エピローグ

 その後すぐに……かどうかは分からないが、私は夜明けと共に小さな病室で目を覚ました。

 会社の近くにある総合病院のようだ。


 医者の話を聞くと、傷自体は深く出血多量だったが臓器に目立った損傷はなく、術後の経過も順調だったに関わらず、私は丸三か月も意識不明だったらしい。

 異世界で過ごしたのはひと月ほどだったと思うが、向こうとこちらとでは時間の流れが違うのか。


 いや待て。誰とのルートにも入らずノーマルエンドでこちらの世界に戻ってくる場合は、ほぼ時間経過してないというオチだったはずなんだが……あくまでゲームの設定だけなのか、魂だけ召喚するのとはまた仕様が違うのか。

 まあ、事実はどうあれ、私が三か月間昏睡状態だったことは変わらない。


 そんなことを寝起きの頭でぼんやり考えていると、私の意識が戻ったと聞いて真っ先にやって来たのは家族ではなく、警察と検察と弁護士だった。

 事件関係者に対する事情聴取という奴である。


 といっても形式的なことを聞かれるだけで、どれもあっという間に終わった。

 犯人はその場で警備員に取り押さえられ御用となり、すでに送検されているおかげだ。


 私の生死如何で罪状が傷害罪から殺人罪に替わる恐れがあり、正式な裁判はまだ始まっていないようだが、これで無事開廷となるだろう。

 ただ、被告人が重い精神疾患を患っていた上、薬物乱用による心神耗弱状態だったこともあり、まともな刑罰は適用されないのではという見方が強い。


 となると、私が民事で損害賠償を請求しても勝ち目は薄そうだ。

 面倒だし別に訴えるつもりはないけど、スッキリしない結末になるのは目に見えている。まあ、死人が出なかったし私以外に被害がなかったし、一時的にニュースで騒がれることはあってもすぐに鎮静化するような事件だろう。


 そうして司法関係者の来客を次々と捌き、時々うたた寝しつつ養生していると、ノックのあとに看護師さんが顔を覗かせて満面の笑みを浮かべた。


「横山さん、カレシさんが面会に来てますよー」

「は!?」


 カ、カレシ!?

 三十年の人生の中でそんなもん、一度もできたことありませんが!?


「スッピンは恥ずかしいかもしれませんけど、毎日のように来られててもう飽きるほど見られているので、気にしちゃダメですよ」

「うえあ!?」


 しかも毎日来るって。ストーカーの間違いじゃありませんか?

 そんな心当たりないですけども、それ以外に考えらえるとしたら、まさか新手の詐欺? 私なんか騙しても大した金は出てこないぞ? いやむしろ“カレシ”とかいうのは人名と考えるべき? つってもそんな知り合いいないけど。


 などと混乱する私をよそに、カレシさんとやらが入室してきた。

 どこの誰だ、ことと次第じゃ返り討ちにしてやるぞ――と拳を握り締め身構えたのは一瞬のこと。


「ユ、ユマ……?」


 パーカーとジーンズというラフな格好をしているし、心なしか歳を重ねたようにも見えるが、間違いなくついさっき(個人的感覚)別れたばかりのユマにしか見えない。


 一応両想いだから恋人だし、カレシと言っても問題はないけど……なんでここにユマが?

 幻覚? いや、それなら看護師さんに見えるわけないし、どういうこと?


 念のため頬をつねって現実かどうか確かめた。

 しっかり痛かったので夢ではなさそうだ。

 三十路がどんな原始的な確認の仕方をするのだと自分でも呆れるが、それくらい非現実的なことだったのだ。


「……何してるんだ?」

「いや、その、夢オチかなーっと……」


 仕方ないじゃないか、もう会えないことを覚悟していたのに、こんなにあっさり再会を果たすなんてご都合主義がそう転がっているわけがない。

 これが夢じゃないなんて、この痛みをもってしても正直信じられない。


 ユマは私の奇行に呆れ顔をしながら、近くの丸椅子に腰かけてつねった頬に触れる。

 あの時と同じ感触と温もりに、心拍数が一気に上がった。


「言っただろう。必ず会いに行くって」

「え、あ、言ってたけど……でもあれは……」

「その場しのぎの嘘だと思ったのか? 心外だな」

「だって、そんな話全然現実的じゃないし……ていうか、何がどうしてこうなったの?」


 説明を求める私に、ユマは不服そうに口元を歪める。

 なんだか少し見ない間に表情が豊かになって、嬉しいような寂しいような……と思考が横道にそれていると、ずいっと顔が近づいて来た。


「話してもいいが、その前にキスがしたい」

「は、はい?」


 キ、キス!? 藪から棒になんですか!?


