海月の街

岸正真宙

海月の街

 ポタッポタッと滴り落ちる雫が、私の顔に当たる。この街に降るイニュによる水滴であろう。イニュは毎日定期的に数回降るので、この街のあちこちはずっと濡れている。ここは、昼夜問わずイニュの止まない街なのだ。街の路面には所々に水溜りがあり、近くの電光掲示板を反射していた。路地裏にある集合住宅と集合住宅の間に私の寝床があり、私は常にここで寝起きする。私は海月である。いや、クラゲである。のそのそと起き、そのまま何時ものとおり、繁華街の方に出かけることにした。

 寝床を出て、しばらく坂を降りた。リェンレイなどが移動に使うフーチェが通り過ぎる高架下に潜り、いつもここで寝泊まりしているヨシタカと、サワダに挨拶をした。ヨシタカは髭がぼうぼうで、笑うと歯が全て無い。彼の目尻のシワは深く、それによる柔和な表情を作るところが私は好きである。サワダはいつも貧乏揺りをして、近くにあるものを直ぐに投げる癖があるが、それ以外は物知りでとても良いやつである。物知りと言うのは、際限のないチョコレートケーキのようなもので、いくらでもその欠片を食べていられる。私はもちろんサワダも好きである。ヨシタカもサワダもリェンレイである。

 サワダが私を手招きし、いつものように私の身体を撫でてくれ、また、私の身体に着いた水雫を丁寧に位拭いてくれた。拭いてくれているそれは、ボロ雑巾なので、とてもとても臭い。繊維に隠れていた菌が繁殖してしまっているのだろう。そもそもリェンレイ達は基本的に臭い。生き物である特有によるのだろう。その為、私はヨシタカとサワダににおい袋をあげた。多少なりとも彼らの臭いが緩和してほしいと思う。それにいくらでも、匂い袋はチェングシーで貰えるからだ。彼らは其れを首から下げた。芳醇な香りがたちこめて、とても良い。私の鼻腔にある器官が嬉しそうに揺れた。私はヨシタカとサワダに別れを告げてそのまま繁華街、チェングシーへと向かう。毎日日課だからといえばそうだが、いつからそれをしているのか私にはもう分からない。



 チェングシーには沢山のリェンレイとアンドロイドが居る。半分リェンレイで半分アンドロイドな奴も居る。皆、言語が違い首からスピーカー付きの翻訳機をぶら下げて居る。この世界の共通言語に翻訳されてスピーカーから、言葉が交わされる。ここに居る奴らはもともとは違う言語を利用していた種族だったらしく、言語とは習得と一般化に時間がかかるため、そのような機器が開発されたそうだ。おかげで、この街ではみな、言語の壁など無く自由にコミュニケーションが図れる。

 チェングシーでは、皆は商売をしている。沢山のリェンレイやアンドロイドが行き交うからだ。ただ食べ物は売られていない。食べ物を必要とするのはリェンレイのみである。私も必要ない。リェンレイには配給所のパイプから、大量のイーヤンチーが出てくるという。個別にパッケージされており、リェンレイ達はそれを飲む。固形のものを食べる事はほとんど無いそうだ。だから歯が直ぐに悪くなる。リェンレイは何かと不便である。チェングシーの商店で売られて居るものは部品のジャンク品が一番多い。それらはアンドロイド達が買うが、半分リェンレイの奴らも買う。また、麻薬や薬、電子タバコなどが売られており、リェンレイはそちらを買う事が多い。嗜好品と自身の身体に必要な部品と、それから僅かな好奇心、それが店頭に陳列してるのだ。だが、どちらも私には必要の無いものだ。

 チェングシーの入り口には大きな門があり、電飾されている。商店は道を挟んで両隣にひしめき合っており、だいたいの商店は電気提灯をぶら下げている。基本この街は暗いので、常時提灯は煌々と照らされており、このチェングシーでは静かに寝静まっている時間を見分けることが難しい。そもそもアンドロイド達はリェンレイに比べてずっと寝ない。昔の書物に書かれていた不夜城とはまさにこの街を言うのではないか。


「へい! クラゲ。何してんだ? こっち来いよ」


 マイクだ。肌が白くて目が青い、あまり見ないタイプのリェンレイだ。私はマイクのそばに行き身体を撫でて貰った。


「とっておきの情報がある。聞くか? いや、聞いてもらうぜ」


 マイクは情報屋である。色んなところから聞き入った情報で生業をしている。


「ウェイチーの首領のロンが、またファーフェイにフラれた事だ」


 ウェイチーとは、この街全体の秩序を守る自警団のようなものだ。とは言っても、この街も狭い。彼らが秩序ではなく、権益を守っていることは火を見るより明らかである。それでもあまり、逆らわない方が良い。面倒なことになるからだ。マイクが私にこのような話をするのは、自分のストレスを発散させるためだろう。彼は常に喋れることと喋れないことの二つに挟まれてる。その生業のため、いつどんな風に自分が消され、殺されるか分からない。そんな生き方の中で、ツマラナイ情報はさっさと荷をおろすがごとく、誰かに(しかも口の硬い奴に)話してしまいたいのだ。それに、ウェイチーのロンが誰それにフラれても、私はちっとも面白くない。要らない情報はお互いの空間で弾けて消えていくこだ。それがマイクに分かるから、私は彼に重宝されているのだろう。

