第七章 突破口はミナミ・ダンジョン

1 進むか、逃げるか

 スガに付いてしばらく歩くうち、ダニエラは違和感をおぼえた。

「身体がつらい……って感じじゃないよね。どうしたの?」

 ルシアが小声で訊いてきた。

「なんか、ざわついた感じがしない?」

「ダニーが言うなら、そうなのかな? ミナミはいつも、こんなものだと思ってたけど」

 ルシアに感じるところはないようだが、隣を歩くスガに訊いてみる。わからないままでいることが落ち着かなかった。

「何かあった?」

玉屋町たまやまちのほうで、ガス爆発があったんですよ」

 不穏な言葉に<モレリア・カルテル>とのつながりを疑ったが、

「屋台が原因の小規模なものです。事故でしょう。すぐにおさまります」

 事故……。スガに訊いておいてなんだが、真偽は確かめようがない。ダニエラはスガに先導されるまま通りを歩いた。

 いささか浮き足立って見えるのが、他区から来ている人間か、観光客。地元住民にとっては、ちょっとした事件事故は日常茶飯。いつものペースですごしている。

 ただミナミの住民は、好奇心旺盛な——悪くいえば野次馬根性旺盛な人間が多いので、警官の手をわずらわせる存在になっていそうだった。

 爆発の現場から少し離れていることもあって、混乱は感じられない。店や屋台に目をやりながら、ゆるゆる歩く人も多かった。

 そんな、ゆったりした流れを押し分けて、スガが進もうとする。歩調が速い。

 ダニエラは、遅れがちになるルシアを気にしながら、人込みをぎこちなく歩いた。

 手錠こそかけられていないが、動きを封じられている状態だった。スガに右肘をつかまれていて、少しでも逆らうと腕を引き戻される。クドーたちと離れてから、スガの言動に強引さが出てきていた。

 捜査でのモレリアとの関わりをそれとなく訊いてみたが、周囲の雑音で聞こえていないふうを装われた。ダニエラの猜疑心が強くなる。

 気がかりはスガだけでない。体力があるはずのルシアが、息を切らしていた。

 もとから気丈なところがあるし、夜営業のダンサーなので、多少の荒事で動揺したりはしない。それだけに緊張が続いて、疲労がたまったあらわれといえた。

 弱音をはかない性格だけに、こちらからのアプローチが必要だ。車に乗るまえに、水分だけでもとらせたい。

 前しか見ていないスガに声をかけようとしたところで、

「マリアの声、聞こえなかった?」

 背後を気にしながら、ルシアが訊いてきた。

「いや、あたしには……」

 否定しつつもダニエラは上体を後ろにひねった。

 期待があった。

 このままスガと行っていい自信がなくなっている。進行をいったん止めるきっかけがほしかった。

 スガの歩調は緩むことがない。腕を引っ張られ、もつれそうになる足で身体をねじり、人の波に目をこらす。

 本当にいた。

 ただし、クドーではない。相棒のタトゥー警官のほうだ。

 周囲より頭ひとつ高いリウも、こちらを認めた。通行人をスラロームしながら、まっすぐ駆け寄ってくる。

 追いかけてきた理由は?

 胸中のざわつきが大きくなった。

 ルシアのバインダーに興味をしめしたときの、見透かそうとするようなスガの目は、刑事の悪癖なだけだったのか。

 会ったことがないというのも、どういう意味での会っていないなのか……。

 カセットテープ以外に証拠品となるものは、ある。弱みを握られた<モレリア・カルテル>は、その存在を無いことにしようとしてくる。

 モレリアにとって掃除とは、雑巾で拭うことではなく、部屋を開かずの間にするか、建物ごと壊してなくすことだった。存続に影響がないという確証を得るまで、血の臭いを嗅ぎつけた鮫よろしく付け狙ってくる。

