魔術探偵と砂礫の国の《神ノ火》
神無(シンム)
0章 世界大戦と予言
001 世界大戦という名の地獄
天聖歴八五七年。世界大戦が幕を開けた。冷たい凶器たちがその身を熱して人命というぬくもりを奪っていく。そんな地獄の扉の封が切られてしまったのだ。戦火が地に落ちていった。大地は巻き込まれた民衆たち、弱者すべての怨嗟により覆い尽くされゆく。
野ざらしの死体。でも、誰も触れない。触れないままに放置されるよりほかない。
我が身も可愛い。だが、そんな凄惨さに巻き込まれて死する親を先に逝ってしまった子は悲しむままに地獄にて自ら縛についてしまうことを恐れた。だからせめて触れぬことで子らの冥福を祈ろうとした。土をかけてやることも花を手向けることもできないで。
鮮やかな緑も戦争ですっかり様変わりした。赤く燃え盛る森林山岳に落とされていく爆弾による火。火はまたたく間に豊かな自然を焦土に変えていってしまった。悲しい。
けれど、今は壊れゆく故国を眺めることより一歩でも先へ。少しでも戦火のない、大切なこどもたち、未来を担う希望を抱きかかえて先へ進む。世界中に散ってしまった火を完全に逃れられる地などない。ありえないと知りつつ、それでも目的地もなく向かう。
愛しく幼い命の
犠牲者の亡骸を踏んで生き残りは前へ進む。故郷を捨て、幾十の
どこも、似たような惨状だった。誰もが飢えていて、渇いていて、苦しんでいる。
戦争はひとの本性を引きだす。そんな言葉をふっと思いだして老人は頑として譲ろうとしなかった男を殺してなんとか手に入れられたパンと水を
殺した男にも家族がいたのだろう。愛するひとがいたのだろう。男自身も飢えていたのだろう。でも、孫子を見捨てられないという義心から老人は奮起した。負の奮起だ。
一欠片のパンと一滴の水で凌げる飢えと渇きがあったのだからこそ抱いてはいけない勇気を抱いてしまった。そして、その老人は途中で退場した。足を負傷してしまい、足手まといになると判断。子に孫に見捨てていってくれ、自分は繫げられた。そう喜んで。
子らは孫たちを見て頷くよりほかなかった。この絶望的な状況で誰彼なく手を差し伸べられない合理的な判断と決断が必要だ、とリーダーの男が涙を堪えて決めてくれた。
彼の、父だった。ここまで自分を育て見守ってきてくれたひとを捨てていく。苦しくて悲しい。けれどなお選べ、と言われれば選ぶしかない。なかったから残酷を選んだ。
子らは老いた者たちを望まれるままその場に残していった。老いたる者たちはそれを悲しまない。幸福だ、と心から思った。子を、孫を生かすことができた。だから幸福。
微笑みながら逝った。祈っていた。命が消えていく瞬間まで祈り続けた。彼ら、彼女らに永久の幸あれ。そう、天に在られし神様に祈って老人たちの魂は召されていった。
旅路は続く。戦の火を逃れて歩き通していく。ゆく当てもなくただ前を見据えて進むのみ。背に迫りくる地獄を彼らの子らに浴びせない為には目的地がなかったとしても歩くしかなかった。足の裏がずる剝けて血が滲んでも。到来した冬の寒さにかじかんでも。
あらゆる地で戦争を見た。同族同士の喰らいあいであり、戦争という怪物の腹に閉じ込められた人間同士が憎みあい、罵りあい、殺しあった。時として世に現れる猟奇殺人鬼など目でないほどの残酷さで同じ種である筈の人間たちを人間たちが惨く殺していく。
そのどれもがくだらない理由だった。国が違う。言葉が違う。人種が違う。果ては肌の色が、髪の色が、瞳の色が、思想が違う。そんなつまらない理由で傷つけて殺した。
殺しあう人間という名の野獣たる者の姿を我が子らに見せられずさらに先を目指していたが、もうこの先には西と南の狭間であり最果てであるとされる砂礫の国しかない。
絶望の暗雲が一行に立ち込めかけた。そんな折、とある話を聞いた。砂礫の大国ファヴァーヤ王国はどこからやってきた難民であれ、異国人であれ受け入れてくれる、と。
最後の希望。大人たちはもう衰弱激しい子らや女性たちをなんとか励まして立たせ国土のほとんどを砂に覆われ、彼らが捨てた故郷と違う生態系を築き、共存する砂礫の国ファヴァーヤを目的地に最後の気力を振り絞った。ただ、一抹の不安は残っていた――。
問題は本当に受け入れられるのか、ということだったが大人たちはせめて女こどもだけと慈悲を願う気でいた。他に願うものも望むものもなにひとつない。命だけあれば。
