第二章――③
その日の深夜。
私を含めて四人分のベッドが詰め込まれた狭い使用人部屋で、私はなかなか寝つけなくて何度も寝返りを打っていた。
体は毎度のごとく疲れ切っており、普段なら夢も見ない睡眠の闇にストンと落ちていくのだが、今夜はどうしてか目がランランと冴えているのだ。
今日の出来事が引っかかっている、というわけではない。
同じ屋敷に住んでいる以上、ユマとアリサと一切関わらないという選択肢はなく、できるだけ接触を避けつつその時その時で適宜乗り切るしかない、と結論づけている。
根本的に何も解決していないが、私にできることはそれくらいだ。
だが、今胸中を占めてるのはそのことではなく、もっと漠然とした“嫌な予感”という曖昧な感覚だった。
私はあまり第六感というものを信じていないが、魂はともかく体はファンタジー要素が普通に存在するこの世界のもので、ハティがなんらかの異変を感じ取って私に危険信号を発している可能性は否定できない。
魔法が使えないモブなので、自衛手段といえば単純な物理攻撃だけだし、そっち方向の自信は皆無だ。家事って意外と腕力鍛えられるけど、格闘技ができるのとはまた別だ。
もしも寝てる間に何か起きたらと思うと、気が気でない。
あまりに落ち着かないので軋むベッドから起き上がり、上着を羽織って廊下に出る。
こんな時は外の空気を吸って気分転換だ。部屋の近くにベランダがあったはず。
基本的に深夜は部屋から出てはいけない規則だが、見つかったらトイレだとか、寝ぼけて道を間違えたとか、適当に言い訳してごまかそう。
すぐバレそうな嘘を考えながら、古びた床板の敷き詰められた廊下を、そろりそろりと足音を忍ばせて歩いていると……目的地であるベランダから話し声がした。
ひそやかな音量なので男女の区別もつかないが、少なくとも二人以上で会話しているようだ。
この屋敷は使用人といえば侍女が大半を占めるが、男の使用人もいないわけではない。深夜の密会もたまにはあるだろう。
他人の逢瀬を覗き見する趣味はないし、アダルトな展開のデバガメになるなんてもっての他。こうしてプチ散歩しただけでよしとして、おとなしく部屋に戻ろうかと踵を返した時、
「ねぇ、いつまでこんなことするの?」
「知らないわよ。でも、今さらやめるなんて言えるわけないわ」
「そうよね……バレたら私たち……」
「やるしかないの。しっかりしなさい」
キャッキャウフフな睦言の類じゃなくて、悪だくみ的な会話が聞こえてきた。
密会というより密談といった風だ。
ただ、率先して悪事を働いているというより、誰かに強要されてやらされているって感じがする。
一体何をやろうとしてるのか。突撃して訊きたいところだけど、下手に首を突っ込んだら巻き込まれそうだし、ただでさえ(アリサがでっち上げた冤罪のせいで)悪評高い私だから、ここぞとばかりに罪を全部被せられてしまいかねない。
結論。ここは聞かなかったふりをするべきだろう。
変なフラグを立てかねない。
だが、もし私が感じていた嫌な予感の正体がコレだったとしたら、このまま放置しておくのはよくない。もう少しだけ情報を集めよう。慎重第一で。
より多くの声を拾うべくもう一歩だけ近づくと、たまらずといった感じの、泣き出しそうな声が聞こえてきた。
「でも、いくらなんでもアリサ様のお部屋に火をつけるなんて……!」
「しっ、声が大きいわよ」
ええ!? 思わず叫びそうになった口を自分の手で押えて、さらに聞き耳を立てて注意深く続きを拾う。
「ボヤ程度でいいとおっしゃられたけど、やっぱり心配よね……」
「罪は全部あいつに被せるんだし、言われた通りにやればいいのよ」
あいつって、誰だろう?
なーんてとぼけてる場合じゃない。十中八九私しかいないですね!
うわお、やっぱり私に擦りつける気満々かよ!
どこの誰の命令か知らないけど、放火は軽犯罪じゃないぞ!
