第一章――⑤

 胸中でこっそりアリサをディスっている間に、聖女様の自作自演劇場は佳境に差し掛かろうとしていた。


「そんなことありません、アリサ様。未熟なのはあの女です」

「そうですよ。主人の心を推し量れないような未熟者こそ侍女失格。そのような愚か者の言うことなど、お気になさらぬように」


「まあ……不甲斐ない私を慰めてくれるのね。ありがとう。あなたたちのような人たちに支えられているなんて、私はとっても幸運ね」

「アリサ様……!」

「一生ついていきますわ……!」


 んん? あっれー? なーんか、また私が悪役に祭り上げられちゃってる感じ?

 殴りたい。ボッコボコに殴りたい。

 でも、ここはグッと我慢だ。世の中先に手を出した方が悪者になる。

 今はどうしたら場が丸く収まるかだけを考えろ。


 私は無言で立ち上がり、バスケットに積まれたクッキーを一つ摘み上げる。

 形こそまちまちだが、手作りという割にはきれいに仕上がっている。最近の女子高生って意外と女子力あるな。

 あとはこれを食べて「おいしいですね!」って言えば万事解決だ。


 そう腹をくくって口に放り込んだのだが――


「……ん? ……むっ? ~~~~~ッ!?」


 ま、マッズーイ! 何を入れたらこんな味になるんだ!?

 口に入れた瞬間、三日間は放置した生ゴミのような得も言われぬ不味さと腐臭が広がり、反射的にえずきそうになるが必死に耐えた。

 しかも砂を噛んでるみたいにジャリジャリしてるし、その感触がいつまでも口の中に残るような気がして始末が悪い。


 小麦粉とバターと卵の組み合わせで、この味が出るわけがない!

 マジで人を殺せるって意味での、殺人的な異世界飯テロだ!


 今すぐ吐き出したい。でも、ここで吐いたらどんな目に逢うか分からない。

 私は気合と根性で耐えた。死ぬ気で耐えた。大人だからね、うん。

 

「……アリサ様のお気持ち、しかと受け止めました」


 体が本能的に嚥下を拒否したが、それを理性でねじ伏せて飲み込み、引きつる顔に無理矢理笑みを浮かべて、ある意味正直な感想を述べた。

 ごめん、これはお世辞でもおいしいって言えない。

 てか、嫌がらせとか罰ゲームとかを軽くこえたいじめだよね? 毒入りって言われても納得の味だったけど? 本当にこれ無害?


 そう心の中で文句を垂れ流しながらも、失礼がないように取り繕った……つもりだけど、これが吉と出るか凶と出るか。


「まあ、うれしい! 気持ちが通じ合うって素敵ね! もっと食べてくれていいのよ。たくさん焼いたから、遠慮しないでね」


 私の大人の対応に、パアアッと輝くような笑顔にどす黒く底意地の悪い色を滲ませながら、アリサはバスケットごとぐいぐいクッキーを押し付けてくる。

 え、ちょ、この劇物をさらに勧めるか!? 殺す気かよ!


「あ、その、えっと……」

「アリサ様があなたのためだけに焼いたものなのよ。どれだけお願いしても、私たちには一枚も分けて下さらないんだから」

「あなたが食べないと全部捨てるとおっしゃってるのよ。アリサ様の手作りを味わえるあなたは果報者ね。ひと欠片でも残すことは、私たちが許さないわ」


 どうにか回避しようとするが、侍女たちが次々と嫌味ったらしい発言を飛ばして退路を塞いでいく。

 そりゃあ、こんな物体Xを取り巻きに食われた日にゃ、すべてを失うもんな。わざと作ったのなら余計に、あげたくてもあげられんだろうし、悪事がばれないよう速やかに処分せねばならないだろう。


 うう、もう後には引けない状態だ。

 何が悪かったのか。それはスイーツに釣られた自分の浅はかさだ。

 あるいは、身の程をわきまえず他人をディスったせいかもしれない。


 三十路である以上、自分のケツは自分で拭かねばならない。

 南無三(合掌)。


「ま、まあ……この上なく幸せでございますわ」


 白々しいセリフを言いながら、アリサが差し出すまま生ゴミ味のクッキーを完食し(その間アリサはテーブル中のスイーツを貪り食って完食した! 悔しい!)、ごちそうさまでしたと言って笑顔で退室したのち……速攻で一番近くのトイレに駆け込んで、胃の内容物をリバースした。


 汚い話で恐縮だが、トイレといっても便座があるわけではなく、肥溜めに直結したボットン便所である。

 触れられる距離ではないものの、汚物の臭いだけでなくそのものとも対面しながら嘔吐するという更なる罰ゲームを課せられ、HPがゼロになりかけたのは言うまでもない。


 そんなお食事中の方にはお耳汚しの二重三重の苦しみの中、一人で延々ゲロを吐き続け、落ち着いたのはおよそ一時間後。

 それが後日『ゲロ女の怪』という怪談が生まれる原因となったが、それはまた別の話。


*****


 生ゴミクッキー事件から一夜明けた。


「うえっぷ……」


 丸一日経ってもまだ気持ち悪い。やっぱり毒入りだったんじゃないの?


