フラれる英雄



 エリアスから体術の手解きを受けてから二日後のことだった。


 遂に俺は領主への対面を果たし、報酬をその手にすることが出来た。


 領主はもの静かで、仕事の出来るおっさんと言った感じの人物だったが、特に俺の要望にケチを付けるワケでもなく、報酬を値切ると言ったことも無かった上に、どこの馬の骨とも分からぬ平民の俺に謝辞まで述べてくれた。


 正直報酬を出し渋ったり、金が欲しければ軍医になれとまで言われるものかと思っていたが、俺の要望を全て受け入れた上で、俺の開業を応援してくれるとまで言ってくれたのだ。



 ◇



「いい領主様だな。少し寝不足気味に見えたけど」


「難民問題、モンスターの増殖。民を第一に考えるあの方は寝る間も惜しんでいるに違いない」


 帰り道、俺を街の門まで送ると言い出したエリアスは、俺の言葉に苦々しい表情でそう答えた。


「……そうだ。この服の代金を渡すよ。報酬も手に入ったし」


 俺は暗い雰囲気をどうにかしようと話題を変えることにした。


 今俺が着ている服は、以前血や泥にまみれたボロではなく、貴族たちが身に纏うような高価なものだ。


 領主にお目通りするのだから絶対にそうした方が好印象だ、とエリアスに半ば強引に押し切られて買うことになったのだ。


 まだそんな金はない、と言ったら代わりに彼女が代金を払ってしまった。


 余談だが、その時俺は初めて鏡で自分の顔を見た。以前の俺の面影の全くないその顔に、改めて生まれ変わってしまったことを実感したものだ。


「……いい。私から、キミへの礼だ」


 彼女は珍しく、いや……初めてかもしれない。優しい微笑みをたたえて俺の目を見た。


「初めて、だな……あんたが笑うの」


「む、そんなことはない。まぁ、ヘラヘラしていては騎士の威厳が無くなるから、気を付けてはいるが」


 彼女は口許を手で隠しながら目を逸らす。


「何だよ。普通に笑った方が可愛いのに」


「や、やめろ。可愛くなどない。第一、騎士に可愛さなど必要ない」


「なんでさ。無理して自分を偽る必要なんてないだろ」


「無理なんかしていない。そもそも無理しなくても私は可愛くなど──」


「美しくて、気高くて、優しい。それがエリアスの本当の姿なんだと思う」


「…………」


「……なんだよ?」


「また、貴様は……! そんな歯の浮くようなセリフをポンポンと!」


 顔を真っ赤にして怒ったような顔を作るエリアス。


「本当にそう思っただけだ。まぁ、一応そう思う男がいるってことは、覚えておいて欲しい」


「……変な男だな、キミは」


 観念したように大きな溜息を吐くエリアスだったが、その表情は固さが取れ、ありのままの彼女を感じさせるものだった。


「じゃあ、ありがたくこの服は貰っておく。でも次にこの街に回診に来た時に、奢らせてくれ」


 ……俺がそう言うと、彼女は目を丸くした、と思ったらプっと吹き出した。


「まったく……よくもそう、口説き文句がツラツラ出るものだ」


「別に口説いているワケじゃない。まぁでも、たまに来ては一緒に飲みながら愚痴を聞いてもらって、あんたの愚痴を聞かせてもらいたいなって、なんとなくそう思っただけだ」


 これは俺の本音だ。何というか、俺はエリアスという人間を結構評価している。不器用で、でも責任感があって、面倒見のいい、尊敬できる人間だと思ったのだ。


「分かった。私が生きて任務から帰って来れたら、な」


「え……何言ってんだよ?」


「近々、モンスターに奪われた村の奪還作戦が展開される。傭兵や、志願者を募っているが、厳しい作戦になることは間違いない」


「なんで、そんな急いで……無茶だよ」


「国王や各領地に支援を申し出たらしいが……それでもそんなに長い間、全ての難民の衣食住を賄い続けることは出来ないんだ……この領地自体が終わってしまう」


 彼女は優しく、だがどこか達観した笑みで静かに呟いた。


 不治の病を抱えて、自分の余命を悟った患者と同じ、本当は怖くて、叫び出したいのに、そうしてもどうにもならないからと、受け入れるしかない者の瞳で。


「すまない。民間人のキミに言うことではなかった。忘れて──」


「俺が……っ!」


 俺は思わず彼女の手を掴んで、何かを叫びそうになった。


「──駄目だ」


 俺自身何を叫ぼうとしたのかは分からなかったが、エリアスはそれを予想したようだ。険しい顔で短く呟いた。


「…………」


「やはり言うべきではなかった。未練がましくて、女々しい……情けないな」


「女のあんたが女々しいって……何の冗談だよそれは……! やはり俺も……! せめて、その戦いが終わるまで──」


「キミには、帰りを待っている人がいるのだろう? その人の為にこの街までやってきた。違うか?」


 子供を諭す大人のような彼女の声に、俺は何も言えなくなった。


 ただ少しでも力を弛めたらすり抜けていきそうな手を、力を込めて握るくらいしか出来なくなった。


