第一章――②
「まあ、今回はこれで勘弁してあげるわ。感謝することね。じゃあ、ついて来なさい」
ついて来いってことは、次の仕事かな?
よく分からないけど、今の私の設定はこの屋敷の侍女みたいだし、サボって叱られるのは嫌だし、ひとまず言われた通りに動いてみることにした。
彼女のあとをついて行った先は、塗籠のような窓のない小さな物置っぽい部屋だった。
まだ昼間だというのに真っ暗な室内は、押し入れのようなカビと埃の匂いが充満している。長く締め切ったままだったのだろう。
うーん、次はここの掃除?
首をひねる私をよそに、お局侍女さん(勝手に命名)は慣れた様子で室内に入り、ローチェストに載った蝋燭にポケットから取り出したマッチで火を点けると、硬そうなベッドとポータブル便器だけがぽつねんと置かれているのが、闇の中に浮かび上がる。
物置に使っているというのなら、家具が置いてあるのは分かるけど、その割には配置が普通の部屋っぽいし……いやいや、その前に、なんでこんなところにポータブル便器?
百歩譲って仮眠室に見えなくはないけど、どちらかというとまるで独房……いや、懲罰房だ。
「これまであなたの問題行動には目をつぶって来ましたが、もう我慢なりません。これより三日間、ここに閉じこもって反省しなさい」
そんな感想を見透かされたかのような発言が飛び出したかと思うと、手首を引っ張られて室内に押し込まれてしまう。
お局侍女さん、案外腕力強いんですが!
「え、ちょっと……!」
反論を遮るように重い音を立ててドアは閉まり、外からガシャンと錠がかかる音がした。
ええ? 鍵なんかついてたっけ、この部屋?
「あ、開けて! 開けてってば!」
ドアや壁をドンドンバンバン叩いてみるが、反響音からして結構分厚いので、ちょっとドタバタしたくらいでは外に音は漏れないだろう。
なんと防音設備の整ったお仕置き部屋なのか。
エロゲーなら違うお仕置きが待ってそうでゾッとするぞ。
「う、嘘……なにこれ……」
何がなんだか本当に分からない。これが人生最期に見る夢だとするなら最悪だ。
そりゃあお世辞にも褒められた人生は送ってなかったけど、人の道に外れたことはしてないはずなのに。どうしてこんな目に遭わされるのか。
全然状況について行けてない頭を抱え、ペラペラなせんべい布団の敷かれたベッドに身を投げる。
寝転がっただけで腰痛い。この痛みが幻だとは思えないが、あの時日本刀で刺された痛みも嘘ではないはず。
念のため腹部をさするが痛みはないし、傷らしいものもない。
ふと、頭の中に異世界転生という単語がよぎった。
ライトノベルで最近流行っている設定で、事故ったり死んだりした主人公がファンタジー世界に生まれ変わって人生をやり直すというもの。
女性向けでは、ゲームやラノベの世界の悪役令嬢として転生するが、バッドエンド回避のために努力を重ね、内政チートや飯テロで周囲の心を掴みつつ、実は性悪だったヒロインをやり込めてイケメンと結ばれる、という筋書きが人気だ。
私も(誠に不本意ながら)か悪役とみなされているが、記憶している限り『聖魔の天秤』にそんなキャラもイベントも存在していないし、侍女は全員モブでイベントに絡むことはない。
でも、あの場にいたのはアリサっていうヒロイン役以外、ゲームのキャラたちとそっくりだし……ああもう、わけ分かんない!
むくりと起き上がり、もう少しここについて分かるものがないかローチェストの引き出しを漁ってみると、古びた手鏡が出てきた。
長らく使われていないのか、鏡面はくすんでいてヒビは入っているが、割れてはいない。
傷口を広げないよう、取り扱いに気を付けながらおもむろに覗いてみると、そこには
後頭部で束ねて丸めただけの、野暮ったいお団子頭の二十前後の女の人だ。
リアルの私よりほっそりとしたあごのラインと、整った目鼻立ちをしている。
お局侍女さんとおそろいの和風メイド服を着ており、化粧っ気がないので地味オーラは出ているが、フルメイクして着飾れば十分美人の部類だろう。
……失礼な話だけど、この見た目だと私の方がヒロインっぽくない?