 何度もうがいをして歯磨きをしたが、口の中はまだ生ゴミが詰まってるような臭いがしている気がする。

 念のため埃避けのスカーフを口元に巻いているので害は少ないと思うが、人前に出るのはまずいので可能な限り裏方仕事を選んで精を出す。


 お、おのれアリサめ……!

 私がモブじゃなければコテンパンにノしてやったものを!

 胸中で怨嗟の声を上げながら、使用人棟の倉庫で片付けものに黙々と従事していると、


「おい、そこのあんた」

「は、はいっ!」


 足音もなく後ろから声をかけられ、裏返った声を出してしまった。

 口からゲロと一緒に心臓が飛び出しそうになるが、すんでで飲み込んで振り返ると、いつの間にか真後ろにユマがいた。


 気配も足音もなかったんですが! 使徒じゃなくて忍者でしたか!?

 慄きで言葉を失った私に手を伸ばすと、前置きもなく額に手を当てた。


 な、何事!?

 突然の出来事に硬直してしまったが、接触部分からミントに似た清涼な風が体内を巡るような感覚がしたかと思うと、不快な気分や臭いがすっかり消え失せた。


「体調が悪そうだったので解毒を施した。気分はどうだ?」


 解毒……やっぱり毒入りだったのか? それとも食中毒的な意味か?

 疑問は残るが、まずはお礼が先だな。


「……すこぶる快調です。ありがとうございました」

「礼はいらない。アリサの尻拭いは教育係の義務だ」


 尻拭いって……ユマはアリサが陰で何をやっているか知ってるって口ぶりだ。


 聖女の教育係なのに、知ってて止めないの?

 外見にコンプレックスがあるアリサを憐れんでるの?

 それとも、他の騎士と同じように、異性として特別な感情を持ってるの?


 ファンとしては、理由を今すぐ問いただしたい案件だ。

 でも、今の私はしがない侍女。彼に物を申せる身分ではなく、立場に応じた対応をせねばならない。


「……何のことでしょう? 私はただ食い意地が張っていて、捨てられそうになったお菓子を見過ごせず食べてしまっただけです」

「あんたはアリサを庇うのか?」

「まさか。私は事実を述べただけです」


 そう。事実しか私は言っていない。

 アリサが作ったとも、無理矢理食わせたとも言っていない。

 私が食べなければ捨てられるだろうクッキーを、全部胃に収めただけ。


 あの場面をユマが直接目撃していない以上、脅迫されたことは言わなければ分からない。

 たとえ人づてに聞いたとしても、私がそう言わせたのだとアリサがしらばっくれたら終わりだ。


 第一、ここで先ほどの悪行を糾弾したとしても、逆に彼女の不興を買うだけだ。

 私への嫌がらせが悪化するだけならまだいいが、ユマが特定の侍女を贔屓していると噂になれば、使徒としての面子が危うくなる。

 本人にその気がなくても、色恋禁止の制約を破ったとみなされるかもしれない。


 こちらにメリットがない以上、大大大推しキャラを守るのがファンの務めだ。


「あんたは……それでいいのか?」

「ですから、なんのことだかさっぱり分かりません。くだらない私事でユマ様のお手を煩わせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。誠に恐縮ですが、こちらの掃除をしたいのでご退出願えますでしょうか?」

「……分かった。邪魔をしたな」


 物言いたげな顔をしつつ去って行くユマの後姿を、頭を下げたまま見送った。

 誰の気配もなくなったのを確認し、魔法をかけてもらった額を撫でる。


 優しくしてもらったのに、真実を知ってもらえたかもしれないのに、可愛くない言い方をして追い返してしまった。怒っただろうか。呆れただろうか。

 どらにしろこれでもう、私がアリサに何をされても二度と助けてくれないだろう。


 そもそも、ユマが私に関わろうとしたのはアリサのためだ。

 教育係として、彼女の行いを問題視して調査していたのだろう。

 女神直々に聖女の教育を任されている彼の立場上、彼女が特定の個人を貶めていると知れば放置はできないに違いない。


 ただ、それ以外の点は完璧な聖女様なので当人に強くは糾弾できず(泣き落としで煙に巻かれたかもしれない)、被害者である私に事実確認をしようとした。

 そして、被害者本人の口から否定の言質がとれた以上、調査は終了で私と関わることは二度とない。


「これでいいの。どうせ……どうせ……」


 どうせユマも他の騎士たちと同様に、アリサの演技にまんまと騙されてる愚か者だ。

 私が知ってるゲーム内のユマだったら、侍女いじめなんて早々に止めさせてる。

 それができないなら、私にとってはいてもいなくても同じ存在だ。


 ファンとしてユマの顔を立てた結果だが、恨み言は消えてくれない。


 ここがゲームじゃなく現実だって分かってる。

 私がヒロインじゃなくてモブだってことも。

 彼の真意を何も知らないのに、私が勝手に裏切られた気分になってるだけだってことも。

 三十年も生きてるんだから、それくらいの分別はつく。


 鬱々とした気分を振り払うようにブンブン首を振り、私はやりかけの仕事を再開した。

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