辻の占い師

「本当、光一の言うとおり……」


 うっとりとした声音でミツルが言う。けれども光一の方なんかこれっぽっちも見はしない。宿に荷物を置くとすぐ、宿を飛び出るようにしてミツルが行きたいと言ったのがこの通りだった。


 ミツルは宿の亭主に聞いたのだ、――ねえ、服屋さんが集まってるところってないかな――と。確かにここは、日本で言うところのファッションストリートのようだった。通りに面する大きな窓の中に、人形を立たせて店の商品を着せている。世界が違っても商売の遣り方は似通ってしまうものなのか、そんな店が立ち並ぶ様は、日本の都会とあまり変わらないようにさえ見えた。


 そしてミツルはあっちこっちの店のショウウィンドウを覗いてはうっとりと見入っているのだった。


「ここは首都なんだもの。国境の街のあのワンピースより素敵な服がいっぱい……」

「あのさ、ミツル。君は今男の子の格好なんだからさ、あまりしげしげと見入らないほうがいいんじゃないの?」

「あら」


 ミツルは光一に振り向きもせず答える。


「さっきから男の人だって女物の服を眺めているじゃない」

「まあね……」


 背の低いお爺さんと背の高い若い男が連れ立って女物の服を見ている。光一達が気付いたときからずっとこの通りにいて、光一達同様あちこちの店の前で立ち止まる。今は、ミツルの見入っている店の隣の店に立っていた。


「やあ」


 光一が彼らに視線をやったかやらないか、そんな瞬間に向こうの若い男の方が話しかけてきた。鼻が高くて眼窩が窪んでいる。しかしその顔立ちは端正に整っている上、どこか眼光鋭く猛禽類を思わせる風貌だった。ただ光一はこのような顔を見たことがあるような気がした。これほど美男子ではなかったけれど。


 声を掛けられて、ミツルも驚いてその二人連れを見た。その猛禽類はミツルと視線が合うと、心底愉しげな笑みを浮かべた。光一の心に小さな敵愾心が生まれる。――なんだ、こいつ――。


「『海から来た者』を連れて買い物かい?」


 明らかに光一よりミツルに興味がある様子で彼が話しかける。


「僕達、この街が珍しいから見て回っているんですっ」


 光一が、「僕達」に力をいれ、あくまでも服だけに関心があるわけじゃないと強調して答えた。だのに猛禽類は光一を一瞥さえしない。


「『僕達』ねえ。ふうん」


 猛禽類は相変わらず面白そうにミツルだけを見ている。こいつはミツルが女の子だって見抜いているんじゃないか。光一は思った。


「ミツル、行こう。他にも見たいものが一杯あるんだ。早く行かないと日が暮れてしまうよ」


 光一はミツルの腕をとって立ち去ろうとした。ミツルも得体の知れない他人に目を付けられたからには仕方ないと、服を見るのを諦めた。黙って離れていく光一とミツルの背に、猛禽類は声を掛けた。


「よい旅を! ミツルお嬢さん」


 二人はぎくりと振り返る。猛禽類は愉しそうに笑ったまま、二人に手を挙げてみせ、老人に促されて通りの向こうへ歩き出していった。


「……ばれちゃったみたいだね……」

「でも、何も訊かなかったわ。この街にはいろんな人が集まっているもの。男の子の格好の女の子がいても大したことないのかもしれないわ」

「そんなことないよっ。アイツ、君のことしげしげと見つめていたじゃないか。ニヤニヤ笑いながらさ」

「そお? 感じのいい人に見えたけど?」

「でも、アイツ……」


 光一がなおも言い募ろうとするのを、ミツルが制した。そして通りの先を指差して言った。


「見て、コーイチ。あそこに辻の巫女がいる……」


 二人がいる通りが、三ブロックほど先で大通りと交差している。その通りと通りの交差する真ん中に人だかりがしている。馬車や行き交う人々も、その人だかりを丁寧によけていた。そしてその人だかりの中心にあの黒ずくめの巫女がいたのだ。


 黒マントを頭からすっぽり被った皺だらけの老婆が、彼女の前に跪く男に何か言って聞かせている。男は頭を垂れて老婆の話に聞き入り、時折深く頷く。そして最後に深々と一礼すると神妙な顔で立ち上がり、雑踏の中に消えていった。


「ほら。私の読んだ本によると、辻の巫女というのはああやって道の交差する地点に立って、行きかう人々に予言を告げるのが本業なのよ」

「へえ……」


 ミツルと光一は辻に向かって歩を進める。


「来たね――」


 辻の巫女が光一達にそう声を掛けた。二人は驚く。辻に近付いているとはいえ、辻の巫女からはまだずっと離れている。それに巫女は人に取り囲まれており、二人の姿は取り巻く人々の間から、ちらちら見え隠れしているようにしか見えまい。それなのに、この目の悪そうな老婆は早々と二人の存在に気付いた。