 確保の現場から離れて、追いかけてきた巡査。

「この人込みではモレリアの追手がきても気づけない。急いで」

 保護先につなごうとしている警部補。

 身の安全がはかれる確率が高いのは——

 不意に前方から言い争う声が聞こえてきた。スガの注意が、屋台の店先で派手にもみあっている、VネックとヘンリーネックのTシャツふたり組に向かう。

 そのタイミングで、ダニエラは左手を振りあげた。右肘をつかんでいるスガの手首を鉄槌で打ち、振りほどく。

「来て!」

 ルシアの手をとって走り出した。

 説明している余裕はない。リウがいるほうへと引き返す。

 肩をぶつけて強引に人波を切り開く先。大容量リュックやボストンバッグをもった観光客の一団があらわれた。刀削麺屋台の前でかたまり、小麦粉の塊を削り飛ばす店主の手元に見入って動かない。

 背後にスガが迫ってくる。

 障壁がない方向に進路をかえた。



 騒ぎに巻き込まれると面倒だ。

 ケンカをしているTシャツ二人組から距離をとろうとしたとき、スガの左手に鈍痛が走った。

 振りむいた先、ダニエラとルシアの背中が、人波に埋もれようとしていた。つい視線を戻した先、諍いをおこしていた二人組がいなくなっている。

 謀られたか。こんな手に引っかかった自分に歯噛みした。

 これ以上しくじれないというのに。

 目論見が外れたひとつめは、フレデリーコを殺しそこねたことだった。

 確保にみせかけて銃を奪わせるとき、わざとセイフティをかけなかった。もみ合っている最中での銃の暴発はあり得る事態だ。死亡事故を期待したが、弾丸が逸れた。

 フレデリーコのほうは、暴発など考えもしなかったらしい。必死で平静を取りつくろうとするのが見てとれた。

 怖いもの知らずと一部でフレデリーコを評価する声があるが、危険の予測ができない浅薄せんぱくでしかない。こんなやつがボスになっては、先々の<モレリア・カルテル>には不安しかなくなる。

 跡目争いを傍観していられなかった。

<モレリア・カルテル>には、いましばらくは存続してもらわないと困るのだ。

 だから、下地を整えようとした。フレデリーコを逮捕するだけでは、やつらにとって有能な弁護人と保釈金ですぐ出てきてしまう。処分する好機だったのだが。

 ふたつめは、ダニエラ折場に聡さがあったこと。あと一歩で逃げ出された。

 悪党にありがちな気まぐれで、証人になる気が変わったのではない。危険を察知したネズミのごとく逃げ出したのだ。

 ——おもしろい絵面だよなあ、おまえら。チーズぐ……

 ラット(rat)、フィンガー・マン(finger man)、スツール・ピジョン(stool pigeon)、ラウンダー(rounder)、シング(sing)……

 密告者をあらわす言葉はたくさんあった。折場もこれらの言葉を聞く機会があっただろう。

「チーズ食い」と言いかけたフレデリーコの軽口の意味を知っていたとしたら、危機意識を呼びおこす発端になったかもしれない。暴発事故に失敗したことが悔やまれた。

 スガは気を取り直す。パトロール警官を皮切りに、組織犯罪係になってからも、街の隅々まで歩き抜いてきた。

 どこに逃げ込んでも見つけ出してやる。



「クドー!」

「見つけたん⁉︎」

 並んだ屋台に集まる客で通りは賑々しい。その中からリウの声を拾った。相方のもとへと急ぐ。

 目標を追いかけているらしいリウの足が、さらに速くなった。

 クドーもペースをあげた。人であふれる通りを慣れた動作ですすむ。人の流れにのって、障害物をすり抜けていく水のように進んだ。

「折場が東清水町ひがししみずまちの手前で西に折れた。私は南から回り込む」

「OKや!」

 高い視点からのナビゲートに、ハンドサインを上げた。

 人込みの肩から突き出た「了解」の手が、リウには見えたはず。二手に分かれた。

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