今はまだ僕なりのニルヴァーナ

大森 みら

第1話 第一章 二人分かれ道

 「なら、 毎日お参りしようや。 な」


 僕、 汐留光しおどめ ひかると幼馴染のたっちゃんこと勝己達也かつみ たつやは小学生になったばかりだった。 


 やっと通学路にも慣れてきた五月の半ば。 近所の神社の話をしたら、 たっちゃんがそう言いだした。 


 その時のたっちゃんは嬉しそうな寂しそうな顔をしていて、 僕は何も言えずにじっとたっちゃんを見ていた。 するとすごくゆっくりとたっちゃんは神社の方へ走り出した。 実際は僕の脳内がスローモーションなだけだったかもしれない。 


 走っていくたっちゃんの汗が眩しかった。 少し日に焼けた肌から滲む光の玉。 刈り上げられた髪の毛は、太くて短い。 僕の細い針金みたいな髪とはまるで違うんだもんな。 



 その神社は、 学校から家に向かって帰っている途中の分かれ道の先にある。 左に進むと僕たちの家で右に進むと神社がある。 1メートル幅ほどの川沿いに道が続いていて、 それを進んでいくと少し坂になっている。 そうして更に歩いて行くと木が茂った場所が見えてくる。 そこが神社。 


 昔からある神社みたいで、 境内に入るとむつかしい言葉で何年の何とかの神様が何とかと書いてあるけど読んだことはない。 だって読めないもの。 


 でも僕のおじいちゃんが教えてくれたことには、 ここには女の神様が祀ってあって、 子供たちを守ってくれるお母さんみたいな神様だって。 さっき話したのはその話だったんだ。



 先を行くたっちゃんの後を追って境内に入る。 空気がスッと透明になって山の中に来たいみたいだった。 風がツヤツヤしている。 涼しい。 境内を囲む木々から青い匂いが漂ってきて、 僕は深呼吸をした。 隣で同じように息をする声が聞こえた。


 「ふう。 涼しいな」


 とたっちゃんが言った。 


 「うん」 


 と言って二人で賽銭箱まで走った。


 高い木が並んだ参道を走ると、 温かい不思議な安心感があった。 怖いんじゃなくて見守られているってこういう感じなんかなと思って、 ああ、 これがお母さんみたいってことかと思った。 


 お金なんて持っていないから、 二人でランドセルを背負ったまま賽銭箱の前に立ち鈴だけ鳴らした。 


 たっちゃんが勢いよく分厚い手を打ち鳴らし、 顔の前で合わせてぐっと目をつむった。 僕もあわてて手を叩き目を閉じた。 


 耳に入ってくる葉のこすれる音。 鳥の羽ばたき。 葉っぱの匂い。 じんわりと汗ばんだ首筋をスッと冷やしていく五月の風。 制服の黒の半ズボンと汗ばんだ白いポロシャツ。 


 たっちゃんの方から、たっちゃんの匂いがした。 たっちゃん家の匂い。



 その日から学校帰りに二人で神社へ行くようになった。 


 暑い日でも、 そこに行くと涼しかったし、 二人だから話せるんだよなってことをお互いに話したりしている。 


 いつだったか、 たっちゃんがポツリと話した。 


 「ママ、 居らんくなるかもしれん」


 「え……。 なんで?」


 「わからんけど。 でも大丈夫やと思う。 大丈夫って思ってたら、 大丈夫になるやろ?」


 ぶらぶらと手で持て余していた白い制帽をぐいと被って、 たっちゃんは勢い良く立ち上がった。 僕には一つも分からなかったけど、 ただこれ以上は聞いちゃあいけないな、 と言うことは分かった。 


 いつも大人びているたっちゃんが母親をママと呼んだ時だけ小さな男の子に見えた。 



 三年生の夏休みの前日。 給食もなく終業式だけで終わりの日。 学校中が生徒たちの沸き立つ気持ちに包まれていた。 


 子供たちの一大イベント、通知表と夏休みの課題をもらうと一層ドキドキして、 帰りの挨拶をした時には、みんな跳ねるようにして教室を出て行く。 


 今日は一斉下校なので、 生徒たちは地区ごとにまとまって下校となる。 近所の六年生や小さな一年生も一緒になって、 いつもよりはしゃぎながら通学路を歩く。 



 太陽はちょうど真上に来て、 刺さるような日差しを落としている。 みんなの白いポロシャツやランドセルの金具が、 揺れるたび日差しを跳ね返して宝石のように輝く。 それは夏休みに思いをはせるみんなの気持ちを表しているように、 愉快にキラリキラリと踊って見せた。 


 もちろん僕もウキウキしていた。 今日から毎日休みだし、 海もプールもお祭りもある。 母さんがパートに行っている日は朝からゲームをして、 たっちゃんとも遊ぼう。 お盆には母さんのジッカに行って、 いとこと遊ぶのも楽しみだな。 まあ宿題もするけど。 最後に一応宿題の事も付け加えてみたけれど、夏休みのドリルの分厚い冊子を思い出して、 僕は心の中でげんなりした。 


 たっちゃんは、夏休みどうするのかな。


 下校する集団の前の方で、 たっちゃんは同じクラスのタケルくんとユリちゃん、一つ上のサッちゃんの四人で歩いていた。 


 ユリちゃんとサッちゃんのスカートの端っこが動くたびヒラヒラとなってきれいだった。 


 そこに挟まるたっちゃんのがっしりした太ももが一層かっこよく見えた。 

 目線を落として自分の足元を見ると、 大根みたいに白く、けれどごぼうのように細い足があった。 


 その日は、たっちゃんと遊ぶ約束がしたかったけれど、 そのまま分かれ道でみんなにバイバイと言って家に帰った。 


 

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