第3話:付き合ってもいいかも

 さて、渚が9人目の恋人を寝取られて数日後のこと。


「それでは新入生の皆さん、書道研究室へようこそ! かんぱーい!」


 三年生の先輩の音頭に居酒屋に集まった学生たちが、渚を除いて元気よく「かんぱーい!」と声を合わせる。

 四月のこの時期ならどこでもよく見られる新歓コンパだ。

 

 上級生が何人か欠席したものの、参加者およそ二十人。

 S大学教育学部は一年生のうちから入学した教科に応じた研究室に所属しなくてはならない。

 たとえば国語科で入学した者は、国語研究室(通称:国研)か書道研究室(通称:書研)のどちらかだ。

 もっとも毎年その多くは国研に入るので、これでも今年はかなり多い方と言える。


 特に今年は男子が5人も入ってくれた。

 いつもは男子なんてひとり、よくてふたりなのだから快挙である。

 

 ただし書道に興味を持ってくれたのかというと、どうにも怪しい。

 と言うのも今年の書道推薦入学者にひとり、とびきり美人な女の子がいたのだ。


 腰まで届く艶めいた黒髪。

 人形職人が魂を込め、丁寧にかつ贅沢に作り上げた最高傑作のような顔立ち。

 仄かに口元を緩める上品な笑い方。

 かすかに香るキンモクセイのような甘い香り。

 大きすぎず、かと言って小さすぎもない膨らみや丸み。それを包み込む服も見るからに上物と分かるセレブリティ。


 都心のお洒落な私立大学が似合いそうなお嬢様が、どうしてこんな田舎のS大学にやってきたのか。

 それを入ったばかりの一年生たちが知る由もない。


 が、とにかくこんな綺麗な子といい関係になりたいと書道未経験者の男の子たちが書研に入ってきたのは見るからに明らかだった。

 

 そんな理由に「まぁ、男手は多いに越したことはないから別にいいんですけどね」と女性の先輩方々は余裕の構えを見せるも、宴が進んで一年生のみならず上級生の男の子のほとんどが彼女を取り囲む様子に、やや苛立っている感じは否めない。


 そんな妙に盛り上がっている所と妙に盛り下がっている所をぼんやり眺めながら、渚はテーブルの端でチビチビとウーロン茶を飲んでいた。


「だから卒業旅行は行かなかったんですよ、私」


 その渚に話しかけてくるのは、件のお嬢様とは別の新一年生の女の子だ。

 高校を卒業したばかりの初々しさと、大学生になって少し大人びてみようという冒険心が同居する、いかにもこの時期の一年生らしさが漂っている子だった。

 

「先輩……ちょっと渚先輩! さっきから私の話、聞いてます?」

「……え? あ、うん、聞いてるよ」

「ホントですかぁ? なんだかずっとですけど。具合が悪いんだったら私、あげましょうか?」

「ううん、大丈夫。ホント、大丈夫だから」


 家に送るもなにも、逆にこのコンパの後で電車通学している新入生を車で駅まで送るのが今日の渚の役割だった。

 

「えっと、それで何の話だっけ? オススメのサークル?」

「それはかなり前の話です! 今は大学で作った新しい友だちとって話をしてたんですっ!」


 女の子が「やっぱり話を聞いてなかったじゃないですか」と眉を顰め、渚が「ごめん」と頭を下げる。すると

 

「あー、ダメだよ。こいつ、カノジョにフラれたばかりだから」


 渚と同じ2年生の小林健斗こばやし・けんとが声をかけてきた。

 渚の隣に座ると、すかさず首に腕を回して「元気だせぇ、おらぁ!」とヘッドロックをかけてくる。

 

「え? 先輩、んですかぁ?」

 

 妙に大きく、そしてわざとらしく女の子が驚いた声を上げた。


「そう! いつもは笑顔でいい奴なんだけどね、フラれた時はいつもこのザマでさ。何を話しかけてもダメなんだよねぇ。だからさ、渚の相手なんかしないであっちでみんなと――」


 そしてここぞとばかりに、切り札を出してくる。


「あの、だったら私、渚先輩なら付き合ってもいいかも……」


 女の子の顔がまるでお酒を飲んだように赤く染まっていく。

 渚は首をぐいぐい絞められながら、その様子を素直に可愛いなと思った。

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