 マイクは一通り笑って話すと、鼻から麻薬を吸い込み、酩酊した。私は、もう彼のそばに居ても仕方がないので、またノロノロと立ち上がり、歩き始めた。



 チェングシーのビルの影で、人影が二つ喧嘩をして居た。リェンレイとアンドロイドのカップルの痴話喧嘩のようだ。


「貴方は私にアイシテルと言っていたわ」

「そら、言うさ、君のことを愛してるんだから」

「だったら全ての利権を私に譲渡すべきよ。他の何よりも貴方は私を必要としてるのでしょ?」

「君、意訳しすぎだよ。そんな事を言うなら、もう少し論理コードを固くするぞ。僕は今の君の人格を愛してるんだから、そんな事をさせないでくれよ」

「あら! 私のOSをいじるなんて、酷いわ。それをしていいのは、貴方ではなく、私の権利を購入した人よ」

「僕だって、権利を共有しているんだ。できると言えばできる。でも、そんな風に言わないでくれよ。ただ、君は君のままでいて欲しいだけなんだから」

「そうだったかしら? 確認をしてみる。でもだったら、怒ってる私をなんとかしなさいよ」


 まだ、二人とも若いのかもしれない。カップルが喧嘩するのは、この街では当たり前の光景だ。あと、数分すれば、直ぐに仲直りもする。アンドロイドはたまに、オーバーホールと称して、怒りをぶつける事がある。リェンレイの方がその点、受け入れやすいから、意外とリェンレイとアンドロイドのカップルは多い。

 そうこう考えて歩いていたら、そのカップルがキスをしていた。キスをするのはリェンレイの文化だが、アンドロイド達も良くしているように思う。これで何かが解決するわけじゃないと、分かりきっているのに、どうにも形式美というのはリュンレイたちにとっては重要らしい。

 角を曲がり、商店街の中を深く深く歩く。両サイドで、私に気付くものも居れば、見えてない奴もいる。話しかける奴もいれば、蹴って追い出そうとする奴もいる。この街の混沌は私にとっても等しく混沌である。更に奥深くで、人影がたむろしていた。リェンレイや、アンドロイドを売買してるようだ。


「おー!クラゲじゃんか!お前、俺らに売らせてくれよー、高く値をつけてやるよー」


 そう言ってきたのは、ホセだ。こいつはあまり好きになれない。目は片方義眼で、機械の脚を持っている。言葉通り本気で売りたいと思っているはずだ。自分の権利のうち自分の自由を売ることも出来るが、私はまだそれを売る気になれない。この街では、身体は売れないが、自由は時限付きで売る事ができる。時限を無制限にするとウェイチーがその取引を抑える。ウェイチーが両方の自由を奪うことになっている。自由は売り買いできる便利な自己資本である。ホセと関わるとロクな事がないので、目を合わさずに早々とそこを立ち去った。

 そのあと、ホセは売り買いの大声を上げて、その場を盛り上げていた。遠目で見て、喜ぶホセに寒気を感じた。


 身体は売れないと言ったが、身体は街にとってとても大事なものだからだ。リェンレイにしても、アンドロイドにしても、栄養や部品の交換として、重要な資源である。だから、人々の身体は、そもそもこの街の持ち物になっている。随分と昔から決まっている事らしい。

 その取り決めは、この街に皆が閉じ込められた時よりも前に決まった事らしい。


 サイレンが鳴り響いた。イニュが降ってくる時間だ。人々は店の商品にビニールをかけたり、イニュに濡れないところへ隠れたりした。ある程度の時間間隔でこの街全体にイニュが降る。アンドロイドにも、リェンレイにとってもイニュは毒でしかない。それでも街にはイニュが必要である。その理由は深くは分からない。


 ザーーーッ


 イニュが降り始めた。私はイニュに当たるところに行き、身体を半分に割った。なるべくイニュを呑み込めるように。イニュは私の欲望そのものである。イニュを呑んでいる時は、私は幸せの絶頂にさえいる気がする。


 イニュを呑んでいる間だけ、変な白昼夢を見る事がある。天井がとてつもなく高い場所で、私はとても大きな明かりを見る。丸くて赤い明かりだ。私はイニュそのものの中に居るような、大量のイニュの中で、漂って居る。その時、周りには私の同胞がたくさん漂っている。そうして、皆イニュを呑み込みながら、とてつもなく高い天井にある、赤い大きな丸い明かりを見ているのだ。この映像は何だろうか。私には分からない。記憶なのか、夢なのか。イニュを呑んでいる時にだけ、見るものである。


 終わりのサイレンが鳴り響いた。

 私は身体を元に戻して、また、チェングシーの中をとぼとぼと歩いていく。

 いや、ふらふらとかもしれない。


 本日もこの街は好き日である。

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