3 幽霊からのプロポーズ

 リリエンタールが劉立誠リウ・リーチョンに初めて会ったのは、まだ市警本部にいたときだった。

 監察部を通じて指示されたアポイントメントの場所は、本部に隣接する歴史公園。すでに来ていた男は、リリエンタールの姿を認めると、先んじて挨拶してきた。

 受け取った名刺には、名前とともに<桃李苑とうりえん>とある。

「中国料理店を経営しとります。そして、こちらも」

 名刺をもう一枚わたされた。

 二枚目の名刺には、<ミナミ飲食業福利厚生会>とあった。共済組合のようなもので、工務店や配管業といった、飲食店舗にかかわる業者までを含めた加入者がいるという。

「さっそくですが——」

 自己紹介もほどほどに、立誠が本題を切り出す。

 南方面分署、松井田分署長の裏収入と<モレリア・カルテル>とのつながりをほのめかしてきた。さらに、カルテル内部からの情報提供者を紹介するという。

 その情報は、福利厚生会の会長の立場だけで得たのものなのか? リリエンタールは、穏やかな顔つきのオーナー兼会長を前にしばし黙考した。

「福利厚生会」を便利な立場として使っているとしたら——

 会う場所を公園のベンチにしたのは——

 個人的に調べたものも含め、集まった情報から推測すると、立誠が黒子となって動いているわけが納得できた。

 リリエンタールの勘でしかなく、根拠も弱い。憶測で見通しをたてることは自重しているが、それでも捨てられなかった。

 義賊的にみえる行動の裏に、真の意図がある。

「情報提供者保護の件で、検察は間違いなく管区の分署に泣きついてきよります。確実に使える手足として、南方面分署警ら課のリィゥ・フォンリィェンを薦めます」

「リュー……さん?」

 ピンインがうまく聞き取れず、もう一度訊いた。警ら警官を使えというのもに落ちなかった。それに、

「リウ……さんですか」

 目の前の男の血族なのだろうか。

「わたしと同じ姓の劉ですが、ちょっとした縁があるだけで、親族ではありません。ですから身贔屓をお願いしているのではありません。奉職するまえの劉風蓮リウ・フォンリィェンの軍歴や適性を、警察そちらの記録よりは知っている立場からです」

「…………」

 ありえない提案だった。どこまで話すかの様子見も兼ねて、その先を無言で促すと、

「単刀直入に言います。確実に片付けることができる警官に動いてほしいんですわ」

「〝一般人〟の推薦をうけろと? 警察の階級社会はご存知なはずです。制服を率先して出せという、ご提案自体が型破りですよ?」

「どうなさるかは、あなたの判断です」

 リリエンタールの辛辣な物言いも笑って流した。

「検察が泣きついてくると考える根拠は?」

「ミナミを地図ではなく、足を使って歩いてみれば、誰にでもわかることです」

 それだけだろうか。

 立誠独自の情報網をもって得た結果からの提案なのか? 訊いて答えてくれるものでもなかった。

「外野がでしゃばるなと無視するのが、まあ普通ですわな。そこを承知のうえで、話さしてもろてます。

 今回の事案には、クリーンで確実な手駒がいる。密告者が潜んどる状況にくわえて、相手は暴力で押し通すカルテルです。戦術チームSWATを使うにしても、小回りが効きませんやろ? あなたのようなお人やったら、風蓮の軍歴にも的確な判断ができると思いまして。公式記録がどういうもんか、わかってはるでしょうから」

「…………」

 リリエンタールは冷静を装う。

 自分が他の警官と違うのは、「普通」以外からの視点を心がけているからだと思っている。だからか、本部内々での評価は割れていた。

 初対面のはずの立誠は、こちらの密かなポリシーを知ったうえで切り込んできたのか——。

 当惑を隠すように、話をずらした。

「あなたが、この件にかかわる理由は?」

「ミナミが荒れると、飲食業者我々の食い扶持にかかわってくる死活問題やからです。

 人間は危ないものに惹きつけられもしますが、あくまで安全が保証されていること前提です。カスリ傷程度ならスリルですみますが、失血死の危険があれば近寄ろうとはしない。

 そんな場所にある店、どんなに美味しゅうても、客はんでしょう? 商売のバックグラウンドを整備しとくのも、わたしの仕事のうちです」

「…………」

「わたしの仕事」とは、<桃李苑>のことなのか——。

「お気に障るかもしれませんが」

「どうぞ。ぜひ聞いてみたい」

「あなたの正体がつかみきれなく、結論を出しかねています」

「一部では〝幽霊〟ともいわれてますよって」

 立誠が声を出して笑う。正直な言葉が気に入ったようだ。

 しかし、ここで核心に触れる返答がもらえるとは思いもしなかった。それだけ本気で取り込もうとしているのか……

 ここまで身の内を明かされて、断ったらどうなるだろう?

「簡単に信用をもらえるとは思てません。リリエンタール警部さんは、わたしの正体に感づいとるでしょうから」

 リリエンタールは四メートルばかり離れた場所にある、隣のベンチに目をやった。

「明かすつもりで来ました。悠長に建前のやり取りしとる時間がありませんよって」

 地味なパンツススーツ姿の四十がらみの女性が、リリエンタールに顔を向けてきた。

「あちらのシャープな眼光の方では、レストランのフロアスタッフは難しいでしょうね」

 女性に、わざとらしい愛想笑いを投げた。無表情のまま会釈をかえした彼女は、再び顔を群れているハトに戻した。聞いていないふうを装う。

「まあ、そういうことですわ」

 立誠は口元を緩ませたまま、リリエンタールに視線をあわせた。

 もはや、目は笑っていなかった。

プロポーズ申し込みさせてもらいます。地域の安全を支えるはずの地区警察の土台が、シロアリに喰われとります。穴が大きくならんうちに、共に手ぇ入れませんか?」

 南方面分署の綱紀粛正。

 カルテルとつながる松井田の問題が明るみになる以前から、リリエンタールは打診を受けていた。市の経済発展を支えるためにも、南区の治安対策に力を入れる必要があるとして。

 枝先に行かねば熟柿は食えぬ——。

 南方面分署への異動で、キャリアがおわるかもしれない。上の意向が、体のいい厄介払いであっても関係ない。

 リリエンタールは進んでいく先をここで決めた。警官の矜持が半分、もう半分はミナミという領域への好奇心だった。


 立誠と別れたあとで気づいた。

 秋本ソヒョンには事後報告になってしまった。

 予測はできていたと呆れられるか、二十年もののウイスキーを奢らされるか。どちらになるだろう……。

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