第12話・・・ヴェネトラ3

人が走る足音がする。一人ではない。複数、いや、多数いる。怒鳴っていたり、大声を張り上げていたり、聞こえる情報量だけで何かが起こっているということは把握できる。

「んん…まだ暗い…陽も昇ってないじゃない」

大きな欠伸をすると、二段ベッドから降りる。同室だったマイラがいない。マノンはまだぐっすり眠っている。

「みろぉ~このぉ、むふ、ふひゃひゃはや、あひゃぁ」

「どんな夢見てんだろう…」

涎を垂らしながら寝言でハッキリと笑うマノンに、ミラはちょっと心配になった。

ドアを開け、廊下を見やる。住居区は落ち着いているようだが、工場現場の方が慌ただしい。

「あ、レイラ!」丁度走って来たレイラを呼び止める。

「あれ、ミラ。おはよう。ごめん、起こしちゃった?」レイラは和やかに挨拶をするが、ロケットランチャーを担ぎ、左手には工具箱を持っていた。穏やかではない。

「なんかあったの?」

「敵襲よ、敵襲!」レイラが興奮気味に言う。

「この前のリベンジよ。向こうから来てくれるなんて蟻地獄に落ちたも同然…」

レイラが不敵な笑みを見せると、マスタングが彼女を呼ぶ声が聞こえた。

「あぁ、行かなきゃ!ミラ、屋上にリアム達がいるから、外に行くならカーディガン羽織なさい!まだ肌寒いから」

「う、うん…」

颯爽と駆けていくレイラを見送ると、ミラは不安を覚える。多分、黄昏の正義だろうか。ミラは気持ちを落ち着かせ、まず何をするべきか考える。着替え、銃の装着、マノン…

「と、とりあえずマノン起こさなきゃ」

ミラは両手で頬を叩くと気合を入れた。


「敵はどこだ~!」屋上にマノンが飛び出し、柵によじ登る。

「バカ、危ないから降りろ」リアムがマノンの首根っこを掴み下ろす。

「リアム、今どうなってるの?!」

「おう、ミラ。おはよ。どうもこうも、囲まれ過ぎてて逆に清々しいくらいだぜ」

マノンは肉眼で目を凝らし、敵を捜しているが「見えない」と愚痴をこぼす。リアムはミラに暗視スコープを渡す。覗くと、確かに入り組んだ工場地帯を利用して警察やスーツの奴等が潜んでいた。

「ねぇ、敵ってやっぱり…」

「四十八区黄昏の正義だろうな」マスタングとレイラがやって来る。

「マスタングのおやっさん。周辺を見てきたが、ここ一帯は取り囲まれてるぜ。お嬢ちゃん達を逃がす道も無しってな」索敵をしてきたエアルが戻って来た。

ミラは全体を見渡すが、人影は見当たらない。暗視スコープで確認されない場所に潜んでいる様だ。それを見つけてくるエアルに、やはり刑事であった経験と、この二年で培った技があるのだろう。

「どうする?先手必勝する?コング砲っていう新兵器造ったの!あのゴリラにも対抗できるようにね」

レイラがウィンクをしてコング砲を持ち上げ紹介する。筒の大きさから、たぶん銃弾は砲弾だろうし、砲弾としても、魔弾としても、当たれば確実に死ぬ。

流石のリアムもちょっと引いた。

「ぶっ放そうよ、レイラ姉!」マノンがご機嫌にシャドーボクシングをする。

「やめろ!」リアムとマスタングの声が被る。

「えぇ~」レイラは残念そうにコング砲を床に下ろした。

「そんな物騒なモンぶっ放したらこの街にどれだけ被害が出ると思ってるんだ!よく考えないか!とりあえず、このまま待機だ。こちらが先に動けば、やっこさんの思うつぼだ」

そう、こちらが先手を打てば、公務執行妨害で商会の従業員、そして指名手配犯のリアム達を全員逮捕。最悪、正当防衛とケチをつけられ、こちらを殲滅しかねない。そうなったら、ますます立場が悪くなる。従業員を守らなければならないし、ラードナー家にも迷惑をかけてしまう。

