4 低いから見えた

 クドーが副分署長室に入るのは初めてだった。

 というより、フロアの一角にあるこの部屋は物置きだとばかり思っていた。

 パクから聞いたところでは、

「本来は管理職用スペースだ。ぬしがいない間、資材の仮置き場になってたのが、そのまま物置きになった」

 幹部用の部屋としてキープしておくつもりはなかったらしい。

 ここ数日、内務署員が出たり入ったりしていたのは、資料室という名の空きスペース有効利用から、副署長室に復元する作業だった。

 部屋といっても、天井までのパーテーションで仕切られただけの簡易なスペースで、副署長室らしい威厳はない。すでに入室していたリリエンタールとスガ、リウについで四人目のクドーで、互いに手を伸ばせば届きそうな広さしかなかった。

 腰から上がガラス壁になっていることで、かろうじて閉塞感を感じずにすんでいる。

 狭く感じるのは、デスク周辺の様相が影響しているせいだ。赴任初日のリリエンタールは早くも、書類とファイルで山脈と地層を形成させていていた。背後のキャビネットから紙資料が溢れ出すのは、時間の問題にみえる。

 デスクのすぐ脇におかれた移動式黒板の横に、リリエンタールが立った。

「簡単な説明だけやから、イスなしでかまへんかな?」

「別にええですけど……副署長が説明を?」

 クドーは、スガ警部補がやるものだとばかり思っていた。

「この件は、わたしが本部で関わってましたから——っていうのもありますけど、引き継ぎと調整の机仕事に飽きたよって、気分転換?」

 ほわりと笑むリリエンタールは、核心を話していない気がする。が、重ねては訊かなかった。

 リリエンタールなりの思惑で主導したいのかもしれない。リウも視線でうなずいてきた。腰掛けの上司ではないようだ。

 ただ、良いほうか悪いほうかまでは、まだわからない。悪いほうなら寝ていてくれたほうが、仕事に支障がでなくていいのだが。

「それで、警護に出るまえに来てもろたんは——」

 リリエンタールが、制服ふたりを見る。

「この件の全体像もつかんどいてもらいたいんです。警護が予定通りにいくとは限らへんですやろ? イレギュラーな展開でも対応できるようにするには、背景も知っとかんと。めんどくさいかもしれんけどな」

 クドーは、淡い感動すらおぼえた。

「いえ、このほうがいいです。ちゃんとした状況説明を受けること、あんまりないんで」

「あんまり」を入れたのは、スガを前にしたクドーなりの遠慮。

 普段は知る必要などないとばかりに、私服組の便利グッズよろしく、言われるまま動かされていた。

「納得してもろたところで、まずこの写真」

 リリエンタールが黒板にはられた写真の一枚をさした。

「彼女が警護の対象になる、高城ロペス・ルシアさん」

 スナップ写真の一部を拡大したらしい。画像が荒いが、特徴はつかめた。

 エキゾチックな顔立ちで、吊り上がり気味の瞳に力がある。大きめの口元と相まって、はっきりした印象をあたえていた。おそらく二十代後半。

「となりの写真が情報提供者、ダニエラ折場カルヴァーリョ。三十四歳」

 長めのショートカットで、やや彫りの深い顔立ちの女が、きつい視線をカメラにあわせている。

「折場が属していた組織、<モレリア・カルテル>からの保護を目的とします。古い写真もまじってますけど——」

<モレリア・カルテル>の幹部をはじめ、数枚の写真をしめしながら、リリエンタールが説明を続ける。隠し撮りで撮ったせいか、ピンぼけや手ブレが少なくなかった。

「<モレリア・カルテル>がミナミで頭角を現したんは直近の数年。致命的な暴力事件はまだ少ないですけど、勢いにのった怖いもの知らずの新興は、何がきっかけで歯止めを失うかわからへん」