侍女はかまどや暖炉で火を扱うっていうのに、火の怖さを知らないなんてどうかしてる。
だいたい、ボヤのつもりが大火事になることだってままある。小指の爪ほどもないタバコの火一つで、家が何軒も全焼するんだからな。
濡れ衣を着せられるのも嫌だけど、いくらクッソ大嫌いな性悪陰険聖女様であっても、命に係わる火事に巻き込まれて後味がいいわけないし、無関係な人間が傷つく可能性がある以上、黙って見過ごすわけにはいかない。
こういう時はまず上司である侍女長(のっけから私を懲罰房に放り込んだ、あのヒステリーお局侍女だ!)に報告すべきだろうけど、多分私が話したところで信じてもらえないどころか、夜中に出歩いていたことを真っ先に叱責されて、話を聞いてもらう段階にすらたどり着かない。
日頃の行いが悪いとこうなるわけです。
いや、私は全然悪くないけど。悪いのはアリサだ。
で、その諸悪の根源たるアリサ本人に注意を促すという手もあるが、彼女と直に接触すれば周りが騒いで放火の話などできそうにない。
となると、私の話をまともに聞いてくれそうなのは、ユマだけだ。
推しが味方っていうのは心強いけど、あんな風に冷たく突き放した直後で頼るなんて、いくらなんでも虫がよすぎるだろうか。
でも、アリサに万が一のことがあればユマは困るだろうし、魔王封印に影響が出れば世界が危険にさらされることになる。
個人的感情で判断を誤れば、取り返しのつかないことになる。
意を決して使用人棟を飛び出し、ユマたちが住処とする邸宅へと向かう。
幸い、道中誰にも遭遇することなく彼の部屋までたどり着けたが、遅まきながら寝間着のままだったことに気づいて愕然とした。
ま、まあ、ユマなら変な誤解はしないよね。使徒だもん。
でも、ハティはそこそこ美人だし危険がないわけでは……って、迷っている場合じゃない。上着の前をきっちり合わせて寝間着をできるだけ隠しつつ、ドアをノックする。
「……誰だ?」
あまり間を置かず、ユマがドア越しに声をかけてきた。
そろそろ深夜に差し掛かるだろうけど、まだ起きていたのか。
「あの、ユマ様に至急お伝えしたいことがありまして……」
視界の効かない暗がりの中、誰に聞かれるかとヒヤヒヤしながら、声を殺してそれだけ言うと、細くドアが開いてユマが顔だけ出した。
彼は私を見て軽く目を見開き、何も言わず手招きをして部屋に入れた。
服もいつものままだし、執務机には分厚い本と橙色の明かりが灯るランプが置かれている。勉強中といった雰囲気だ。使徒が何を勉強するのか知らないけど。
うーん、この時間なら寝間着姿を拝めるんじゃないかと、ほんのちょっぴり期待していたんだけどなぁ……って、そんな不埒なこと考えてる場合じゃないですよね。
はい、ごめんなさい。
「あんたが俺を訪ねて来るとは、よほどのことがあったのか?」
廊下が無人なのを確認してドアをきっちりと閉め、前置きもなしに切り込んできた。察しがよくて助かります。
半日前のことを蒸し返されずに済んでほっとしつつ、今しがた聞いた侍女たちの密談をそのまま伝えた。
ユマは一片も口を挟まずそれを聞き、何やら得心が言ったようにうなずく。
「ボヤ騒ぎか……なるほど。厨房の油のストックが妙に減っていると、コックが言っていた理由はそれか」
ん? なんでいきなり油の話?
ああ、食用油を失敬して放火に利用するってことか。
火をつけるならランプオイルの方が効率的だけど、この世界ではそこそこ高価な品物で、自腹で買おうと思うとかなり痛い出費になる。
一応支給品の目録には乗っているが、高価ゆえに前時代の姑のように厳しい侍女長が管理しており、いつ誰がどれだけ使用したか事細かに帳簿に記してあるらしい。
その侍女長とボヤを起こそうとしている人間が結託していない限り、犯人捜しをされたら簡単に足がつく。
無論、油を使わなくてもボヤ騒ぎは起こせるが、今日私は厨房で一人洗い物をしていたし、その時油を抜き取ったのだと罪を擦りつける布石にしたかったのだろう。
なかなか頭が切れるなと感心しつつも、その能力をもっと別のことに使えと言いたい。
「ところで、その侍女たちの顔は見なかったか?」
「すみません。遠い上に暗かったので。不用意に近づいて、見つかることは避けたかったですし……」
「いや、正しい判断だ――その格好には苦言を呈したいが」
「……重ね重ね、すみません」
深夜男性の部屋に寝間着で訪ねることが、どれだけ非常識かくらい分かってますよ。一応三十路ですからね。
でも、非常事態だから仕方ないじゃないですか。
「まあいい。内容からして大事には至りそうにないが、念のためアリサの部屋を見に行こう。あんたはこのまま部屋に戻れ」
そう言ってユマはいつぞやと同じように、私の額に軽く手を当てた。
すると、薄布を被せられたような感覚が全身を包みこむ。
「闇に同化する魔法をかけた。姿は見えなくなるが物音は消せないし、効果も長続きしない。早く帰れ」
「は、はい。失礼します」
ユマに開けてもらったドアを慌ててくぐる。
見えてるか分からないが一つお辞儀をして、元来た道を小走りで駆け抜けた。
邸宅は貴族仕様で廊下だけでなく床全部に絨毯が敷かれており、多少の足音は響かない。対する使用人棟はギシギシ鳴る板張りなので、気をつけないといけないが。
それにしても、魔法というものは詠唱もなしで使えるものなんだろうか。
ゲーム中では、魔法を使うと行動順が通常より遅くなるという仕様になっていて、それがいわゆる詠唱時間のようなものだと認識していたのだが、実際は違うのか。
あるいは使徒は特別って可能性もある。
ユマは攻略キャラではないため戦闘に参加しないし、各種設定集でも明言されていないので、どれくらいの力量なのかは私も知らない。
ああ、そう思うと移植版がプレイできないのが悔やまれる!
攻略対象に格上げされて、ユマも戦闘メンバーにも入れられるって話だったのに!
どうして私は死んでしまったのか! あの日本刀男のせいだ!
裁判長、奴に極刑を所望します!
……などとくだらないことを考えながら、割り当てられた四人部屋まで戻る。
運よく私が抜け出したことはバレていない様子で、みんなすやすやと眠っていた。
ほっと息をついて薄っぺらな布団を被ると、薄布がはがれるような感じがした。魔法が切れたようだ。まさに間一髪だったな。
でも、まだ安心はできない。
あの侍女たちが悪事に手を染める前に、ユマが止めてくれるといいんだけど。
うつらうつらしながら異変が起きないか意識を外に向けていたけど、結局空が白むまで屋敷内は夜の静寂に包まれたままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます