第二章――⑥(ユマ視点)

 リュイをベッドに運んだのち、杖が盗まれた経緯についてアリサに事情を尋ねたが、「うっかりベッドの上に置きっぱなしにしていたら、いつの間にかなくなっていた」という回答しか得られなかった。


 バラの棘がどうとかという話も適当にはぐらかされたし、さらに突っ込もうとしたら「リュイの看病をするから」と言って追い出されてしまった。

 明らかに隠し事をしている様子だったが、問い詰めたところで口を割らないだろう。


 この窃盗事件も昨日のボヤ未遂も、アリサが画策したのではないかとユマは疑っているが、それを立証する手立てはない。


 アリサが回収したあの杖には心当たりがあるが、騒ぎ立てればまた騎士たちの反感を買うし、現状丸く収まったならグレーのまま放置でもいいかとも思う。


 それよりも気になることがあった。

 あの侍女から、アリサと同じ聖女の魔力を感じたのだ。


 杖に宿る魔力を勘違いしたという次元ではない。彼女自身から放たれているのを確かに感じた。

 おそらくアリサもユマと同じ感覚を得たから、動揺して挙動不審だったのだろう。


 聖女の魔力があるということは――彼女はなんらかの理由で聖女に選ばれた。


 彼女が屋敷に来てから昨夜に至るまで、どんなに思い返してもそれを感じたことはなかったので不自然ではあるが、拾った杖が引き金となり覚醒に至った可能性は高い。

 そうなると、リュイの暴走が都合よく止まったのは、アリサを丸め込むために発した出まかせではなく、彼女の力によるものだろう。


 聖女は全員異世界より召喚されてきたことを考えると、実は彼女もアリサと同じ異世界人のはず。見た目はこの世界の住人なのが不可解だが、異世界も広くあのような外見の者がいてもおかしくない。


 しかし、アリサから聖女の資格が奪われた様子もないから、魔王封印とはまた別の意味を持って女神がこの世界に遣わしたのだろう。

 アリサが彼女を拾った理由が不明瞭だったが、女神による密かな介入と考えれば説明はつく。


 幾度問いかけても啓示が得られないので確かなことは言えないが、彼女の身に変化が起きているのは事実だ。くわしく話を聞く必要がある。


 アリサがリュイに付きっきりの今がチャンスだ。

 掃除の最中だったようだし、まだ中庭にいるかと思い探したところ――東屋の近くで倒れている人影を見つけた。

 嫌な予感がして駆け寄ると、件の侍女が地面にうつ伏せになっていた。


「……おい、大丈夫か?」


 細い肩に触れた途端、尋常ではない熱に驚いた。

 上半身を抱き起こすと、顔は赤く呼吸は荒い。触れたところから、熱と一緒に魔力が体の中で暴れているのが伝わってくる。

 ドラゴン化を解除するほどの術を訓練もなしにいきなり使用し、一時的に自身に宿る魔力を制御できなくなっているのだろう。


 このまま放っておけば死に至る危険性がある。

 急ぎ魔力を鎮静化する魔法をかけると、症状は少し緩和されたようだが目を覚ます気配ない。

 ひどく体力を消耗しているようで回復には静養が必要だ。


「おい――」


 呼びかけようとして、彼女の名前を知らないことに気づいた。


 侍女の顔や名前など逐一覚えてはいない。そうでなくとも聖女の周りにいる主要な人物以外は、極力誰も覚えないように努めている。を遂行する中でもっとも揺らぎが激しく、下手に覚えていると記憶が混同してしまうのだ。


 それを申し訳ないとか虚しいとか思ったことはなかった。

 これまでのユマにとって、彼ら彼女らは区別がつかなくても困らなかったし、街中ですれ違う赤の他人と同じくらいどうでもいい存在だった。

 だが、今この時だけは胸にチクリと痛みが刺し、悲しみが心に渦巻いた。


 ……いや、感傷じみたことは後回しだ。


 熱くてぐったりとした体を抱きかかえる。

 少し力を込めれば壊れそうな、軽くて華奢な体が自分の腕の中にあると思うと、切なさと慈愛が入り混じった、なんとも言えない温かい気持ちになった。


 色恋禁止の使徒の身ではあるが、聖女の教育係をしてきた以上、一切女性に触れたことがないわけではないし、こうして意識のない聖女を抱えたことだって一度や二度ではない。

 