「しょっ引かれたくなければ大人しく朝飯でも食ってろ」

そこに丁度、大皿におにぎりを大量に乗せたマイラと、同じく大皿に卵焼きと唐揚げを大量に乗せたレンが登場した。

「皆さん、おはようございます。朝ごはんができました」

「殿方、早くこのお皿を受け取って頂きたいのですが」

レンが重そうに持っているせいで、お皿が若干プルプルしている。ここらへん、やっぱりお嬢様なんだな、と思った。

「おぉ、ワリィ」

リアムは大皿を受け取ると、レイラが収納タイプの簡易テーブルを広げた。

「ここに乗せて。椅子は無いから地べた座りだけど。まぁ頂きましょう」

「おーい!お前達、スープ持ってきたぞ!美味いし、体も温まるぞぉ!」

ジルが金属製で出来たマグカップを人数分ぶら下げ、鍋にたっぷり入った温かいスープを持ってきた。

「腹が減っては戦は出来ん!ダァッハハハ!」

こんな時でもジルの音量は凄まじく、夜明けのヴェネトラ工業地帯に響き、こだました。

一部の黄昏の組織員が、温かいスープと聞こえてきて、羨ましいと思ったとか、無かったとか。


全員が食べ終わった頃。陽は登り街を照らす。

明るくなると、やはり見えてくる部分もあり、街が異様な空気に呑まれているのは確かだった。

「皆さん、失礼」

ジョーイがどこか不機嫌そうに現れた。

「相手さんから連絡がありましたよ。なんでも、我が社が指名手配犯を匿っているというタレこみがあったとか。要件は大人しく差し出せ。渡さないなら強行突破するとのことです」

「ふん。ここの奴等がレイラ達を売る訳無いだろう。デマ言いやがって。猶予は?」

マスタングが青筋を立て、時間を確認する。

「午前八時までだそうです」

「あと一時間か…ジル、例のアレ、準備できそうか?」

例のアレ、と訊いてジルとジョーイの眉がピクリと動いた。

「兄さん、まさか…」

「おぉ兄貴!一時間もありゃバッチリよ!」

「よし!なら始めるぞ!ジル、ジョーイ、用意は頼んだぞ」

マスタング三兄弟が笑いながら社内の中へ戻っていく。なんか盛り上がっている兄弟に、リアム達はちょっと怖くなった。

「あ、あれって?」

レイラがマスタングを引きとめる。

「秘密だ」

マスタングは大笑いしながら階段を降りて行った。


ヘスティアは用意された寝室から、椅子に座り外を眺めていた。その佇まいは洗練され、正に王女の風格である。明るくなり、敵が潜んでいるのが見える。エアルに屋上に一緒に行くか?と誘われたが断った。なんとなく、あのメンバーといると、自分が自分じゃなくなる気がしていた。絆されるというか、バカになるというか。気高く、王女として凛々しく振る舞っていた努力が崩されそうだった。はしゃいでも、お転婆をしても叱られない…。