「意識のない相手にするのは失礼だと思って、ずっと我慢してたからな」

「ん? え……ええ?」


 話の流れがよく分からないが、ユマとキスがしたいかしたくないかで言えば断然前者である。

 今の私は正真正銘、地味で冴えないオタク喪女で美人のハティではないのが気がかりだが……ひとまず自分の欲望とガン見してくるユマに負けて目を閉じると、唇が重ねられて音を立てて吸われた。


 生々しいリップ音に心臓が破裂しそうだが、それを上回る幸福感で頭の芯がぼんやりとする。

 見た目じゃない中身の私を愛してくれているのだと感じられて、涙が出そうになったがどうにか我慢した。


 何度かそれを繰り返したのち、満足したのかユマは体を離して居ずまいを正す。

 なんだか手慣れた様子にイラッとしたが、耳まで赤くなった顔を見て思わず笑いが漏れた。

 変わったように見えても、あの時のままだと思うとほっとした。


「あー……、その、子細を語ると長いから手短に話すが、女神に頼んでこっちの世界に来たんだ。戸籍とか知識とかも用意してもらったが、これは歴史の無限ループに付き合わされた分の特別ボーナスのようなものだな。それで、こっちに来れたのは今から八年くらい前のことで、それからずっとここで暮らしてる」


「は、八年も前から!? じゃあ、今は二十八ってこと?」

「ああ。女神にとっては大きな誤算だっただろうが、あんたと釣り合う歳に近づいたのは、俺にとっては嬉しい誤算だな。あらかじめ未来が分かってたから、事件の直後すぐに犯人を取り押さえられたのも幸運だった」

「取り押さえたって……」


 確か犯人を確保したのは警備員だと聞いた。


「つまりユマは――」


 私が答えを言う前に、パーカーのポケットから紐のついた社員証を取り出した。

 そこには今勤めている会社が提携している警備会社の名前とロゴが入っていて――彼の写真と『八十島やそじま優真ゆま』という氏名が記されていた。


 八十島優真。それが今の彼の名前なのか。


「幸運とは言ったが、あんたが刺されるのを俺は黙って見ていた。命が助かることは分かっていたとはいえ、あんたを助けることより、歴史の正しい流れを優先させたことは許されると思っていない」

「……まさか、罪の意識で毎日お見舞いに来てたの?」

「そ、それは違う! ただ羽里が心配で」

「ならよかった。あのね、あの事件がなきゃ優真と会うこともなかったし、あの世界だってまだループし続けてたかもしれないんだから、優真の責任じゃないわよ。むしろ他に被害がなかったのは優真のおかげでしょ。結果オーライじゃない」

「……ありがとう、羽里」


 ほっとしたように表情を緩める優真に、私もつられて笑みを浮かべたが……ふと私がいなくなったあとの世界が気になって質問してみた。


「ねぇ、あれからどうなったの? 仲直りはできたっぽいけど、また夫婦喧嘩の末に世界の崩壊~とか起きない?」

「その心配はないだろう。女神がイーダの神格を復活させたから、天界で仲良く暮らしてるはずだ」


「アリサは? こっちに戻ってるの?」

「ああ。建前上魔王は封印されたことにして、無事役目を終えた形での帰還だ。帰った後は両親を説得して製菓の専門学校に行くと言っていた」

「製菓学校かぁ。あれだけお菓子作りがうまいんだから、当然の進路よね」

「長い間引きこもりだったらしいが、羽里の不屈の精神を見習って頑張るそうだ」

「た、ただの雑草根性なんだけど……物は言いようね」


 くじけず頑張ってくれるのはいいが、私を見倣ったばかりに可愛げのない性格になったり、言動がひん曲がらないことを祈るばかりだ。


「そう卑下するな。羽里が心折れることなく最後まで使命をまっとうしなければ、この未来はあり得なかった。騎士たちも役目を解放されて元の生活に戻ったし、これ以降は歴史が繰り返されることはなく、ずっと前に進むのみだ。羽里はどの聖女もなし得なかった偉業を成したと言えるな」

「ちょ、やめてよ。そういうのガラじゃないから!」


 褒められて悪い気はしないけど、三十路女が救世の聖女と言われても格好がつかない。

 聖女って言われてた頃は、見た目は二十歳そこそこのハティエットだけども。


「そ、それより、ハティは? 婚約者さんとうまくいったの?」

「さあな。羽里が帰ってからすぐ侍女を辞めたとは聞いているが、あの男と元鞘に戻ったのかまでは分からない。まあ、仮にも聖女の依り代にされていた人間だし、多少は女神の加護があるだろう。望む人と再会するくらいの奇跡は起きるかもしれないな」

「そう……」


 意識が交わることはほとんどなかったし、いろいろと厄介事はあったけど、ずっと体を借りていた子だから幸せになってほしいと思う。今からじゃ遅いかもしれないけど、私からも女神様にお願いしておこう。


 それからこの世界に来て優真がどんな暮らしをしていたかという話に花を咲かせていると、ノックが聞こえて「そろそろ面会時間終了です」という声が聞こえてきた。

 気づけば外は半分夜の色染まっている。随分話し込んでいたようだ。


「……時間か」


 優真が名残惜しそうにため息をつくと、丸椅子から腰を上げながら私の頬にキスを落とす。

 さりげなく何してくれるんですか、この人!

 ていうか、そっちから仕掛けておきながら、こっちより顔を赤くするの可愛いな! ちくしょう!


「ま、また明日も来る」

「あー……う、うん。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ……」


 そう言って逃げるように帰っていった優真を見送り、乙女ゲームのエンディングシーンみたいだなと間抜けなことを思う。


 モブに転生(いや私の場合“憑依”か?)して、底辺からの逆転劇をして大大大推しと結ばれて、それで現在に至る一連の出来事を並べてみると、ライトノベルそのものに感じられる。


 もちろん、これで「めでたしめでたし」で終わるわけではなく、私の命が尽きるまでどう変化するのか分からない物語なので、ちょっとの油断であっという間に転落するかもしれないが……ほんの少しくらいヒロイン気分に浸っていても許されるだろう。


 また明日――その約束に年甲斐もなく心を焦がしながら、私は枕に顔面を突っ伏してもんどりうった。

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