海から来た者

海から来た者

 光一が眼をさますと、寝台の脇に長い髪の少女が座っていた。寝台の横に窓があって彼女はそこから外を見つめていた。


 横顔しか見えないけれど、その少女はとても美しかった。ふわりと軽くウェーブの掛かった栗色の髪。一本一本がとても細そうで動けばさらさらと音をたてそうだ。そして、それに縁取られる顔の肌は陶磁器のようなきめ細かな乳白色。高すぎない、けれどすっと筋の通った鼻がツンと窓の外に向けられている。唇はふっくらと珊瑚色をして――でも、今は固くきつく結ばれている。

 

 そう。彼女の顔は各パーツの一つ一つが美しくそのバランスも完璧。全体に日本人より彫が深めで、よくできた西洋人形のように可愛い。しかし、決して彼女から人形のような印象は受けないのは、彼女の表情とその瞳の色のせいだ。

 

 彼女は口を固く引き結び、そして美しい造作の瞳にとても強い色を宿している。まるで眼前に彼女の敵がおり、それと対峙しているかのような緊張感に満ちている。

 そしてその瞳の色は――どうみても、深い赤色なのだ。まるで赤ワインのような。こんな色の瞳の人間なんて見たことがない。外国人にだって、青や緑はいてもこんな瞳の色の人なんていないだろう。


 いったい君は誰――。そう光一が訊こうとしたその時、光一の視線に気付いたのかその少女は振り向いた。そして眼光鋭く光一をしばらく値踏みするかのように見つめていた。


「元気そうじゃない」


 整った形の大きな目を一つ瞬きさせると、彼女はあっさりとした口調で言い、立ち上がった。そして扉を指差す。


「じゃ、あっちの部屋で食事して。どこにも傷はないし、お腹が膨れて一晩寝れば大丈夫でしょ。それなら明日、旅に出発できるわね?」


「あ、あの……」


 光一には何がなんだか分らない。今目にし耳にしているのが夢か現実かさえわからない。ただ、さっきから足がもの凄くだるい。浅い海の中を一晩掛けて歩いてきてやっと陸についたことは、今直面している事実と関係しているようだった。


 で、ここはどこなのだろう。そして、この女の子は僕を助けてくれたんだろうか。それにしては、あまり僕に関心なさそうだ。敵ってわけでもなさそうだけれども。聞きたいことはいっぱいあるのに上手く質問が出ていない。光一はまどろっこしい思いでやっとこう口に出した。


「あのう……。ここはどこ? 君は誰?」


「知る必要ないわ」


 予想外の答えに光一は再び混乱する。


「あなたは『海から来た者』なんでしょ」


「え? ああ、確かに僕は海から歩いて来たけど……」


「じゃあ、良かった」


 彼女は初めて笑顔を見せた。


「私ずっと『海から来た者』に会いたい、って思ってたのよ。願いが適ってよかったわ。さ、食事して」


 光一以外にも「海から来た者」という人がそれなりの数存在するような答えで、光一は少しほっとする。それでも、まだいろんなことが分らない。ただ、この少女は光一に積極的に説明する気がなさそうだ、ということは光一にも分かった。


「お母さん。『海からきた者』が目を覚ましたわ」


 少女は扉を開けて向こうの部屋へ、こう声を掛けながら出て行ってしまった。光一も慌てて後を追う。


 隣の部屋にはカマドがあり、そのそばの机や壁にいろいろ道具がぶら下がっていて台所に該当するスペースのようだった。部屋の中央には食卓らしい大きな机があって、お椀にスープのようなものが入っている。そして食卓の傍には女の人が立っていた。この女性も栗色の髪だけれども、瞳の色は常識の範疇のこげ茶色だった。そしてやはり色が白く、外国の人のように見えた。


「お母さん。やっぱりこの子は『海から来た者』よ。海から歩いて来たって自分で言ったもの。異世界から来た者に間違いないわ」


 ――異世界?


 彼女が光一を異世界の者だと言うなら、光一にとってこの少女も異世界の者だ、ということになる。

 光一は辺りを見回した。窓の外にはどこまでもどこまでも続いていく海。それがどこまでもどこまでも深くならず遠浅であることは自分がよく知っている。海のほかには砂浜。これも砂浜だけで人家が見当たらない。日本にこんな場所あるだろうか。あったとしてもごく限られた場所だけだろう。


 そしてこの人たちはどうみても日本人じゃない。それどころか、娘の瞳の色はどこの国の人間にも普通にはあり得ない色だ。


 大体僕は日本の自宅の近くにいたはずだ。自宅から海まで三十キロ以上ある。意識を失った理由がなんであれ、意識を取り戻したら海の中にいた、なんてことはありえない。何かとんでもない事態が生じなければこんな風に世界が変わるわけが無い。


 確かに自分は異世界に来たと考える方が、そうでないと考えるより理に適っている。でも……。それなら一体ここは何処なんだ? 僕はこれからどうなるんだ? 光一は、自分の頭の奥が白く冷たくなっていくのを感じ、眩暈で崩れ折れそうになるのをこらえた。

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