 それに、この声。巫女はもごもごと口をうごめかせているだけなのに、耳元ではっきりその声を聞くことができる。


「とうとう来たんだね。この辻に……」


 二人は辻の巫女の許に駆け寄った。人ごみを掻き分け、巫女のま正面に立つ。ミツルは硬い表情で巫女を見下ろしている。光一は、周囲の人々の批判めいた視線を気にして膝を付いた。そしてミツルの服の裾を引っ張って彼女にも跪くよう促す。


「お前はもう辻に来て、曲がり道を曲がってしまった。もう後へは引くことはかなわぬ」


 巫女は椅子に腰掛けたまま、跪くミツルの顔を痛ましげに見つめながらそう言った。皺だらけの顔の表情にも、白く濁った瞳に今は緊迫した色が浮かんでいる。


「前に会った時、私のことを『戻ろうとしている』って言いましたよね」


 ミツルも巫女の気迫に負けまいとするかのように、首をすうっと立てて答えた。巫女はゆっくりとしたまばたきを、頷きに代えた。


「でも。その時も、今も私は『出て行く』つもりであるのは変わらないわ」


 傲然、とも言えるミツルの態度だった。けれども、巫女は気を悪くするどころか少しだけ眉を開いて言った。


「よく誤解されるのじゃがね。道というのはただ在るのではないのじゃよ。その道を歩む者の心のありように合わせて、道は現れ出づるのじゃ……」


 ミツルはワインレッドの瞳を強く光らせ、口の端を上げて見せた。


「私は、道というのは自分で切り開いていくものだと思ってる。だからここまでこれたのよ。これからだって、そうするわ。ええ、そうしてみせる」

「どうかその強さを正しく使っておくれ。良き友人の諫言を聞きながら……」


 ここで辻の巫女は視線を光一に向けた。娘を託す母親のような――そう、あの浜辺の村で娘を見送ったマイアのような表情が、彼女の顔にあった。光一は居住まいを正す。


「どうかこの者を助けてやっておくれ。この娘が自分を見失わないように」

「はい……」


 光一は真面目な顔で答えた。隣でミツルが心外そうな顔をしている。巫女は再びミツルに顔を向けて言った。


「どうか良い旅を。ミツル、そしてコーイチよ」

「有難う」


 赤く目を光らせながら、野生の豹のようなしなやかさで彼女は立ち上がった。光一も慌てて立ち上がり巫女にぺこりとお辞儀した。そして二人は、彼らの後ろで巫女の託宣を待っていた者に場所を譲って、その場を離れた。



 日が傾き、夕刻が近付こうとしていた。ミツルと光一は市が立ち並んでいた広場のベンチに黙って座っている。二人とも背もたれに身を預けてだるそうに市の名残を眺めていた。


 早々と店じまいをして姿を消した店もあれば、どんどん値を下げて肉や魚などの生鮮品を売り切ってしまおうとまだ残っている露店もあった。広場はそんな店々を巡って夕食の材料を揃えようとする客で未だ人通りは多かったが、昼間に比べるとずっと閑散として見えた。


 ミツルは黙っている。光一も口を開くのが億劫だった。日の暮れる少し手前のこの時刻は、その日一日の心身の疲れがもっとも昂じ、底の抜けるような寂しさを招く時刻でもある。


 市の後のゴミを漁りにきた野犬が遠く吼えた。光一はそれに眉を寄せてミツルを見たが、ミツルはぼうっとあらぬ方を眺めている。彼女がさっきから無言なのに光一は落ち着かない気持ちとなり、話題を作って話しかけてみた。


「ねえ。あの模様ってなんなんだろう?」

「模様?」

「ほら、あちこちの建物の壁に似たような感じの模様が描いてあるだろう?」

「ああ」


 ミツルは光一の指差す先を見ると、背もたれから身を起こして答えた。張りのある声だった。


「文字よ。これがこちらの世界の文字」

「へええ。じゃあ、壁に書いてあるのは……」


 ミツルは一つ一つ指で指し示しながら読み上げる。


「あれは『肉屋』。あれは『金物屋』。一軒あいて隣が『ハイゼット』、おそらく店の名前なんじゃないかな。下に細かい字で書いてある、『空き家・空き部屋お知らせ下さい』って。住居の貸し借りを仲介する店なんじゃないかしらね」


