第14話 弟子を見る事師に如かず


 ◇



「何か訳がありそうだな。弟子よ」

「はい。実は、水城みずきの『伽藍がらん』の地下に、物凄い量の『九黒クコク』の気が溜まっているのがわかったのです」


 月桂はそこで一旦言葉を区切った。

 神樹の隣に座る明星に視線を向ける。


「明星、すまない。私はお主に詫びねばならないことがある」

「えっ?」


 すっかり懐いてしまった白孔雀の頭を膝にのせて、明星が戸惑うようにこちらを見た。月桂は神樹から聞いた話を鳳庵ほうあんと明星に語った。


 元は地震がきっかけだったが、西陵の地下にあった古い遺跡から、水城の『伽藍』へ通じる道が見つかった。

 その道の最奥には、あらゆる命が循環すると言われる場所――『命生メイセイの都』に行くために必要な、『八色の燈台の間』があるという。

 けれどその部屋の中には、触れただけで命を吸い取る『九黒クコク』の気が大量に溜まっていたのだった。


「先日、『伽藍』の地下から『九黒クコク』の気が出てきたのは、このせいだったのだ。私の弟……神樹たちが調査の為、扉を開けてしまってな。それで、久遠導師から聞いたが、地上に『九黒』の気を出さないために、明星……お前が結界を張って防いでくれたと。他にも多くの色命数士たちが命の危険にさらされた……知らなかったこととはいえ、申し訳なかった」


「月桂さん……そう。それが原因だったのか。まあ、今は久遠と一緒に張った結界が防いでくれているから大丈夫だよ。それに俺は月桂さんに川で倒れてたのを助けてもらったから、気にしないで」


「ふうん。兄者とあんたは、それで知り合ったのか」

「神樹。何が言いたい?」

「いや別に。悪い。話を続けてくれ」


 弟のにやけた表情が不気味だ。

 鳳庵もまた、同じような微妙な笑みを浮かべている。


「その様子だと、私の言いたいことがお分かりの様ですね。師匠?」

「そうだな。理屈から言えば、私の『命精筆めいせいふで』は『九黒クコク』の気を吸い込む。だがそれ程のは無理だな」


「なんですって?」


 鳳庵ほうあんは腕を組んだ。


「筆の軸に『命石いのちいし』が入っているのだがな、それがのだ。月桂は知っているだろうが……明星、お前に説明してやろう。『命石』は、色命数士の使う『命数筆めいすうふで』の中に、稀にできる生気の『結晶』なのだ」


「へえ……初めて聞きました。じゃあ、『命数筆』を集めてその中を見てみると、大きな結晶が入っていることがあるんですか?」


「残念ながら、『命石』ができる最低の年数は三十年と言われている。命数筆千本の中に、一つ結晶が見つかればいい方だな」


「なんだよ。そんなの、ないのと一緒じゃねぇか!」


 期待に目を輝かせていた神樹が、失望感も露わに叫んだ。


「師匠……それは、あんまりではないですか」


 月桂も恨めし気な視線で鳳庵を睨んだ。


「すぐ諦める。お前の悪い癖だな、月桂」


 月桂はぐっと膝の上に置いた両手を握りしめた。


「『命石』の力が足りないのですから、仕方がないじゃないですか」

「力が足りない? では補えばいいではないか」


 ふふふ、と鳳庵が低く笑った。その視線の先は明星を見つめている。


「そなた。その美しい白金のを少しで良い。分けてくれぬか?」

「ええっ?」

「明星の髪……?」


「私はそなたの中に、幾千もの命が光り輝くさまを見た。その髪で『命精筆めいせいふで』を作れば……『命石』の吸引力を高めることができるかもしれぬ。だが、その筆を使うのは……明星、人並外れた『生気』を持つ、しかできんがな」


