第5章:逃走気分? 闘争気分!

第61話:同棲してもいい頃

「ん?」


 秋も深まり、冬の訪れが次第に近づいてくる11月上旬の夕暮れ。

 胸ポケットにしまってあるスマホが震えたことに渚は気付いた。

 

 多分結衣からのメッセージだ。

 いつもの渚ならすぐに確認したことだろう。


 が、今はあいにく両手が買い物袋で塞がっている。

 おまけに場所は結衣のマンションのエレベーターの中、しかも丁度フロアについところ。

 だったら直接聞けばいいやと、渚はスマホを取り出すことなくエレベーターを降りた。


 夏合宿が終わってから、渚は結衣の部屋を訪れる機会が多くなっていた。

 結衣がなにかにつけて「たまには私の部屋でゲームでもしませんか?」とか「たこパしましょう、私の部屋で!」とか「部屋の模様替えをしたいので手伝ってくれませんか?」等々誘ってくるのだ。

 

 部屋の模様替えはともかく、ゲームもたこパも渚のところでも出来る。

 なんならゲーム機は渚の持ち出しである。

 

 それでも結衣の部屋でなければいけない必要性はただひとつ。

 ファミリー向けで壁も十分な厚みで防音性に優れている結衣のマンションに対して、渚のボロアパートは学生向けで隣人の会話声すら薄っすら聞こえてしまうほど壁が薄いのだ。

 

 そんなところでは存分に仲良しなんか出来ない。

 

 とは言え、こうも頻繁に彼女の部屋に通うのもなんか情けないなと渚は感じてもいた。

 何か定期的なバイトでもして、もっといいところに引っ越しをしようか。

 

 いや、いっそのこと、結衣と一緒に同棲を始めようか。

 

 実を言うと、渚は付き合い始めて間もない頃に同棲を考えていた。

 なんせ結衣と破局を迎えたら即女の子になってしまう身だ。

 背水の陣という意味でも同棲はいいアイデアだと思った。

 

 しかし、市展の結果が全てを台無しにした。

 市展で渚に大敗し、怒るやらいじけるやら拗ねるやらの結衣と一緒に住めるわけがない。


 それは菱本と雛子を撃退し、ふたりの絆が強まっても変わらなかった。

 結衣にとっては愛も大事だが、プライドも同じくらい大事。

 言い換えれば「渚のことは大好きだけど、書道で負けっぱなしなのは我慢ならねー! そのうち泣きべそかかせてやるから今に見てろよ! でもどうやったら勝てるのか全然分からんッッ!!!!」って感じであった。

 

 それが夏合宿で何かを掴んだらしい。

 めきめき調子を取り戻した結衣は、あっさり県展の二部で昨年の渚と同様に知事賞を獲得。

 これで自尊心が無事回復したらしく、結果、渚に心置きなく甘えるようになったというわけだ。

 

 もっとも一ヵ月後には大一番の県美術展、通称・県展が待ち構えている。

 その結果次第では結衣がまたいじけモードに入ってしまうかもしれない。

 

 だけどきっとそうはならないだろうという確信が渚にはあった。

 春先の市展の時には渚の書に衝撃を受け、結衣は本来の力をまるで発揮出来なかった。

 でも挫折を乗り越えた結衣ならば、たとえ渚に負けるようなことがあってもそれは今の全力を出し切ったうえでの結果だと受け止めて、市展の時のような嫌な空気にはならないだろう。

 

 となればやはりここは同棲に乗りきってもいいのではないだろうか?

 

 渚は結衣の部屋の前で立ち止まって右手の買い物袋を床に下ろすと、ズボンのポケットから鍵を取り出した。

 開錠しながら、どう同棲の話を切り出そうかと考える。


 買い物袋の中身は今夜の鍋の食材たちだ。

 その鍋をつつきながら、いい感じになったところで話してみようか。

 

 そう思いながら扉を開ける。

 

 見知らぬ男物の靴が、玄関先にあった。

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