「――ご名答」


 ミツルと光一はベンチから跳ねるように立ち上がって後ろを振り返った。後ろに、あの猛禽類のような若い男と老人が立っていた。


「貴方たち、誰?」


 さすがに今回はミツルも警戒している。何者だ、お前たちは。


「文字が読めて、男の格好をしている君の方こそ何者なのか、僕は知りたいなあ」


 若い男は、軽やかに笑いながら返事ではなく問いを寄越した。


「私が文字を読めるのが判るって言うなら、貴方も文字が読めるってことでしょう? おかしいわ。何者なの、貴方」

「どうして我等が字を読めるのか」


 ここで若い男は言葉を切った。彼のとび色の瞳にからかいの色が浮かぶ。


「帝国軍の将官が字も読めないようでは困るだろう――?」


 軍人。光一が全く相対したことのない職業だ。だが、ミツルは即座に否定した。


「貴方が帝国軍の将官? 兵卒じゃなくて将官だというの? まさか。貴方はどう見たって『浜辺の者』じゃない。『浜辺の者』なんかが、神聖なる帝国軍の将官になれるわけないわ」


 ああ、そうか。光一は納得した。どこかで見た顔立ちだと思ったら、そうだ、「砂浜の村」の住人達がこんな顔立ちをしていたのだ。


 「浜辺の者」という被差別身分を暴露されても、彼は動じることなく飄々と受け流した。


「でも、してくれた方がいるのだからしかたあるまい?」


 隣の老人が苦々しげに口を開いた。


「我々は『彷徨える皇軍』なのじゃよ。あちこち旅をしている内に、こんな者まで拾う羽目になってしまったんじゃ」


 老人は心底忌々しげに男を見るが、男はこういう視線には慣れっこなようだった。


「『彷徨える皇軍』って何?」


 ミツルが眉間に皺を寄せて訊く。それを見て光一も緊張する。ミツルはこの世界でもかなりの物知りだ。体験したことは少なくても、本で読んだ知識は大量にある。そのミツルが知らないその「彷徨える皇軍」というのは一体なんなのだろう。


「おお、これは喜ばしい」


 若い男が芝居がかった様子で手を叩いた。パンパンパン。


「爺さん、爺さんの昔話を聞いてくれる者が現れたぞ!」


 ミツルが胡乱な者を見る目で彼を見た。彼は相変わらず軽やかな笑みをミツルに向ける。


「文字が読めて、男装してまで旅をしてきたお嬢さん。それなのに『彷徨える皇軍』を知らないのは困ったものだ。きっと我が帝国の我儘皇女のことも知らないんだろうなあ」

「知らないわ。でも、それで誰が何故困るわけ?」


 苛立ちを募らせるミツルをおかしそうに眺めて彼は言う。


「我々さ。我々は君たちを雇い入れようとしているからだよ。雇用主の事情は飲み込んでおいて貰わなくちゃ」

「はあ? 私が貴方達に雇われる、ですって? そんなこと、いつ誰が決めたのよ?」

「今、この僕が、決めた」

「……っ」


 ミツルが怒鳴り声をあげる直前、絶妙なタイミングで彼は続けた。


「もちろん、この爺さんの話を聞いた後に君たちが決めればいいんだよ」


 ミツルは、この男の相手をするのが馬鹿馬鹿しいと思っていることを露にして、老人の方に顔を向けた。老人が説明する。


「何せ、我等は皇都に戻れず彷徨わねばならんのでな。ぽろぽろと兵士が辞めてしまって、人手不足なんじゃよ」

「僕達、『海から来た者』と女の子なんですよ? 兵士になんてとてもなれません」


 光一が慌てて首をふる。


「戦力なら間に合っている。むしろ優秀な軍人だからこそこの皇軍に集っているのさ。問題は兵糧係なんかをしてくれる人間だ。こんな爺さん一人じゃいろいろ困ることが多くてね」


 若い男は相変わらず立て板に水を流すように話を進める。


「まあ、夕食でも一緒にいかが? そして、この爺さんの昔話を聞いてやっておくれよ。君たちにとっても悪い話じゃないと思うよ」


 ミツルと光一は顔を見合わせた。あの砂浜からこの街までの旅の間に、何も言わなくても相手の行動が互いに分かるほど二人の呼吸は合うようになっていた。ミツルが二人分の答えを返す。


「とりあえず、お話は聞かせてもらうわ」

「良かったな、爺さん。今夜はたっぷり昔話を聞いてもらえるぞ」


 若い男は、こう言って老人の背を叩くと、快活な様子で歩き始めた。ミツルと光一は彼らの後に従った。


 この若い男こそ、ミツルの――そして光一の運命の道を大きく変えてしまったことに、その時の二人はまだ気が付いていなかった。

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