明日も

@daghne

第1話

 桜は満開を迎え、季節はもうすっかり春だというのに4月の朝はまだ肌寒い。走り始めればすぐ汗をかくとわかっているけど、長袖のジャージを羽織ったまま玄関のドアに手をかけると、後ろから気の抜けた声が聞こえてきた。


「今日も走るの〜。よくやるわね〜」


 まだ半分寝たような母が理解できないという顔をして立っていた。


「まあ、習慣になってるし」


「今日から学校始まるんでしょ? 新学期から遅刻なんてしたら先生に目ぇつけられるわよ」


「大丈夫、大丈夫。まだ全然時間あるし、いつもより短くするから」


 母の忠告に適当に受け流し、家の外へ出る。朝の澄んだ空気が鼻を抜け、肺に広がるこの瞬間は結構好きなんだよなぁ。


「ならいいけど。……こんなこと言ってもしょうがないけど、ほんとによかったの?」


 母の問いかけを遮るように俺は何も言わず後ろ手に玄関の引き戸を閉め、走り出した。


 もう何百キロ走ったかもわからない道を、いつもと変わらないペースで走る。今日から高校2年生になる。この前、入学したばかりな気がするけど、もう2年生だ。今振り返ると1年間なんてあっという間だった。

 2年生になったからといって、1年生だった昨日までの自分と何かが変わるわけではないけれど、高校生という肩書きはいい。だって漫画の主人公は大体高校生だ。なら俺にだって劇的な何かが待ってるはずだ。


 ーほんとによかったの?ー


 家を出る直前の母の言葉がふと頭をよぎる。主語も目的語も無い母の問いに「何が?」なんて聞き返す必要なんてない。この1年、俺が他でもない、自分自身に問い続けられていることだ。数学の授業中、友達とバカをやっている時、自分の受験番号が書かれていた合格発表のボードの前、そして今だって。もう一人の自分が無遠慮に問いかけてくる。


『お前は本当にこれでよかったのか?』


 いつのまにか額に滲んだ汗を手の甲で拭う。あーあ、やっぱりジャージは脱いでくればよかった。

 そして気づけば折り返しの目印である家からちょうど6キロ離れたコンビニが見えてきた。いつもどおりここで折り返して残り30分、合計1時間だ。


 ん、いつもどおり?ランニングウォッチに目をやると時間は7時5分。このままのペースで走ると家に着くのは7時35分頃。そこからシャワーを浴びて、朝食を食べ終わる頃には8時を少し過ぎるだろう。

 昨日までと変わらない、いつもどおりの朝の過ごし方だ。何の問題もない。ただそれは昨日までの春休み中であればの話で、今日からはまた授業のある生活が始まる。3学期の最終日に貰った新学期の予定表には『8時20分までに自分のクラスを確認して着席すること』と書いてあった。家から学校はそう遠くないとはいえ15分はかかる。このままではかなりギリギリだ。


「やっべぇ!!!遅刻する!!!」

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