 明星は結われることなく肩を流れる髪へ手を添えた。外の角灯ランタンの灯に照らされて、ほんのりと紅色に艶めく光を放っている。


「いいよ。髪ならいくらでも」

「ほう。ならばお前、作ってみせろ、

「私が……ですか?」


「ふふん。これ以上に素晴らしい素材はないぞ! 生気に満ちた明星の『髪』と『命石』。最強の組み合わせだ。きっと存分に『九黒クコク』の気を吸い込むに違いない」

「……確かに……」


 月桂は思案した。

 鳳庵の持っている『命精筆めいせいふで』は特に上質の『命石』が使われている。三十年どころではない。きっと導師の資格を持つ、色命数士が長い間愛用した筆の中にできた逸材だ。そして筆先は、光り輝く生気に満ちた『明星の髪』。命に引き寄せられる『九黒クコク』にとって、これほど魅力的な存在はないだろう。


「月桂。何をどうすればいいのか、お前ならわかっているだろう。私の『命精筆』はくれてやる。その代わり、『命精筆』を作ってみせろ」


「……ありがとう、ございます……」


 戸惑いがちに月桂は返事をした。これで『八色の燈台の間』を覆う『九黒クコク』の気を取り除く術が見つかった。

 月桂が作る『命精筆』と、それを使う明星次第だが。


「ああ、礼には及ばんぞ。だがどうしてもというのなら……そうだな、明星!」

「えっ? 俺……ですか?」


「私は筆作りをやめて、この屋敷で絵を描いて過ごしている。だからいつでもおいで。私の絵の題材もでるに使ってやるから」


「いえ~それは流石に、遠慮しときます……」


 苦笑いを浮かべながら明星が答えた。


「そんな! つれない事を言うでない。ただとは言わない。杏仁豆腐や胡麻団子、それに小籠包や黒蜜入りの冷たい豆花トウファ! そなたが食べたいものがあれば、なんでも、好きなだけ馳走するぞ」


「ええっ。それって……食べ放題?」

「もちろん。そなたのために用意する。欲しいだけ食べて行けばいいぞ」

 

 月桂は両者の間に割り込んだ。

 ぴしゃりと言い放つ。


「師匠、明星を食べ物で釣るのはやめて下さい!」

「ええ~でもだって……」


 くぅ。

 明星の腹が小さな音を立てた。

 明星が視線を落として自らの腹部を眺める。


「生気を奪われたせいか……お腹が減った……かも」


 白い頬を赤く染めて明星が苦笑いを浮かべた。

 月桂は明星の手を取った。


「明星。何か食べたいのなら、私が今から南天楼へ連れて行ってやる。ここ鳳庵はやめておけ」


「南天楼……南天楼かぁ! それもいいなあ。月桂さん、あそこの最上階って知ってる? 俺は入ったことないんだけど、久遠が店主に招待されたことがあって自慢してたんだ。とってもすごいらしいよ」


 誘惑の呪文にかかったように、明星の目がうっとりとなった。

 鳳庵は面白くないのか、急に眉間を曇らせて険悪な表情になる。


「なんじゃ月桂。それから明星。困っているお前たちを助けてやろうと、私が大事な大事な『命精筆』をくれてやったのに」

「報われないねぇ……お師匠さんよ」


 冷やかすように神樹が茶々を入れる。


「うるさい」


 ぎろりと神樹を睨みつけた鳳庵へ、月桂はやおら右手を出した。


「なんだ?」


 訳がわからない。黙ったまま鳳庵が月桂の顔を見返す。


「筆を……あなたが私に直して欲しいという、毛先が傷んだ絵筆を預かります。少し時間がかかりますが、今回のご協力のお礼に無償で修理いたします」


「そんなのだろうが。弟子の分際で師匠から金をとるなどあり得ぬわ」


 口ではそう言いつつも、まんざらでもないようだ。

 鳳庵は立ち上がると机へと向かい引き出しを開けた。そして、一本の絵筆を大事そうに取り出した。


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