以上、出来る限り優真が彼女の人生に存在しない状態の時間の流れを保たねばならない。
じれったい思いを抱えつつ、あの運命の事件が起こる数か月前を迎え、優真は羽里が務める会社の警備担当に異動が決まった。こうなるよう女神に采配を頼んだものの、異なる世界でうまくいくか不安ではあったが、運よく事は運んだ。
そして、初出勤の日……エントランスを通る多くの人間の中から、羽里を見つけた。
薄化粧で地味なスーツに身を包んでおり、一度人ごみに紛れてしまえば判別がつかないような、どこにでもいそうな平凡な女性だ。
ハティとはまるで違う。
しかし、前もって女神から彼女の容姿については聞いていたから戸惑うことはなかったし、意志の強そうな瞳はあの時とまったく同じで、たとえ姿が違っても彼女は彼女のままなのだと確信した。
それからというもの、毎日のように彼女の姿を目で追いながら、ため息をつくばかりの日を悶々と過ごした。
そんなあからさまな恋煩いの症状が同僚にバレて、誰に片想いしているのか根掘り葉掘り聞かれそうになったが、頑として答えなかった。からかわれるのも嫌だったが、それ以上にお節介を焼かれて出会いの場を設けられたら、せっかくこれまで接触を避けてきた意味がなくなってしまう。
初めのうちはしつこかった同僚も、頑なに拒んでいるうちに興味を失って絡んでこなくなり、ようやく静かになったと思っていた矢先――話に聞いていた通りに日本刀を持った男がエントランスに現れ、何者かに突き飛ばされた羽里は刺された。
彼女がこうなることは分かっていたから、誰が突き飛ばしたのかこの目で確かめようとしたのだが、さっと人ごみに紛れて消えてしまった。
見ていた角度が悪かったのか、男か女かだけでなく背格好すら分からず、悔しさで歯噛みした。
「羽里……!」
いくらこれが定められた歴史とはいえ、愛する人が傷つくのを黙って見ているのは身が割かれる思いがしたが、唇を噛んでそれに耐える。犯人が羽里から離れた瞬間に飛び掛かって血塗られた刀を奪って床に転がし、急所を突いて気絶させた。
使徒だった頃の能力はこの世界に来ると同時にほぼ失われたが、武術に関しては体が覚えているところが大きいし、今日のために鍛錬を欠かさなかったので、無手とはいえ優真にとっては取るに足らない相手だった。
「羽里! しっかりしろ、羽里!」
エントランスに優真の悲痛な叫びが響くが、パニックで騒然となった周囲の声にかき消されてしまう。
今すぐ駆け寄りたい衝動に駆られたが、最寄りの交番からすっ飛んできたらしい警察官たちがやってきて、犯人の引き渡しやら事情聴取やらで傍にいることもできず、そうしているうちに救急車が到着して彼女は搬送されてしまった。
あとに残ったのは、おびただしい量の血だまりだけ。
これだけの出血をして助かるのか正直不安しかなかったが、女神の言葉を信じて羽里の乗せられた救急車を見送るしかなかった。
*****
その後しばらくの間はずっと誰かに拘束され続けていた。
警察では事務的な手続きや聴取を受けるだけにとどまらず、『凶悪犯を捕まえた勇気ある警備員』として連日マスコミに取り上げられた。
ハリボテの経歴がいつ瓦解するか心休まる日はなかったが、その危機をどうにか乗り切り、仕事の合間に彼女を突き飛ばした奴が何者なのかさりげなく探りを入れてみた。
しかし、現場が混乱していたせいか誰もそれを見たものはおらず、警察も結局特定できなかったようだ。
……いろいろと考えた結果、あれは人知の及ばない何かが羽里をあの世界へ誘うために仕組んだ予定調和だった、と思うことにしている。納得はできないが。
そんなこんなであっという間に一週間以上かかったが、ようやく落ち着いて彼女に会える時間が取れた。
「すみません。横山羽里さんに面会できますか?」
ナースステーションでそう尋ねると、テレビ等で優真の顔を知っていたのか「あ、八十島さんですね」と笑顔で対応されたが、最初は面会を渋られた。身内ではないからだ。
だが、恋人だと一言つけ加えたら、快く彼女の病室に通してくれた。
……嘘は言っていない。恋人らしいことは何もしていないが、気持ちは通じ合っていた。
とはいえ、恋人は身内に入るのかという疑問はあるし、優真が嘘をついていないとどうして分かるのだろう?
「その、本当によかったんですか? 恋人とは言いましたが、本当に付き合い始めたばかりで、まともな交際日数はないに等しいんですが」
「心配いりませんよ。八十島さんって結構分かりやすいですから」
分かりやすいとはどういう意味なのか。
なんだか居心地の悪い生温かい視線を向ける看護師から目を逸らしつつ、さりげなく話題も逸らした。
「ところで、彼女のご家族は?」
「それが……どなたもお見えにならないんです。何度もご連絡差し上げているんですが。命に別状はないとはいえ、意識が戻らないのに心配するご様子もなくて……」
看護師は急に表情を曇らせて、ため息混じりに言う。
羽里の家庭事情についてはよく知らないが、ハティに大いに同情し感情移入していたことから、家族仲がよくないことは想像がつく。
しかし、実の娘が暴漢に襲われ意識不明だというのに見舞いにも来ないとは。
優真はユマだった頃から家族というものを知らずに育ったが、それが普通ではないことは誰に聞かずとも理解できる。
ユマは生まれてすぐ両親に捨てられ、貧しい孤児院で育った。
魔法と武術の才能を見出されて女神の使徒に召し上げられたが……それはさておき、天涯孤独という出自は彼を形成する揺ぎない要素だ。
だから家族の定義やあるべき姿を語る資格はないが、だったらなおのこと彼女を愛さなければと強く心に誓う。
そんなやり取りをしたのち、案内の道すがら簡単に病状を説明してもらいながら小さな個室に入ると、一定のリズムを刻むバイタルサインの音が響く中に羽里が横たわっていた。
魂を異世界に持っていかれているのだから、生命維持のためにたくさんの管に繋がれているかと思ったが、人工呼吸器もつけておらず、治療のための点滴が刺さっている程度で安心した。
ベッド脇に置いてあって丸椅子に腰かけると、同行してきた看護師は「どうぞごゆっくり」と言いながら退室した。
「羽里……」
生きている温もりを感じさせつつも、だらりと力なく垂れ下がるだけの手を両手で包み、異なる世界で戦っているだろう彼女に心だけでも寄り添う。
多少顔色が悪いだけでただ眠っているだけのように見えるだけに、今にも目を開けるのではないかという期待が膨らむが、わずかに残る使徒の力で彼女の体に魂がないことは感じ取れる。
今、彼女はどのような境遇にあるのだろう。
アリサの理不尽な振る舞いに困らされていないか、あの世界にいる自分は助けには入れているのか――ここで優真がいくらやきもきしても仕方のないことだし、すべてを成し終えてこの世界へ帰ってくることも知ってはいるが、突然 “乙女ゲームの世界”に放り込まれた羽里の苦労を考えると、何もできない自分が悔しくなる。
「……無茶はほどほどにしろ、と言っても聞こえないんだろうな」
苦笑を漏らしながら昏々と眠る彼女を見つめ、面会時間が終わるまで傍にいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます