4 面倒事のつぎに、また面倒
フレデリーコ・デルガドは、父親の組織<モレリア・カルテル>を自分が継ぐことは当然だと思っていた。
十代のうちからモレリアの大人にまじり、仕事を覚えようとなんでもやった。一通りやっていくうち、とりわけ好きになったのは、銃が必要になる仕事だ。
銃が好きなのではない。銃を使う場面が好きなのだ。銃はあくまで道具にすぎなかった。
銃を使えば、その場をコントロールすることが容易になる。相手を支配下におくのは、最高に愉快な気分だった。
フレデリーコの人間関係には二択しかない。従うか、従わせるか。
もっとも、フレデリーコが従うのは、組織のボスたる父、エンリケ・デルガド=ドゥアルテだけだ。
そして、自分にむかってくる者への二択は、服従させるか、始末するか。
かつて目をかけていた女は、歯向かってきたきたわけではない——。そう思い込もうとしていた。始末するには惜しかった。
高城ルシアを従わせるのは、商売の規律を守るため。
同時に、フレデリーコの矜持に泥を塗った、ダニエラ折場への報復でもあった。
後者は、フレデリーコの意識にのぼっていない。
ルシアが潜んでいるという家に、フレデリーコは勢いのまま踏み込もうとした。
そこを古参のナバーロが押しとどめる。
「ダニエラ折場が姿をくらましたという情報がありました。先回りして潜んでいるかもしれません」
フレデリーコは、部下の進言にうなずいた。
こういった場面での経験は、ナバーロのほうが圧倒的に上だ。そこは素直に認め、アドバイスに従った。盲目的に従わせたりはしない。
フレデリーコの前にはもうひとり、バジリオがいた。小兵ではあるが、硝煙弾雨のなかを先頭を切って突っ込んでいく根性がある。
本来なら手っ取り早く、手下にサブマシンガンを持たせて突入する。
しかし今回のルシアとダニエラは、生きた状態でつかまえたかった。折場は不要な人間だが、あっさり殺してやる気がないだけだ。
バジリオに殺さない自制が効くのか、いささかの不安がある。人選を誤ったかもしれないが、取り逃すよりはマシだと考えた。
玄関のドアを、ナバーロがゆっくり開けた。慎重に内部へとすすむ。
家の中の灯りは、すべて落とされていた。
人の気配もない。
やはり北隣のビルへ逃げたのかもしれない。そう考えたとき、静まりかえっている屋内に、ドスンという鈍い音が響いた。
フレデリーコはびくりとなる。ナバーロがすかさず銃口をむけた。
「待て、撃つな! おれだ!」
入ってすぐ東南側の部屋へと足を踏み入れたバジリオが、尻餅をついたまま声をあげた。
「足がすべって——」
手をついて立ちあがろうとしたバジリオの動きがとまる。膝をついたまま、手を鼻に近づけた。
「……オイルだ」
「床にこぼれてたのか?」
フレデリーコの言葉に、ナバーロが反応する。
「フレデリーコさん、伏せ——!」
後方から唐突に光がさした。
全員が反射的に、視線と銃口をむける。瞬間的に増大した光量に視野がぼやける。
同時に弾けた衝撃音が、鼓膜を強く打った。
マズルフラッシュが射手の姿を一瞬だけ照らし出した。
「折場の仲間——!ッ」
言い終えるまえに昏倒した。
ノックもなしに入ってきた招かれざる客を、リウは無言で迎え入れた。
玄関ドアから死角になる位置、ソファーの陰に身体の輪郭をまぎれこませている。歩き方、視線の動かし方、呼吸のようす……暗い室内に入ってきた三人を、リウの夜目が値踏みした。
先頭ではいってきた年かさの男が一番やっかいそうだった。
二人目の小柄な男には俊敏さを感じるが、動きに雑なところがある。
最後に入ってきたのが、おそらくフレデリーコ。前をいく二人を盾にする位置をとっている。緊張が他の者より強いらしく、上体の動きが固い。
湿気がよどんだ屋内で微動だにせず、リウは実行のタイミングを待った。
こんなとき、まずは「逮捕」でなければいけない警官の煩わしさを感じた。
射殺の善し悪しはともかく、軍人が相手であれば躊躇する必要がないスタンスを経験すると、回りくどくもある。
小柄な男が、うまい具合に東南の部屋のほうにいった。
年かさの男——ナバーロも照準しやすい位置に立ってくれた。が、勘がいい。
「フレデリーコさん、伏せ——!」
すぐさま、仕込んでいた仕掛けを引っぱった。
ルシアからわけてもらったステンレス製のクラフトワイヤーが、冷蔵庫のドアを引き開ける。
暗かった屋内に、突然の光があふれた。三人の姿を照らし出す。
リウは、身を潜めたまま、
銃を使う難点のひとつは、マズルフラッシュで自分の位置を明らかにしてしまうこと。フレデリーコがさすがに気づいた。
距離を一気になくす。
瞬時で間合いを詰め、低い体勢から右手をのばす。
フレデリーコの顎をすくいあげ、足を刈る。
後頭部から落としたフレデリーコの意識がとんだ。すかさず、手からこぼれたハンドガンを蹴り飛ばす。
キッチンスペースの明かりがついた。足を引きずりながらもナバーロが、近くのスイッチを入れていた。