 何を言えばいい? と自分に問いかけてから俺は酷く自分を罵りたい心持になった。


 ……馬鹿か俺は。何の為の能力だ。


「俺は、あんたと一緒に──」


 彼女の顔を見、そう言おうとしたところで、視界の端を見覚えのある人が通った気がした。


「──ミル?」


 間違いない。ふらふらとした足取りで、村へと続く街道へと歩を進めるその背中は、ミルのものだった。


「エリアス、待っていてくれ!」


 そう言って俺はミルの背中を追いかけた。


「ミル!」


 そう叫んで俺は彼女の肩を掴む。


 振り返る彼女の表情は虚ろなものだったが、俺を視認すると、その瞳が大きく開かれた。


「タイト……さん?」


「ああ。ミル……どうしてこんなところに?」


「私は……仕事を、探しに……」


「仕事?」


 俺が予想外の展開に呆気に取られていると、彼女は俺を上から下まで見渡した後、また虚ろな表情に戻った。


「……タイトさんこそ、こんなところで何をしているんですか? そんな、綺麗で、高そうな服を着て……!」


「これは、領主様に会う為に用意したものだよ。それより、ミル……大丈夫だったか? あの後、ろくに会話も出来ないまま、離れ離れになってしまって……」


 仕事ってどういうことだよ、と早く問い詰めたい気持ちをどうにかして抑え込みながら、俺はそう問い掛けた。


「……ええ。最初は泣き続けていましたけど、テウマがずっと傍に居てくれましたから」


 ……テウマ? なんでそこであいつの名前が出てくる?


「タイトさんはすぐに戻ってきてくれるって、そう思ってましたけど……こちらでの生活を随分と楽しんでいたようですね。こんな往来で女性の手を握ったりして」


 ……まずい。これは……やばいぞ。


「そんなんじゃないよ。彼女は恩人なんだ。彼女が紹介してくれたから俺は領主様に──」


 そう言って俺はエリアスの方を見る。


「あ……」


 エリアスは、俺に背を向けて歩き出しているところだった。


 彼女が、行ってしまう……!


「恩人……。そうですね。タイトさんは私にとって、命の恩人です。あなたも、私のこと恩人だって言ってくれましたね」


「え? あ、ああ」


「じゃあ、これで、おあいこですね。これで清算は済んだってことですね?」


 何を言っている……? なんで俺の話を聞いてくれない?


 少しずつ小さくなっていくエリアスの背中が無性に気になって、俺はミルとの会話に集中出来ない。


 俺の知っている彼女との相違に、酷くイラつく。


 あぁ、もう……!


「まだ、返し終わっていない……!」


 俺はそう言って彼女の眼前に報酬の入った袋を差し出す。


「俺は、この金を稼ぐ為にこの街に来たんだ。モルを守れなかった、お詫びに。キミ達の家族であり、生きる為の牛を奪ってしまった償いに……!」


 完全に失敗した。自分で分かった。


「お詫び……償い……」


 彼女が言って欲しい言葉は分かっていたし、見えていた。


 でも俺は、授業で教師に命じられた教科書の音読のように、感情も無しのただ読み上げるだけの言葉を吐きたくはなかった。


 何かが、完全に終わった。俺が終わらせた。


 彼女は、馬鹿にするなと叫びたかったに違いない。


 俺だって、誰の為に頑張ったと思ってるんだ、と叫びたかった。


 でも彼女は言葉を飲み込んで、歯を食いしばりながら金を受け取った。


 俺も誤解を解くことを諦め、彼女に金を渡した。


 これらの行為が、輝かしいと思っていた俺達の出会いや思い出を、忌々しい記憶に塗り替えてしまうと分かっていながら。


「手切れ金……ですか?」


 彼女は俺に憐れまれたと思っただろう。憐憫れんびんから施しを受けたと受け取っただろう。自嘲するように笑う仄暗いその表情が物語っていた。


「どう思っても構わない。キミが身体を売るようなことにならないのなら、それでもいい」


 ミルが眉間に皺を寄せる、その反応で分かった。


 実際のところ、そういうつもりだったのだろう。彼女の瞳には覚悟というか、一種の諦めの色があった。


「どうも……ありがとうございました……っ! お元気で……っ!」


 そう言ってミルは走り出した。


 ……どうして?


 それはミルにではなく、自分への問いかけだった。


 その気になれば今からだってミルに追いついて、彼女の望むように思い切り抱き締めながら、情けなく誤解を解いて、甘い言葉を囁き続ければいい。


 でも、どうしてもそうするつもりになれなかった。


 彼女と結ばれて、彼女の村で開業して、子供を儲けて、家族で慎ましく暮らしていく。


 そんな夢は、粉微塵に打ち砕かれた。


「こんな力持ってるのにフラれるとか……馬鹿じゃないのか? なぁ……坂本?」


 そう呟いて俺はふらふらと、情けないことこの上ない足取りで、エリアスの後を歩き出した。


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