イリーガル探偵 & 黒の捜査線~サスペンスミステリー2部作収録~

きょろ

第一部 ~イリーガル探偵~

探偵事件と言えば館でしょ①

 ――意外にも割と住宅地。

 

 「別荘」や「館」と聞けば、どんなイメージを抱くだろうか。

 人里離れた自然豊かで静かな場所。舗装されていない山道を登った先。そのような場所に建っているものだと、多くの人がイメージするのではないだろうか。


 だが、固定観念とは怖いものである。時にその考えや思いが現実とは異なる結果を生むと、人は時として言葉を失い、更には一瞬呆けて立ち尽くしてしまう事もあるだろう。


「ここだ」

「凄い……。立派な館ですね」


 一般的な大きさの家が並ぶ中、不意に姿を現した大きな館。固定観念や価値観は人それぞれであるが、一般という枠の中から見ているのであれば、大人の背丈の2倍程あろうかという門がとても大きいと思うに違いない。

 そしてそこから見える広い庭や、門から館の玄関まで続く長いストローク、更に今の時期は入らないであろうお洒落なプールが完備されたこの光景を見れば、十分に“豪邸”と思う事が出来る筈だ。


 門のすぐ横にある表札には『銭形』という文字が綴られ、この館を訪ねて来たスーツの二人は高い門を見上げている。スーツ姿の一人は三十代後半から四十代ぐらいの年齢でスラっと背が高い。もう一人は二十代と思われる女性だ。落ち着いた様子の男と比較すると、女性の方はどこかそわそわとした雰囲気を感じ取れ、彼女からはなにか新鮮さや初々しさといったものも感じた。


 背の高い男が表札のすぐ下にあったインターホンのボタンを押すと、数秒後にマイクから声が聞こえた。


「――はい」

「あー、どうも。私、警視庁の象橋きざはしと申します。こちらのご主人の銭形さんにお会いしたいのですが」

「象橋様ですね。ご主人様よりお伺いしております。今門を開けますので少々お待ち下さい」


 会話が終えると、ガチャンという音と共に大きな門がゆっくり動き出した。


「象橋“警視長”、私みたいな新米の刑事がどうして象橋警視長に同行しているのでしょうか……?」

「嫌かね?」

「い、いえ、とんでもありません……!  嫌なんてそんなッ「ハハハ。冗談だよ。そんな堅くならずにもっと力を抜くんだ。若いんだから、勢いが有り余るぐらいが丁度いいよ“白石しらいし”君」


 象橋警視長と呼ばれた男の人が、白石と呼ばれた若い新米の女性刑事にそう言った。

 大きな門が自動でゆっくり開くと、二人は何気ない会話をしながら玄関へと続く長い道を歩いて行く。手入れされた広い庭は色とりどりの花や草木が植えられ、十mぐらいはあるであろうプールには綺麗な水が溜まっており、その近くには誰か偉人だろうか、中世を思わせる装いに剣を上に掲げた人物の銅像が建てられている。


 ふと見渡せば、これだけ広ければ当然と言うべきなのか、数台の監視カメラまでも確認出来た。

 館の前へと到着した象橋と白石。門とは違い、館のインターホンが見当たらない。白石が大きな館の外観に見惚れていると、如何にも高価そうな装飾が施された扉を象橋がコンコンコンっとノックした。


「銭形って、もしかしてあの有名な“銭形財閥”……でしょうか」

「ああそうだよ。ここの息子が俺と同級生でね。親父さんである銭形 永吉ぜにがたえいきちさんの依頼で来たんだ」

「そうだったんですか。 象橋警視長と銭形財閥にそんなお繋がりがあったなんて……。でも、何でまた銭形財閥トップの方が、警察に依頼何かを?  まさか恐ろしい事件とかですか?」


 新米刑事の白石が戦々恐々の表情で、恐る恐る象橋に問いたが、象橋はそれに笑って答えた。


「ハハハハ。そんな物騒な話じゃ無いよ」


 二人がそんな話をしていたタイミングで、扉が開いた。中から顔を出したのは、この館の使用人の女性。その使用人の案内に促されながら、象橋と白石は館の中へと入って行った。


 館の内装もそれはもう豪華絢爛。中に入って直ぐに広いフロアがお出迎え。何人もの人が横一列に並んで登れる広さの階段に、存在感あるシャンデリア。最早価値さえよく分からない置物や絵画、甲冑までもが飾られている。


「別の世界の住人だ……」


 煌びやかな館内を見て、白石はポカンと口を開けていた。そんな白石に気付かない使用人と象橋は、慣れた様子でどんどん奥へと歩いて行く。そこでハッと我に返った白石も、慌ててその後に付いて行った。

 幾つもの部屋を通り過ぎ、廊下の角を曲がったとある部屋の前で使用人が歩みを止める。


「ご主人様はこちらになります」


 使用人の女性はそう言ってお辞儀をし、その場を離れて行った。案内された象橋と白石も軽く会釈をし終えると、象橋が部屋の扉を軽くノックした。すると直ぐに部屋の中から声が返ってきた。