 でも、こんな感情は他の誰にも感じたことがない。


 経験のない感覚に戸惑いつつも、まずは治療が先だと切り替えて屋敷に戻ると、何を勘違いしたのか侍女たちが甲高い声を上げてたかってきた。

 彼女たちの奇行に辟易しながら病人だと説明してようやく解放され、医務室として使用している客室に寝かせる。


 あとの世話は他にまかせて部屋を辞したユマは自室の近くまで戻ると、こそこそと三人組の侍女があたりを伺いながら部屋から出てくるのと鉢合わせた。


 ボヤ未遂の時の侍女たちだ。

 無言でひと睨みすると、三人は慌てた様子で「お掃除を済ませておきました」などと言って、ユマが二の句を告げる前に足早に消える。


 昨夜、密告を受けてすぐにアリサの部屋へ向かい、何事かを企んでいそうな彼女たちを軽く咎めさりげなく追い払ったのだが……性懲りもなくまた悪事に手を染めようというのか。

 いや、どうやらアリサは弱みを握ってやらせているようだし、彼女たちばかり悪く言うのはお門違いだが。


「アリサも、もう少し役者な人選をすべきだな」


 ため息のようなつぶやきを発して部屋に入り、さっそく例の心当たりに手を伸ばした。

 執務机の一番上の抽斗――そこは魔法で幾重にも鍵をかけてある開かずの抽斗のはずで、いつもはピッタリと閉まっているはずなのに今日に限って薄く開いている。


「やっぱりか……」


 誰かが無断で開けた証拠だ。

 魔法に精通した者なら開錠は可能だが、魔力の残滓を分析すればすぐに犯人が分かる……いや、調べるまでもない。わざわざピンポイントでこの多重ロックをかけている抽斗を狙って開けるのは、この世で一人しかいないからだ。


 に一度もそんなことは起こらなかったし、そんな短絡的な犯行に手を染める馬鹿はいないと思っていたのが油断だったようだ。


 己の慢心を反省しながら取っ手を掴んで引き出すと、そこには細長い金属製の箱が鎮座している。

 そこには、柔らかな布に包まれて、アリサが持っているものと同じ聖女の杖が収められていた。


 これは万が一杖が失われた際の予備だ。


 何度か使われたことはあるが、それはではないにも関わらず、はっきりと魔力の残滓を感じ取ることができる。


 ここに仕舞われていることを知っているだろうし、これまで正しく修行していれば開錠できるだけの技術もあるだろうし……抽斗周辺にはわずかながら聖女の魔力が残っている。


 つまり、この予備の杖を持ち出す計画を立てたのはアリサしかいない。

 ユマの留守を狙って、気づかれないよう少しずつ開錠したと思われる。貴重品が入っているとはいえ、普段開けることもない抽斗なので注意を払っていなかった。


 あの侍女も聖女の力があるようだが、魔力の暴走から考えても、能力が発露したのはついさっきと思われる。

 偽りとはいえ悪評の付きまとう彼女に、厳格な侍女長がここの掃除を任せるはずもなく、部屋を訪れたのだって昨晩の一度だけ。容疑者になり得ない。


 おそらくアリサはこの鍵を開けただけで、盗んだり戻したりしたのはあの侍女たちだろうが、彼女が主犯であることは疑いようがない。


 だが、彼女の魔力が残っていることが即犯行を裏付ける証拠にはならない。

 彼女はこの部屋で繰り返し魔法の特訓をしており、昨日も無理を言われて付き合わされた。

 たとえそこを起点に罪を暴こうとしても、その時の残留物だと言い訳されればそれまでだ。他に確固たる証拠もないので、糾弾する材料として利用しにくい。


 それよりも、どうしてアリサはそこまでしてあの侍女を陥れたいのかが問題だ。

 原因が分かれば再発を防止できるはずだが、女同士の諍いは男には理解できないものだからか、まったく理由が思い浮かばない。


 どうしたものかと悩んでいると、伝令が駆け込んできて四天王による新たな被害が出たとの一報が入ってきた。


 おかしい。ユマが知り得るより一週間も早い。

 しかも、がすっぽりと抜け落ちている。いや、もしかしたら入れ替わっているのかもしれない。


 これまでも多少の誤差や差異はあったが、ここまでの狂っているのは初めてだ。


「これは女神の試練なのか、それとも……」


 ユマは額に手を当てて考え込む。

 アリサが現地に急行して四天王を封じなければ、想定以上の被害が出てしまう。

 だが、彼女が留守になれば変化した事象のせいでが出て、やはり想定外の事態となる。


 ある程度は留守を預かる自分が対処できるが、全てを守り切ることはできない。

 今のユマは、不必要にに介入できないよう能力を制限されているのだ。


「……頼みの綱は彼女だけか」


 ぽつりとつぶやき、箱に鎮座する杖を握り締めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る