尖塔の街
二人は「尖塔の街」へ入っていった。石畳にも建物にも、この国の山で採れるらしい明るい灰色の石が使われている。初夏の眩い日差しを柔らかに跳ね返しながら、広々とした道路に堂々たる建物がどこまでも並んでいた。
「石の国」は産業が盛んな商人の国で、どの街にも最低一箇所は商工会議所のような建物があり、その建物には高い塔がついていて、日時計や鐘、風見鶏などが取り付けられる。そんな知識をこれまでに二人は得ていた。
ただ、今まで旅して来た街はそんな建物は街に一つか二つしかなかった。けれども、この「尖塔の街」にはそんな建物がいくつもあるようで、高い塔があちらにもこちらにも聳え立っている。塔の先端には意匠を凝らした金の飾りがとりつけられており、夏の初めの明るい日差しを受けてキラリと輝いている。
街の中心部に向かうにつれて、二人は建物ばかり見ているわけには行かなくなった。街のところどころに広場になっている場所があり、そこにはぎっしりと露店が並んで市が開かれていた。行きかう人々の数も半端ではない。光一が思わず東京の雑踏を思い起こすほどの混みようだった。
二人は何とか、這い上がるようにして人の海から逃れた。そこは、空を高々と衝き上げる尖塔を持ち、堂々たるファサードでもって広場に君臨する巨大な建物の基壇の階段だった。そこに二人はやや呆然といった態で腰を掛け、しばらく喘ぐように息をしていた。
「すごい……私、こんなにたくさんの人が集まっているの見たこと無い」
「僕のいた世界では、これくらい人が混むことはあるんだけど……。こんなにいろんな人がいるのは僕も初めてだよ」
光一はまだ海外に旅行したことは無い。でも、どこにいってもこうまで多彩な人々が群れ集う様は見られないんじゃないかと思う。
背の高さも、肌の色もさまざまな人たちがあちこちにいる。顔立ちも今まで河沿いの旅で見かけた彫りの深い顔立ちとは別に、東洋人っぽい顔立ちもいるし、中東の人にも似た、彫よりも目の大きさが印象的な華やかな顔立ちの人々もいる。身に着けている衣装もそれぞれで、布を巻きつけて引きずるような人もいれば、立体的な服を最小限だけ身につけきびきび歩き回っている人もいる。色彩も、鮮やかな原色に染め上げたものもあれば、素朴な草木染ふうのものもあり、と様々だった。
「ほんと……いろんな人がいるわねえ……」
とミツルが未だぼうっとした様子で呟くのに合わせるかのように、二人の目の前にグラスが二つ差し出された。二人は驚いてそれを持つ手の主を見た。気の良さそうな男が二人に笑いかけていた。
「やあ。『海から来た者』が皇都に向かう途中かい?」
この男も「石の国」の人間よりもやや肌が色が濃く、それがまた彼の陽気な風体に似合っていた。この建物の傍で水瓶いくつか並べて、中の飲み物を売っている露店のおやじらしい。店のほうはその妻らしい女が店先で客の相手をしている。
「ゴレン酒はいかがかね?」
「ぼ、僕達未成年……ええっと子供だからお酒は……」
光一は慌てて手と頭を横に振ったが、男は大らかに笑った。
「酒ったって果実酒だよ。それに子供だっていうのは見てわからあ。水でたっぷり薄めてるから酔いやしないよ。飲みなよ。人に当たってへとへとなんだろうからさ。どうせお代は帝国府もちだろ?」
「貰おうよ」
ミツルは光一にそう声を掛け、光一の返事を待ちもせず男からグラスを受け取ると一気に飲み干した。
「ああ美味しい。僕、本当に喉が渇いてたんだ」
光一も、軽く頭を下げてグラスを手に取り口をつける。自分が思うより自分の身体はずっと水分を欲していたようで、彼はその酸味のある冷たい果実酒をごくりごくりと飲み込んでたちまちグラスを空けてしまった。
「美味しい。僕もすごく喉が渇いてたみたいです」
「自分の喉が渇いてるかどうか分からないほど呆気に取られてたんだな。どれ、俺もちょっと一休みだ」
そういって彼も階段に腰を掛けた。どうも店番を代わってもらい、自分が休憩する話し相手に光一とミツルを選んだようだった。
「どうだい。凄い活気だろう?」
男は誇らしげに言う。
「今日は何かのお祭りとか特別な日なんですか?」
光一が訊くと男は愉快そうに首を振った。
「違う違う。毎日だよ。毎日これくらい賑わってるんだよ、この街は。何しろここには帝国中の人と物が集まっているんだからな」
男は胸を張る。ミツルが探りを入れるように訊ねた。
「皇都よりこっちの方が集まる人が多いんですか?」
「皇都? 皇都は政の街だからなあ。俺も一遍だけしか行ったことはねえ。鬱蒼とした森に囲まれて、都に続く道もその暗い森の中に一本きりだ。街だって、皇宮をはじめ貴族の邸宅、あちこちの王族の仮宮、それから帝国府の建物がほとんどで、市なんてねえ。そこにお住まいの方々に物品を献上する出入りの商人はいるのかもしれんが、こっちはごく普通の商売人だからねえ」
彼はしばらく遠い目をしていたが、眼前の市に目を戻すとまた大きな笑みを浮かべて言った。
「政の中心は皇都だが、商いの中心はここ『尖塔の街』だよ。見ろよ、この市の大きさといったら。言っとくけどここだけじゃないぜ。この街中の百近い広場全部でこんな大きな市が毎日立っているんだ」
「それは凄いですね」
光一が素直に驚くのに、男はますます機嫌を良くする。
「な? お前さん達もここで一休みしたら、他の市も回ってみるといいさ。河沿いの街からはもちろん、河から離れた辺境の王国からも隊商を組んでいろいろな品が届くんだぜ」
「……隊商、ですか?」
男の言葉にミツルが素早く反応する。
「その隊商って、旅をしてここまで来てるってことですよね?」
「え? ああ、そうだよ。まあ帝国では原則旅は禁止だからな。いちいち皇都へ行って帝国府から免許状を貰ってこなきゃなんねえ。ま、免許を貰うにあたってはいろいろ言われんだけどな。例えば、旅は一年おきに限るとかなんとか」
でもな、と男はにんまり笑う。
「商人てのは、余所を出し抜いてナンボなんだよ。そんなお上の決まりなんかいちいち守ってなんかいやしねえよ」
「自由、なんだ……」
ミツルが呟く。どこか夢見るような調子で。
「おうよ。商人ってのは自由でなくちゃできねえよ」
男がそう答えるのに、光一が勢いこんで言った。
「あのう、僕……。これだけ活気のある街って初めて見るんです。多分あちらの世界にもこんなにいろいろな人や物が集まる街なんてないと思うんです」
「そうだろうとも、そうだろうとも」
男は大きく首を縦に振って頷く。
「だから……この街に長く泊まっていろいろ見て回りたいんですけど……」
「もちろん、宿代は働いて払います」
ミツルが急いで光一の言葉に付け加えた。
「おう。そりゃそうだとも。見なきゃ損てもんだよ、この街は。お上の目を盗んで客を連泊させてくれるもぐりの宿屋だって、一杯ある。どれ、一番近い宿屋まで案内してやるよ」
そう言って立ち上がった男の背中の後ろで、二人は目を見合わせた。
――やったね!
――よくやったわ!
二人は微笑んで頷きあった。
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