アノローン城下町
門には松明の光があった。その下には幾つかの人影が見える。
しかし王子は寄らなかった。それどころか剣を握りしめ、殺意を持って斬りかかった。
首が跳ねられる。残りは三つ。
仲間が斬られたことに気づいた者らが剣を抜く。しかし、王子は一人斬り殺した後すぐに別の者へと剣を振っていた。
二人目。その間背後に一人が回り込み、挟撃の形をとる。
しかし、王子は人を相手に鍛錬を積んできた。今さら人間二人など物の数ではない。
正面に斬りかかり、刃を合わせられ防がれる。しかし、王子は体勢を低くしながら下へ剣を滑らせるように動かすことで、相手の剣を抜け腹から下へと斬りつけた。
怯んだ相手へ追撃を加えようとするが、背後の一人がしゃがんでいる状態の王子へ剣を振り下ろしてきたために右へ転がり回避。ちょうど二人が近くなった。
左手を大きく振り、二人の足をまとめて払う。体制を崩し倒れたその首を薙ぎ、頭に剣を突き立てたのだった。
「………………」
これはどうなるのだろうか。足元に転がる死体を見ながら、ふと思った。
殺人……になるのか?
死体は人の形をしているが、人と言うにはあまりに無理がある。
皮膚は黒く変色し、その顔は骨と皮ばかりの痩せこけたもの。頭には兜を突き破って角のようなものが出ているが、なぜかまだ蠢いている。よく見ると複数のヌメヌメとした物が束ねられているようだ。恐らく触手の類だろう。
しかし、ここの門番をしていたということは人であったということ。
ここは人間の国アノローン。住むのもまた人間だけなのだから。
「……すまない」
謝罪を一つ、少しばかり黙祷を捧げる。自分は王子、愛すべき民を殺めたことは重くのしかかる。
しかし、それでも進まなければならない。王子であるがゆえ、国を見なければ。門番らの犠牲も、これから何が待ち受けていようと王子を支えるものの一つとなるだろう。それが民殺しという忌むべき経験だとしても。
門を潜った先にあったのは、変わり果てたアノローン城下町の姿だった。
建物は風化し崩れ、それに根を張る植物すら枯れている。命あるものといえば、虚ろな目で彷徨う怪物だけだろう。いや、門番らと同じように怪物と化した民草と言うべきか。
「あ……ああ…」
「ふふ、ふふふふふ」
「ま…んま…まんま……」
乾いた、しかし幸福を感じさせる笑い声。人々の口が歪んでいる。いったい何を笑っているのだろうか。理解できない、できようもない。
「これが……アノローン…」
王子の口から言葉が漏れた。人が賑わい快活な城下町、今やその面影などなくなっている。
そのこぼれが聞こえたのだろうか。近くにいた怪物が王子へと顔を向けた。
「あ…?ああ、ああああああああぁぁぁ!!!」
王子の姿を目にした途端、幸せそうな顔は一転、怒りに染まった。
呪いすら感じさせる叫びは、周囲の怪物たちに王子の存在を知らしめた。
怪物たちが王子へ牙を向ける。外にいる怪物はもちろん、棒や包丁を持って家から出てくる者まで。
いかに武器を持っているとはいえ、相手は素人。しかし2桁に届く数があれば手に余る。こういう時は逃げるに限る。
近くに置いてあった木材を抱え、その先を民衆へ向けて駆け出した。
硬い木材は怪物を押しのけ、道を作る。衝撃に怯まず絶えず前進し続けることで、強引に怪物たちの集団を突破した。
王子はすぐさま木材を投げ捨てると、剣を片手に城へと走った。その背後からは怪物の群れが王子の命を奪わんと迫り来る。
王子の心内は酷いものだった。民衆が怪物となり、今や武器を持って殺しに来ている。
脳裏にはかつての記憶が流れていた。城下町に赴けば皆が笑顔を向けてくる。元気な挨拶をして、手を振ってくれていた。
王子の目から涙がこぼれる。しかし立ち止まってはならない。
王子である自分がここまで目の敵にさらているのだ。城にいるはずの父の身に危険があるかもしれない。あるいは、すでに……。
王子は必死に首を振った。そんなはずはない。父は人王、そして世にまたとない剛の者だ。たとえ怪物らが襲おうとも討たれることなどない。どこかに生きているはずだ。
背後に迫る死の気配から逃れるため、駆け続け、駆け続け、やがて噴水のある広場に辿り着いた。
「はっ…はっ……あっ…」
王子の足が止まる。目の前には松明や武器を持った人々がいた。ここは城下町、そこらじゅうに民衆はいる。逃げても逃げても、怪物は現れる。
前も後ろも、右も左も怪物だらけ。もはや逃げ場はない。
次期王となるため、父からあらゆることを学んで。その甲斐もなく、わけもわからず怪物に殺される。そんなことは認められない。自分はこの国の王子なのだから。
「………………」
そんな、決意さえも壊れかけていた。
怪物が迫る。その凶刃を避ける気力など、もはや持ち合わせてはいなかった。王子の心は折れてしまったのだから。
悲鳴が城下町に響いた。
王子の前方から。
「!?」
王子が顔を上げると、怪物たちが城の方を見ながら固まっている。武器を持つ手は震え、顔も恐怖に染まっているようだった。
「ギャアアアァァ!!」
再び上がる悲鳴。怪物たちが反対の方向へと走り出す。まさか、怪物たちが恐れるような存在がいるのか…?
王子は怪物の波から抜け出し、広場付近の家の扉に手をかけた。幸い、鍵はかかっていなかった。
扉を閉め、すぐ横にあった本棚を扉の前へ動かす。扉を塞いだと同時に、強い衝撃が襲った。何かが勢いよくぶつかる音、次いでドアノブがガチャガチャと乱暴に動く。荒い息遣いと怯えた声、恐らく怪物か。
開かないとわかったのか扉を開けようとすることは無くなった。しかし気配は無くならない。どうやら扉の前で座り込んでいるらしい。
「あ…あう……」
怯えた声が聞こえる。先程殺されかけたばかりだと言うのに、中へ入れてやりたくなる。しかし、次に外から聞こえる喧騒が王子の気持ちを吹き飛ばした。
刃が閃く音。扉の前から痛ましい悲鳴が上がった。肉を裂く音がする度に苦痛に塗れた悲鳴が聞こえ、それは段々と小さくなっていった。
怪物が恐れた者が扉一枚を挟んだ先にいる。その恐怖が王子の心をざわつかせた。
「……これで、お前は救われた」
人の声。まだ理性ある人がいたのか!
王子は扉に耳を当て外の様子を探った。しかし、何も聞こえない。どうやら怪物を殺した人物は去ったようだ。
言葉を話せるということは、何かしらの情報を持っているかもしれない。この国に何があったのか知る者かもしれない。
逃すものかと本棚を動かそうとして……背後の物音に手が止まるのだった。
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