ミル
「本当にありがとうございました。タイトさん」
牛を従え俺の隣を歩く、ミルと名乗った少女が碧い瞳に喜びを浮かべ、そう言った。
今、俺の腰には彼女から受け取った手拭いが巻かれている。
布は偉大だ。一枚の布にこんなに助けられているなんて、以前の俺では知りようもなかった。変態から文明人へとクラスチェンジした気分だ。
今、俺達は彼女の村へと向けて歩いている。ミルは俺にお礼がしたいとのことだし、俺としても俺を文明人たらしめている根拠が一枚の手拭いだけだなんて、あまりに心許ないので、ありがたく彼女の好意に甘えることにしたのだ。
「でも、記憶喪失だなんて……大変ですね」
さすがに本当のことを話しても、せっかく解けた警戒心を再燃させるだけだと判断した俺は、目が覚めたら全裸で、かつ記憶を無くしていて、自分の名前以外何も思い出せないのだと嘘を吐いた。
身ぐるみを剥がされたというのは、ミルを落ち着かせる為にとっさに吐いた嘘だというのと合わせて、そう説明をしたのだ。
「しかし、ミルさんが無事で本当に良かったよ……あぁ、モル、キミもね」
抗議するように鼻息で主張する牛に向けて、俺は下手くそな愛想笑いを浮かべる。
「タイトさんのおかげです。元はといえば、私が柵の鍵を閉め忘れていたせいで、こんなことになったのに……本当に、何とお礼を言っていいのか……」
そう、どうやら彼女はこの近くにある村の牛飼いの娘なんだそうだが、今は身体を壊した父親の分も一人で牛たちの世話やら父親の看病をしており、その激務の中で、つい牛を放している牧場の門の鍵を閉め忘れてしまったんだそうだ。
その隙に逃げ出してしまったモルを連れ戻しに来たところで、先程の怪物……ゴブリン共に追い立てられ、崖から滑り落ちる家族を見つけた、というところだったらしい。
危ないところだったな……もう少し遅かったら、牛もろともに化け物に蹂躙される彼女を見つけてしまうところだった。
異世界に来て最初に目の当たりにする光景としては壮絶すぎる。トラウマものだぞ。
「本当に無事でよかったよ……もし、あなたみたいな、その……可憐な女性が、酷い目に遭うのを助けられなかったなんて思ったら、俺は自分を許せない」
「そ、そんな……可憐だなんて。タイトさんは、街にいる貴族や他の美しい女性の記憶がないから、そう思うんです……私なんて、牛の世話ばかりしてて、泥まみれだし、臭いし……」
「確かに他の女性の記憶はありませんが……少なくとも今、俺の目に映っているのは、父親の分も頑張ろうと一生懸命に生きている、美しい
……誰だよこの口の上手い軽薄男は、と自分でも思ってしまうが、勿論これはあのクソ女神から授かったスキルのおかげだ。
ミルが自分を卑下しながらも、心の底ではこう言って否定して欲しいのだという言葉が、視界に浮かんでいるのを読み上げているに過ぎない。
これ、以前の俺だったら、絶対、必ず、間違いなく、察せていない。断言できる。
「……そんなこと、男の人に言われたのは……初めてです」
ミルは真っ赤な顔で瞳を潤ませ、恥ずかしそうに俯いた。
俺がこれでいいのか若干不安になっていると──
「その……タイトさんも、素敵な方だと思います……よ?」
──小さな、本当に小さなか細い声で、ミルはそう言った。明らかに最初に会話していた時より声が高い。
……おいおいおいおいおい。チョロすぎやしないか!?
こんなに簡単なものなのか!?
これはこの世界の女性が熱しやすい性格なのか、ミル自体がそういうことに慣れていないから
「…………」
もしかして、もしかしてだが。
これは決してあのクソ女神に感謝するとか、あのアホ女を肯定する意味ではないが。
これまで俺が、最も苦手としていた分野で最強になれてしまう、とんでもないスキルを授かってしまったのではないだろうか?
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