 クドーは積極的に訊いていく。

「せやから情報提供者が現れた、いまをチャンスにして手を打っておきたいと?」

「折場のの保護をのんだのも、そういう背景です」

「わかりました。人質にとって証言阻んだりするかもしれへんのですね」

「…………」

「あれ? なんか、おかしなこと言いました?」

 クドーは、リリエンタールからスガ、リウへと顔を見る。ふたりとも首を横にふった。

 残るリリエンタールが、

「いえ、『パートナー』やて言うても、突っ込んで訊いてこぉへんのやなと思いまして」

「ああ、そのことですか。ミナミですもん。ね?」

 クドーはスガ警部補に相槌をもとめた。リウにふっても説明の追加は期待できない。

「南区は移民が多く集まっていることを副署長もご存知と思います。自分の考えを譲らない人間もいますが、多くは他人の習慣やポリシーに寛容というかアバウトです。いちいち干渉していたら、きりがありませんし」

「なるほど、よろしおすな。新しいスープを飲んでみる前に捨ててしまわはる、尻重しりおもなおひとらに聞かしてやりたい話です」

 本部で鬱屈をためてきたのかなとクドーは思う。

「話そらして、すいませんでした。<モレリア・カルテル>に戻りますな。跡目争いが息子を中心におきてるという話もありましたな?」

 スガが話を引き継ぐ。

「ええ。長男フレデリーコ・デルガド=ドゥアルテ、次男のラミロ・デルガドです。跡目候補として血縁が重視されず、ほかの構成員と同等のあつかいを受けているようなので、騒動がこじれるかもしれません」

「内部の諍いで統制がないまま、警護対象に……どないしました?」

 クドーは、小柄な自分のアイレベルに貼ってあった、一枚の写真から目が離せなくなっていた。

 最初は気にならなかったのだが、見やすい高さにあるので自然と何度も目に入る。そのうち、記憶の奥底が刺激されはじめた。

「や、なんかデジャブ? みたいなもんを感じて……」

「けど思い出されへん、と」

「はい。ううん……」

 クドーはうなる。喉に手を当てた。

「ここまで出てきてる気がするんやけど」

 三十枚近く貼ってある写真の一枚だった。

 望遠レンズがなかったのか、写っている人物は小さい。モレリアのボスを撮ったら、ついでにフレームに入ったような感じなので、下っ端のひとりに過ぎないようにも思える。

 気にする必要はないように思われたが、どうにも引っかかった。

「思い出そうと焦るより、ちょっと時間おいたほうがええかもしれまへんえ?」

「ところで<モレリア・カルテル>は、<唐和幇タンフォバン>の存在を意に介していないとお考えですか? これによって、騒動が大きくなるかもしれません」

 スガがリリエンタールに訊ねた。

 ミナミの繁華街にひしめく店舗と数えきれない屋台。地理的には小路が入り組み、死角が多いから、人間と犯罪の過密地帯となっている。そこを餌場にして犯罪組織が乱立していた。

 そんな状況にありながら大きな騒動がおきないのは、<唐和幇>がミナミのほとんどを手中におさめて睨みをきかせ、均衡を崩す組織は陰で潰しているからだという一説もあった。

「戦後の闇市から続く組織やなんて、巷談俗説やと一蹴してる可能性もありますなあ。あるいは、取るに足らん相手としてるか」

「本部の見解はどうでしたか? <唐和幇>の存在自体は認めていた?」

 はじめてリウが口を開いた。

「とれるんは、せいぜい間接証拠ばっかりやさかい、微妙なとこでしたな。実態を証明できん幽霊みたいな組織ですよって、ミナミ管区の警官ですら、関心があるもんは多ないとも聞きました」

「耳が痛いです」とスガ。

「表面的には重大な事件に絡んでいる様子がないですし、ほかの組織の件を追いかけるのに手一杯で」

「わたしも白状すると、個人の興味半分で調べてるだけでしたからなあ。こんなアナクロニズムな組織が、まだ残ってたんかと。

 それより、リウ巡査は<唐和幇>のこと、知ってる側になるみたいどすな」

 リリエンタールの視線がリウにむけられた。

 クドーも相方の返答に注目する。

「……警らの合間、耳に挟んだだけです」

「そうやったん?」

 リウをじっとり見上げると、

「…………」視線をそらされた。

 この話題になると、はっきり答えようとしないか、よくて、通りいっぺんの答えが返ってくるだけ。

 バディでも、どれほど親しくなろうと、話せないことはある——と承知のうえでも、リウのレスポンスにはため息がもれてしまう。

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