女の子の歌を聴いていると、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏を聴いているような気分になった。これらの曲によって、自分の考えていたベートーヴェンがすべて覆されてしまったことを徹は思い出している。あれは誰と暮らしていた頃だろう。音大をドロップアウトしてしまった女の子。心なしか、今徹の前でギターを弾いている女の子に似ていたような。

「起きてください」

 徹は女の子に肩をたたかれる。徹が目を開けると、女の子の顔は思いのほか近くにあった。

「いい歌だったよ」

「寝ちゃってたくせに」

「今日で3回目だ」

「知ってますよ」

「仕事しないんですか」

「探してるんだ。温泉街に行くと仕事あるかな」

 女の子は徹の手をつかむと、思いっきり引っ張った。

「何するんだ」

「もうすぐバスが出ますよ。一緒に行きましょう」

「どこに」

「温泉街」女の子は徹を見て笑う。

「あたしは翼って言います」

「老舗温泉旅館の跡取娘」

「あなたは」

「徹。流れ者だ」

「荷物はその鞄だけですか」

 鞄とギターを抱えて、徹と翼は停車しているバスに乗り込んだ。

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