「――どうぞ」

「失礼します」


 象橋が扉を開け中に入ると、部屋のベッドに寝転がる年配の男性の姿が目に入ってきた。彼こそが銭形財閥のトップである銭形永吉である。

 銭形永吉のベッドの脇には二十代ぐらいの女性、更にこの部屋の一番奥に当たる、ベランダへと続く大きな窓の前で、三十代後半から四十代、象橋と同じぐらいの年齢と思われる一人の男が立っていた。


「おお! よく来てくれな象橋君!」

「いえいえ。銭形さんの頼みなら御安い御用ですよ。それより、どうしたんですかその“足”」

「おお、これか」


 ベッドに寝ていた銭形永吉の右足が、ギプスと包帯で固定されていた。銭形の話によると、先日足を踏み外し、階段から転がり落ちてしまったとの事。その時に右足の骨にヒビが入ってしまったそうだ。七十歳近い年齢から考えれば、不幸中の幸いとも言えようか。


「気を付けて下さいよ銭形さん」

「いや~、年は取りたくないものだなぁ。って、そんな話はどうでもいいんだ。それよりも、早速今回の話についてだがな、実は――」


 銭形は徐に話し始めた。


「わざわざ象橋君にこんな事を頼んでしまって申し訳ないんだが、他に頼める知人がいなくての。あれはもう15~16年前の事か……。

当時、私は今の銭形グループをもっと良い、大きな会社にしようと奮起していた頃だったか。頑張った甲斐もあって、新規の事業や会社全体も安定し始めていたな。


でもな、ようやく会社が安泰安定の大企業になった頃にはの、私の気持ちはもぬけの殻じゃった。一気に燃え尽きてしまった挙句に、いざ会社やグループが大きくなっていくと、自分一人だけでは決めきれない問題や判断を迫られる事が何度もあってな、体も気持ちも完全に疲れてしまった……。

仕事ばかりで、妻や子供達との時間もろくに作らぬままきてしまった年月は、直ぐには取り返せない。有難い事に、私の妻や子供達はこんな私の事を理解し、受け入れてくれていた……その気遣いには感謝してもし切れぬ。


だがそれと同時に、長い間妻と子供達をほったらかしてしまった、やるせない罪悪感や虚無感に襲われてしまった。あの時は色々な事が重なってしまったんじゃな……。疲れ切った私は、一度自ら人生を終えようと考えた事があったんじゃよ――」


 いつの日かの出来事を、遠い目で、思い返すように語る銭形。彼の言葉や仕草から、当時の苦労や後悔といったものがしっかりと伝わってくる。


「当時住んでいた場所の近くに海があっての、その直ぐ近くの崖が俗に言う、自殺で有名な場所だったんだ。

私は全てを終わらせるつもりでそこへ向かっておったんだが、その途中に一人の少女と出会った。

そして、この少女との出会いが、馬鹿な過ちを犯そうとしていた私を救ってくれたんじゃよ。今私が生きていられるのは、他でもないその子のお陰だ。命の恩人じゃ」


 銭形から唐突に語られた事実。彼の命を救った少女に対する感謝の意が、今の端的な内容からも十分察する事が出来た。


 まさかあの有名な銭形財閥のトップが自殺をしようとした事があったなんて。

 初めて話を聞いた象橋は勿論、隣にいた白石、それからベッドの脇にいた女性も奥の男も皆、静かに銭形の話を聞いていた。


 そう――確かにそういう雰囲気であったのだ。ごく普通の流れでいけば、ほぼ間違いなく。だがそれは、大半の人間が勝手にそう思っているだけの、言わば固定観念というものだろう。


「――下らない話は時間の無駄だ。 分かったら早く用件だけを言え」


 次の刹那、場が静寂に包まれた。


 先の状況から迎える“普通”な展開パターンとしては、ざっくり二つだったであろう。


 まず一つ目は、銭形が話し終えたのを踏まえ、皆が特に言葉を発する事もない、数秒の静かな間が生まれるしんみりパターン。

 そして二つ目は、先程のしんみりパターンではなく、話をした銭形自らが「なんか空気を重くしてしまったの」と、場の空気を和ませて通常の雰囲気に戻す、切り返しパターンが相場だった。


 だが、やはり固定観念といった類は時に怖いものである。

 この状況――いや、普通の人間では到底有り得ない、アウトローな角度からたった今“三つ目”のパターンが生み出された。

 皆が静寂に包まれる中、その皆の視線は他の誰でもない、窓から降り注ぐ日差しを受け、この部屋で一際存在感を放つ、一人の男へと注がれていた。


「まさか今の下らない話で終わりじゃないだろうな?」


 固定観念とは怖いもの。

 時にその考えや思いが、現実とは異なる結果を生むと、人はただただ茫然と立ち尽くす事しか出来ないのである――。

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