リアルもこの体も女子高生とは呼べない歳だから、聖女の資格はないだろうけど、雰囲気というか”らしさ”だけなら絶対今の私だよ。
え? 自意識過剰ですか、そうですか。異論は認める。
でも、お相撲さん体型のアリサよりは(以下略)。
まったく事情は呑み込めていないが、転生先(仮)がなかなかの優良物件であることに少し気分を持ち直した私は、もっと何かないかと懲罰房の中を観察した。
しかし、見つかったのはマリモのようにでっかい綿埃ばかりで、他に目ぼしいものはなかった。
いつから掃除してないんだろう……私もきれい好きとは言えないけど、さすがにマリモ大の埃が出るまで掃除サボったりはしないわ。
「ふう……退屈……」
家探しもあっという間に終わり、ゴミ箱もないので埃ちゃんたちの処理もできず、暇をつぶせるものもないので、すぐに手持ち無沙汰になってしまった。
いくら転生先が美人でも、鏡を見てナルシストに浸る趣味はないのでね。
うむむ……これからどうなるんだろう。
謹慎が明けたら、また冤罪を吹っかけられるかもしれない。
まったく身に覚えがないにも関わらず、なんだか悪事の常習犯みたいな口ぶりで言われてるし、そのうちクビになっちゃうかも。
いや、それどころか不敬罪で本当に首が斬られちゃうなんて事態に……?
うわああ! 嫌だ嫌だ! 死んで転生して速攻死ぬなんて論外でしょう!
チート無双したいなんか思ってないけど、せめて平凡な幸せと身の安全くらいは保証してくださいよ、神様!
うーん、することがなくなると嫌なことばかり考えてしまう。困った。
こんな時スマホがあればなぁ。くだらない動画でケラケラ笑ってた昨日までの自分が懐かしい。というか、いっそ憎らしい。
いろいろとキャパオーバーしてじわりと涙がにじんでくるが、それを袖口でこすってベッドに横たわる。
起きているから変なことを考える。それならいっそ眠ってしまえばいい。
次に目覚める時は本当にあの世だったらいいのに……なんて不謹慎なことを思いながら目を閉じると、すぐに泥のような眠りに落ちていった。
******
その日の夜、私は夢を見た。
横山羽里としての私ではなく、この体の本来の主である侍女の追憶の夢。
彼女の名はハティ。
さる高名な貴族のご令嬢で、十代半ばまでは何不自由ないお嬢様生活を送っていたが、いわれのない誹謗中傷を受けて婚約破棄された挙句、身一つで家を追放された。
意図的なのか偶然なのか、婚約破棄に至る記憶を見せてもらえなかったので経緯は不明だが、何をしたにしろ女の子を一人で放り出すなんてひどすぎる。
それからハティは伝手を頼り、数年の間大店の商会の使用人として働いていたが、ここでもなにやらトラブルがあったようで解雇されて、路頭に迷うことになる。またもやその辺の子細は不明だが、本当についてない人生である。
ラノベなら婚約破棄された段階でイケメンに見初められて、不当に扱った奴らにざまぁできるのに、現実はそんなに甘くないらしい。
やがて手持ちの金も尽き、住むところも仕事も見つからず、もはや娼婦として身を売るしかないというところまで追い詰められたが……彼女は運よく命拾いをした。
ちょうどその時、異世界より召喚された聖女アリサに拾われて、彼女の住まう屋敷の侍女として働けることになったようだ。
ハティは助けてもらった恩返しのため、真面目に頑張っていた。
元お嬢様だからと冷たい目で見られても、きちんと仕事することで評価を得ようとしていた。
なのに、そんな彼女をアリサは自分の引き立て役――というかサンドバッグとして使った。
聖女服を破いたり、ベッドに虫を入れたり、食事に髪の毛を入れたり、実に低俗な嫌がらせ(おそらくすべて自作自演)を彼女がやったように見せかけ、周りの同情を買いながらも彼女を許すことで聖女としての格を上げ、自身の地位を確固たるものにした。
冤罪を何度も何度も押し付けられたハティは、過去のトラウマとアリサの横暴により、徐々に憔悴していき……ついに耐えきれず心を壊してしまった。
だが、文字通り魂の抜け殻と化しながらも、ハティは生きたいと願っていた。
だからだろうか。
暴漢に刺されて死んだ(と思われる)私の魂が、同じように生への執着を抱えた彼女の体に入り込んだみたいなのだ。
たとえるなら、スマホの予備バッテリーみたいな感じだろうか。
つまり、今の私は完全に異世界に転生した存在ではなく、他人の体に憑依しているだけで、いわば仮住まい状態だと推測される。
もしも彼女の心がよみがえれば、あるいは肉体が滅んでしまえば、私は本当に死んでしまうのだろう。
彼女の境遇には同情するけど、あんな悪女にお仕えするなんて無理難題もいいところだ。今すぐ出て行って違う仕事を探すべきだが、この世界にくわしくない私が一人で生きていけるとも思えない。
かといって、やけを起こして自殺して、全部終わりにできるほどの勇気はない。
一度死んだとはいえやっぱり死ぬのは怖いし、こちらの都合でハティの生存願望を破壊すれば、永遠に彼女に恨まれるだろう。
自己愛が強い小心者である私は、仕方なく現状維持を続ける決意をした。
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