リウは気を失っているフレデリーコの身体を片腕で引っ張りあげた。
フレデリーコを弾除けにして警告した。
「警察。銃を捨てろ。従わないなら、こいつから片付けて終わりにする」
「できもしねえこと言うな!」
がなる小兵に、
「警官なら撃たないとでも? 暴力事案に年中関わっているミナミ分署の警官がどういうものか、カルテルの人間なら知っていると思っていたが」
フレデリーコの脚にむけていた銃口を、わかりやすく頭へと移動させた。
「バジリオ、言われたとおりにしろ」
ナバーロが銃をおいた。両手を開いてみせながら、床においた銃を足ですべらせた。
「ふ抜けるな! 警官ひとりを相手に——」
「従えと言ったんだ、バジリオ! こいつ、ただ馬鹿力があるだけじゃない」
声だけならハッタリだと思えた。しかし、薄い明かりのなかでナバーロが見たのは、警官らしからぬ双眸だった。
ミナミ分署内で<モレリア・カルテル>に内通しているのは、分署長のほかにもいる。しかし、この警官ではない。殺しても問題はないが、関わりたくないタイプだった。
こういう感情を感じさせない目をもった手合いは面倒だった。殺すと言えば迷いなく実行するし、脅しも通用しない。
ふと、左上腕のタトゥーに思いがいたった。
ボタンを外しているバンドカラーシャツから、警察バッジがのぞいていたが、
「<
可能性を訊いてみた。
<唐和幇>なら、警官を飼い慣らしていることが考えられた。こちらの対応によっては、無用な衝突を避けられるかもしれない——。
ナバーロの問いに、リウはため息を押し殺した。
「タトゥーから結びつけたのなら短慮だ。意味のない会話で時間を潰す気はない」
イエスともノーとも言わずにすませた。そうしてバジリオに、
「そっちのおまえ、殺されるか従うのか応えをみせろ」
ハンドガンを構えたままだったバジリオが、しぶしぶ手をおろした。
「くそっ! 捨てればいいんだろ?」
視線をリウにあわせたまま、親指と人差し指ではさんだハンドガンをゆっくり下ろしていく。
途中、軌道がかわった。
左足を前にすべらせる。鋭い腕の振りのアンダースローで、金属の塊を投げつける。
ハンドガンが真っ直ぐリウの顔面を襲った。
リウは半歩のサイドステップで、ハンドガンの直撃をかわす。と同時に、フレデリーコをナバーロにむかって投げつけた。
動きを封じる。ふたりを同時に抑えることはできない。
この隙にバジリオは突進する。あと一歩の間合いで瞬間的に身体を沈めた。タックルで足を狙う。
リウは、飛び込んできたバジリオにむけて発砲——は避けた。発砲するほど、あとの報告書が増えて煩わしい。右に
さらに床にひっくり返ったバジリオのみぞおちに、逆らった報いを入れる。蹴り下げを突き刺した。
悶絶して床でのたうつバジリオの唸り声をバックに、フレデリーコが息を吹き返した。手加減なしで沈めておけばよかった。
バジリオの相手をしている隙で、ナバーロが床のハンドガンに手をのばす。
マズルフラッシュが
リウでも、ナバーロのものでもなかった。
新たに現れた四人目がいた。
問答など不要とばかりに、来訪者が続けて発砲する。
手慣れた様子のダブルハンドで照準、フレデリーコが持っていた銃でナバーロの手を灼き、バジリオの脚の皮膚を裂く。
ふらつき気味のフレデリーコには、顎に蹴りをいれて眠らせた。
リウは撃たれる前に、トリガーガードに人差し指をひっかけて銃を宙に浮かせた。両手を広げてみせ、撃つ気がないことをアピールする。
「銃をこちらに。こっちの部屋の明かりもつけろ」
来訪者の指示に従う。ハンドガンの銃身をもって床をすべらせ、ゆっくりスイッチまで動いた。
部屋が明るくなる。
長めのショートカットに、くっきりした顔立ちの女が、リウに銃口をむけたまま訊いてきた。
「誰?<モレリア・カルテル>の人間じゃないな」
「ダニエラ折場カルヴァーリョさん、ですね?」
警護できた警官であることを告げようとする前に、
「あ、劉会長のところの?」
またか。
変わり映えのない反応に辟易してくる。目尻の傷痕は刃傷沙汰でできたものではないし、腕のタトゥーも黒社会とまったく関係ないというのに。
もっとも、劉会長とはまったくの無関係というわけでもなかったが。
それよりも気になるのは、折場の件に「会長」が、予想以上に関わっているらしいことだった。それだけ<モレリア・カルテル>に危機感を持っていたのか、潰す好機と見たのか。
「高城ルシアはどこ? 保護するのは別の場所になった?」
勘違いしたまま、性急に話をすすめるダニエラに、
「南方面分署のリウ巡査です。高城ルシアさんは私のパートナーと一緒にいます」
バッチとIDで身分を提示すると、下ろしていた銃口が跳ね上がった。再び銃口にさらされる。
「ミナミ分署の警官は、信用できない」
「…………」
劉会長の手下だと誤解させておけばよかった。
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