ルドラ

 のっけから脱線するが、インド神話は大別して前中後期に分ける事ができる。


 前期にあたる「ヴェーダ神話」は自然崇拝から生まれた神話で、文献はあるもののしっちゃかめっちゃかでまとまりが無く、論理破綻や矛盾点が多い、まさに前期な内容。


 中期にあたる「ブラーフマナ・ウパニシャッド神話」は色々と整理されはじめ、後期に至る過渡期にあたる内容。


 後期にあたる「叙事詩・プラーナ神話」はヒンドゥー教の聖典でもある、(比較的)完成された内容で、おそらく現代に伝わるインド神話の大半はこれにあたる。


 ここまでに登場した大半は中後期から登場した神で、ヴィジュアルやら性格やらが固定されたキャラクターといえるだろう。

 今回紹介する「ルドラ」は前期……インドにおける古い神であり、破壊神シヴァと同一と見做されている。この「同一」という概念はインド神話で度々登場する。ただし、統一見解ではなく、宗派などによって「同一だ」「いや違う」といった相違は見られるのだが、ヒンドゥーの宗派の違いなど詳しいわけではないので、ここはざっくり「同一」として話を進めたい。で、何故このような「同一」といった話になるのだろう?

 ルドラがルドラのままで何か不都合があるのだろうか?

 この辺を紐解けば、インド神話の成り立ちが見えてくる(のかもしれない)。


 思うに「神」という言葉は解釈が難しいと思う。英語圏やキリスト教系の概念である「GOD」を「神」と翻訳した事は、私的には間違いだと思う。

「神」は人間では理解できない現象や概念に敬意を払う為に生まれた言葉であり、古代の人間にとっては自然現象こそ「神」であったのだと思う。

 だから「太陽」とか「海」とか「大地」と言った属性を持つ神が生まれたし、「月」……太陽(昼)との対比で夜を表す概念……や、火・水・風といった自然現象に「神」を見て、それに人格っぽいものを与えたのだと想像ができる。

 この説を前提にすれば「豊穣神」などは「農業」が成立しないとその概念は誕生しないし、「商売の神」「戦いの神(軍神)」といった属性も「農業→定住→資産→争い」のような概念があってこそ生まれるのだと思う。

 つまり、前者は現象そのものを司る1次的な神であり、後者は文明の発展と共に生まれた概念を司る2次的な神だと言う事ができる。


 ルドラが司るものは「暴風」である。

 えっ、暴風? なんなんだろう。パッと見た感じ、先ほどの分類では1次的な神……自然神に見える。だがしかし、インド神話はそんなに単純ではない。

 ヴェーダ神話には数々の自然神が登場する。

 インドラ(雷)

 アグニ(火)

 ヴァルナ(水・海)

 ヴァーユ(風)

 スーリヤ(太陽)

 などである。

 ※ヴァルナは「司法の神」と言う側面も持っているが、これはおそらく後付けされた属性だと思う。


 ……さらっと流したが、そう、ヴァーユ(風の神)がいるのである。風と暴風って違うのか? といった疑問が浮かんでしまう。

 よくよく読み解くと、どうやら暴風とは「嵐」の事を指しているらしい。

 嵐は風や水(雨)で害をもたらす反面、おそらく比較的乾燥している土地柄のインドにとって雨という恵みをもたらし、大地に豊穣を呼び込む……破壊とそこからもたらされる豊穣を神格化したものが暴風、すなわちルドラの本質なのである。


 時代は進んでインド神話は中期に入っていく。歴史的に見るとヒンドゥー教がヨーロッパから逆輸入された頃で「神」の概念が上書きされていった頃だ。(この辺の推察? などは2話にあたる「インド神話の成り立ちっぽいもの」を読むべし)


 この頃、前期の神々は新しい神(勢力)に押され、悪魔化されたり影が薄くなったりして弱体化していった。

 またしても話がぶっ飛ぶが「神の力」の本質とは「認知される事」であると、個人的には思っている。平たく言うと「人気がある方が偉い」のである。

 そう言う意味では、時の権力者が「新しい神」を推して布教していき、相対的に「古い神」の人気は減っていき、やがて忘れ去られていく……これが「死んだ神」と言う事ができるだろう。存在すら忘れられた神は、はじめからいなかったのと同じなのだ。


 最古のヴェーダ神話の文献である『リグ・ヴェーダ』(神々の讃歌)には「シヴァ」とはルドラに対する「吉祥な」の意味を持つ形容詞だったそうだ。

「形容詞」とは「かっこいい」とか「可愛い」とかのアレだ。

「吉祥」は平たく言うと「めでたい」とかである。

 まとめると「ルドラ様はおめでたい」みたいな感じだろうか。


 神話は中期に突入して、新たな権力者が新しい神を押し付けてくるようになった。

 水神ヴァルナはアスラの王とされ、アスラは悪魔的な見方をされるようになったように、古い神々は貶められていった。

 おそらくはルドラもそうだったのだろう。ただ、たぶんルドラは人気のある神様だった。

 新しい世界において「ルドラ」の名前を声高に呼ぶことは憚られるようになった。そんな頃に登場したデーヴァ神族の破壊神シヴァ。

 シヴァがどんな神なのかを聞いた人々は、きっとこう思った。


「──あれ、シヴァってルドラと同じじゃね?」


 支配者層か被支配者層か、どちらが言い出したのかは不明だが、ルドラとシヴァの同一説は、おそらく外来の神に対する土着の人々の抵抗だったのだと思う。

 この辺の感覚は日本神話にも同じような関係性を見てとることができる。天津神と国津神みたいな関係性だ。天津神は朝鮮などから渡ってきた「渡来人」で、国津神は土着の民族であるように、デーヴァ神族はヨーロッパや中東からやってきた支配層でアスラ神族は元々インドにいた在来の人達を指している。

 支配層は古い神を否定し、新しい神を押し付ける事で自らの行いを正当化し、

 被支配層は新しい神を受け入れているようでその実、昔からいる神なんだぜとほくそ笑む。


 そういった抵抗の象徴こそ、ルドラでありシヴァである。


 だから、シヴァは大変人気のある神様なのだろう、と思う。


 ※インド神話の古い神は、ヴィジュアルがふんわりしている事が多い。これはやっぱり「古い」からだと思う。

 ※創作作品によってはルドラ=シヴァは同一である事もない事もある。

「女神転生」シリーズにはルドラは登場しないので、同一であるという解釈なのだと思う。

 マンガ「終末のワルキューレ」では別々の神として登場し「俺達マブダチだぜ」的な感じである。




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