水中の温度

@copo-de-leite

第1話 白い夏

 


 私は彼に学校から連れ出されて引っ張り出されて、帰り路を今日も歩いた。彼は白いシューズでザックザックと大股に土壌を踏み固めて行く。シューズの裏側に刻まれた溝が地表のうねりを見事に均して行く。雪が降る夜に私たちは雪を踏み拉き、纏い、遥か仰ぎながら歩いて行く。全方位から浸透する雪の白さ。彼の脚の動作は雪の象徴を作用させる。

 

 実際の世界では太陽の反射が鈍重に生命を染めて行く。大気中には埃が瞬く。扁平に引き伸ばされた香りが鼻腔に爽やかに触れる。日常の経路には水色のビニールテープが引かれている。私たちは其の周囲からはみ出さないように気をつけて歩くのだ。其の時、太陽が無上に輝きを増して、歩行を遮断した。あちらでもこちらでも、物性から形が剝ぎ取られて微塵に消滅する。私には回転する対流の質点が分からなくなってしまった。

 

 吐息。彼の人の言葉。大気の底に漏れる音。彼は通学路の途中で立ち止まり、立ち止まりながら言葉を紡いだ。


「髪とか、指の先とか、そういうものをじ~っと見詰めていると。其れ等一つ一つも           

 私であって、外から見ている私と見られている私……。」

 

 言葉の端を少しづつ少しづつ手探りで気球に結い合わせる。柔らかな唇より生まれ出づる音楽。私にとって広葉樹の葉の重なりはやけに眩しくって、靴と共に身体は融解しかけていた。しかし私は素直に其の時を美しいと思った。彼の元素と等しい表層と視線と、…氷河期と彗星と土砂の香りが、何故だろう丁度いい感じに落ち着いた。此の物事は肌膚より生成された。

 

 白い稜線が光源の最中にくっきりと浮き上がっている。肩から爪先迄の大胆なラインは、運動と思想と表現とを醸す。彼の手首は林檎を抓むようにヒラリと旋転した。又、鮮烈に激しく揺れる。彼の描く円の内側に緑の大地は吸い込まれていく。地から舞い上がる礫はみるみる色を失い、清新なキャンバスに溶けて行く。腕の怠惰は糸巻きで、螺旋は舞踊を踊る踊り子のように見えた。何重にもこんがらがったフィルムが一枚一枚抜き取られる。中心部の速度は静止よりも増して…。斜に上向いた顔に穏やかに光線の影が駆け抜ける。弾けた光の斜線が頬を伝い零れ落ちる。素肌と気流の境界線で曖昧に滴は発散する。溌剌にクルリと身体のカーブを描く。座標として文学も交差した。靴の踵より上半身迄、紙片の擦れる振動が伝わってきた。しまい込んである文庫本を風が大仰に吹き曝す。温かいインクの触感が夏の大気に馴染む。ページ数は蝶の羽ばたきにも似て…。彼は体温に絆されて指先で鞄から文庫本を取り出した。ヒラヒラと頁を繰る指の皺。白く蝋燭の灯心。風が指紋の先端を緩く磨滅する。分厚い文字の記号が帰り路の路面に敷き詰められる。一文字が髪の毛の間に挟まってしまった。彼が臈長けた腕を天頂に捧げて、僅かの間に、其の文字は髪を擦り抜ける。ヒラヒラ、ヒラヒラ。

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