ドアがノックされる。

「どうぞ」ヘスティアは身を整える。

「お邪魔するぞ、ヘスティア」マスタングだった。

「朝食、まだ取っていないだろう。マイラとレンお嬢さまがお前さんにって皿を分けてくれた」

プレートには、おにぎりと卵焼き、唐揚げ。そしてスープが入った器が乗せられていた。

「ありがとうございます」ヘスティアはプレートを受け取った。

「あと、お前さんなら使いこなせるだろう」

マスタングは、縦長のケースを持ち込み、ヘスティアに向けて開く。そこには柄の無い漆黒の剣が収められていた。

「これは…」

「剣…マジックソードだ。量産型で悪いが、勘弁してくれ。エアルから聞いた。実力は相当なものだと。それにご実家でも教わっていたとか…使い方は解るかな?」

「えぇ、習っていました。周りは反対していましたが、私は楽しかった…」

習い始めた頃は、お稽古事として教わっていた剣術。だけど、本気になっていくにつれて王女に相応しくないと言われ、取り上げられた模擬刀を思い出す。

「そうか。なら、これはヘスティアが持つべきだ」

差し出された剣に、ヘスティアは少し戸惑ったが、受け取った。

「ありがとうございます」

「気が向いたら皆と合流してやってくれ。喜ぶだろうよ」

そう言い残し、マスタングは部屋から出ていった。

ヘスティアはまた窓越しに来ると、椅子に座り直し、頬杖をつき外を眺める。なんだか賑やかになってきている。

「…合流してやってもいいかな」

ピンチなはずなのに、どこか楽しんでいる自分がいた。


「シリンダーとマガジンボックスで使い分けが出来るのか」

「他属性の魔力が必要な場合はその属性持ちの協力が必要になるから…マノンか、ヘスティアさんに魔力分けてもらっといたほうがいいかもな」

マジックウォッチで説明書を見ながら、銃の確認をするエアルとリアム。

「黄昏…もしかしたら、コアって奴も来るかもしれねぇな。用心棒って言ってたか」

「あぁ。エアル兄じゃねぇけど二度と会いたくねぇぜ」

コア。二人分の魔弾を放ってなんとか巻けた。今回は来ないことばかりを願う。

一方、ミラとマノンもレイラから銃の説明を受けていた。

「マノン大丈夫よね。前回のよりスムーズに装填やリロードも出来るわ。ミラについては…今回は護身用。たぶん、リアム達が前面に出ると思う。だから無暗に撃って味方に当たらないためにもね。こんなことになるなら、昨日射撃訓練少しでもやっとくんだった」

「ううん。私は、私に出来ることを探してやる。ありがとう、レイラ」

ミラは解っている。銃の扱いが難しい事も。大変なことも。リアムを見てきたから。最初の頃、リアムだって的に当たらず、撃った反動で尻もち突いたり、ひっくり返ったりすることもあった。男性のリアムであぁなのだ。鍛えていない自分なんて、引き金を引いたところでどこに当たるかも解らない、一種のギャンブルになる。

「なんか緊張してきた」

ミラの鼓動が速くなる。初めて戦いに参加するのだ。ふと、マイラが視界に入る。柵に手を置き、街を眺めていた。

「マイラ、どうしたの?」

「ミラさん。あそこ…」

視線の先には、マイラを攫った警官の二人組がいた。

「アイツ等…こんな所まで追ってきたの?ほんっとう、しつこい男共ね」

ミラが嫌悪の眼差しで警官を見る。それを見て、マイラはどこか安心した。あの男達にされたこと…未遂とはいえ、気持ち悪かった。怖かった。尊厳を殺されるかと思った。柵を握る手に力が籠る。

「…ラ、マイラ!」

「あっ、はい。なんでしょう」

「大丈夫?怖い顔してる…」

「大丈夫ですよ。これからどうなるのか、ちょっと不安だっただけです」

マイラが微笑む。それを見て、ミラは両腕を広げた。そして、思いっきりマイラを抱きしめた。

「…!ミラさん?」

「大丈夫!リアムやエアル兄がやっつけてくれるって!レイラもおっかない武器持ってきてたし、皆がついてる…それに、いざとなったら私も戦う。守るから」

マイラは抱きしめられるまま、目の前に映る光景を見つめていた。静寂で、街が起きる前の時間。これから何が起きるか解らない時間。あと数分したら戦場と化しているかもしれない時間。それでも。

(私は助けれてばかり…)

マイラはそっとミラを抱きしめ返した。

「私、メルカジュールランドに行った理由、ミラさんとリアムさん達と、最後一緒に遊びたかったからなんです」

「え…?」

「本当は、事件を目撃して外に出たくなかったけど。ミラさん達に会いたくなったんです。また明日って言ったのに、約束の場所に行かなかったら後悔しそうだったんです。そしたら、レイラさん達にも出会えて。行って正解でした。今も後悔なんてしていない。だから…これが終わったら、普通に、また皆さんと遊んだり、旅を続けてもいいですね」

「うん、遊ぼう。続きをしよう」

マイラは想像した。また皆で、プールで遊ぶ光景を。本物の海に行くのもいい。知らない国に行って冒険するのもいい。

「私も、出来ることを頑張ります」


時刻は七時四十五分。

「リアム、こっちに来てみろ」

屈んだエアルがリアムを呼び寄せる。リアムも身を屈め、エアルの隣に並ぶ。

「周りの建物に警官やスーツを着た奴等が配置に付き始めているぞ」

周りの建物を見ると、窓際から人影が確認できる。ラードナー家の息のかかった範囲で、しかもマスタングの影響力が強く、工場地帯の仕事仲間として絆が強い地区にしては、潜伏先を提供したのが奇妙に思えた。

「一体どうなってんだ?」

「摘発か公務執行妨害で脅されたところだろうよ…それよりリアム、工場の正面玄関ところを見ろ」

玄関前に、マスタング三兄弟が並び立つ。そして前方からヴェネトラの捜査一課長と二名の警官らしき男達。すぐ後にメルカジュールでマイラを誘拐した警官二名。その少し後ろを警官とは到底思えない、不思議な女性二名が並んで歩いていた。女性の歩き方は独特というか、ゆらゆらと身体を揺らしながら歩いていた。

「うぇ、あのメルカジュールの警官共もいやがる。てことは、ヴェネトラの警官達も黄昏の正義か?」

「その可能性は大だな…。あの嬢ちゃんたち、姉妹か?随分似ているが」

「この状況でも女かよ。つうか大丈夫かよ、あの二人…なんか気味悪いな」

リアムの言う通りだった。女性二人は、ゆれるタイミングこそは違うが、足の歩幅も歩くペースも同じ。ついでに足の出し方はシンメトリーになっている。

「でもまぁ捜査一課長までご登場とはな。もう黄昏がどこまで吸収しているか解らん」

「襲ってくる奴は全員敵だ」

警察ご一行は、玄関まで辿り着くと、捜査一課長がマスタングと何やら会話を始める。会話までは聞こえないが、穏やかではないのは確かだ。

数分してから、終わったのか、警察ご一考は引き返していく。マスタング達も工場内に戻る。その際、マスタングから中へ入れ、と顎で指示されたので、リアム達は中へ戻り、応接間で合流する。

工場内にも集合の合図の鐘が鳴り、中に待機していた従業員は食堂へ。厨房でお片付けついでにお菓子をつまみ食いしていたマイラとレンは応接間へ向かう。途中、ヘスティアと出会い頭に遭遇した。

「あ、ヘスティアさん。来てくれたんですね」マイラの表情がほころんだ。

「えぇ。一人でも多い方がいいと思いまして」

「さすがですわ、ヘスティアさん!」

レンは感動すると、ヘスティアが背負っているケースに気がつく。

「ヘスティアさん。そちらのケースは一体?」

「内緒です」

ヘスティアは悪戯っぽく微笑んだ。

マイラ達が応接間に入ると、ちょっとした騒ぎになっていた。

「マスタングさん、アイツ等なんて?」

リアムが問う。しかし、マスタングは溜息を吐き、ソファーにドカリと座り、腕を組む。

「アイツ等、厄介だぞ」

一体どういうことなのか。先を問いただそうにしても、マスタングは口を閉ざし考え込み、ジルとジョーイも黙ったままだった。

マイラとレンは、状況が呑み込めず、気まずそうに顔を見合わせた。

時刻は間もなく八時になろうとしていた。

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