彼の地に住まう民は避難してきた彼らとまったく違う容姿をしている。これまでの旅路で些細な違いで異貌と謗り、殺されていく者たちを見てきたので気が気でなかった。
だが、他にいく当ては、安寧が約束されそうな地はない。なかった。絶望し、疲弊し切っていた彼らは藁にも縋る思いで砂漠を旅して十数日かけてようやくたどり着くことができたその国でまず、肝を抜かれるほどに驚いた。彼の国の王は旅の避難民を憂いた。
快く入国と滞在を許可してくれたばかりか民宿をひとつ開放して避難民たちを休ませ匿うように手配してくれた。廃屋でもいい、と言ったが王はそれはどこの冷血人だ? と返してきた。案内の兵をつけて
そして、医者と医薬品の手配さえも。具合の悪い女やこどもも無償、国王の個人的な財を投資しての援助だった。避難民たちは言葉に表せないほどに感謝した。そしてそう実際にも言葉はでてこなかった。だって、溢れる涙と嗚咽で上塗りされてしまっていた。
だが、兵士たちはひとりだけ逃げてきた者たちが使う共通語のフェリッツェン語を片言に話せるらしく大人たちの言いたいことをついてきてくれた者にも教えた。するとファヴァーヤの兵士たちは「なんだ、このくらいのことを大袈裟に言う」と笑ってくれた。
そして、民宿で疲れと飢えを癒していると国王自らも見舞いに来てくれた。乾燥地帯である為、果実水が主に飲まれるとのことでそれとこどもたちにはお菓子を手土産に。
「休めたようだな。顔色がいい」
開口一番、王が言ったのはそんな言葉だった。通訳を介さず王自らフェリッツェン語を嗜んでいたので叶った対話。一団の長は改めて礼を述べた。背でこどもたちはお土産の香辛料入りクッキーに夢中になっているが、王は咎めなかった。優しく光景を眺める。
中央部の者と容姿はかなり違うと聞いてはいたが、肌の色も髪の色も服装も違うものだらけだった。だが、些細な問題だった。目の前のひとは案じてくれているのだから。
いがみあい、諍いにて争い殺しあっていた自国に近い者たちと違い、王は彼らを同じ人間として見てくれている。ひととしての権利を持っているとして接してくれるのだ。
王は毎日見舞いに来てくれた。世界が等しく飢えている中、この国はまるで別であって世界に背を向けているかのようとても豊かで恵まれているのは市場の賑わいでわかってはいたが、であってもここまでの旅路で人間姿の野獣を見てきたので戸惑ってしまう。
「紹介しよう。私の娘フェシエルだ」
「はじめまして。フェシエルです」
そして、ある日、王は若い女をいつもより若干重装備な兵たちと一緒に連れてきて紹介してくれた。王の娘すなわち王女。だったが、女性のあまりの美しさに男も女も幼いもみな一様に見惚れてしまった。瑞々しい琥珀色の肌。清流の如き銀の髪。不思議な瞳。
不思議。そう一言に集約したが、それは神秘的な、という意味あいでの不思議さ。
蒼と黒と銀が混ざって光の加減で色あいが変わる。そんな不思議で、綺麗な、目。
肌にピタリと貼りついて体の線をだす肌着を身につけ、上には薄青色のシフォン生地でつくるドレープすら美麗なうっすら透けるのに中を見せない変わった服を着ている。
おそらくこの国ファヴァーヤの民族衣装を王家の為にアレンジされたドレスであることは一目でわかった。彼女は手首や足首に踊り子がつけるものよりいくらか上等そうでも白黒の装飾品をつけている。舞いを嗜んでいるのか? が、他宝飾品はつけていない。
「どうした? ……そうか、ついに来たか」
避難してきた者たちが王女殿下フェシエル様に見惚れている間に民宿の外が騒がしくなってひとり、兵士が息急き切って王に駆け寄りファヴァーヤの公用語ラ・クームで急ぎの報告を行った。王は深刻そうに頷き、しばし黙考していたが、すぐ娘を呼び戻した。
フェシエルは場の緊迫した雰囲気にも動じず王にひとつ頷いた。まるで、事態を先読みしていたかのような落ち着きようで父王の腕に細い両の手を乗せ、胸に頭を預ける。
「野蛮な者たち、本当に来てしまった」
「お前に責はない。今や世界中で火の手があがっているのはこの者たちにも聞いた通りであった。だが、私は心苦しい。フェシエル、可愛い私の娘よ。お前をこんなことに」
「よいのです。それが私の
「……フェー、お前の力を、貸しておくれ」
「はい。仰せのままに」
しばし、親子の会話が続いたが、王は娘を片腕でしっかり抱きしめて避難してきた者たちに現状を伝える為、世界共通語フェリッツェンを使ってくれた。フェシエルの横顔にある憂いから逃げ延びた者たちは最悪を想像していたので、あまり驚く者はなかった。
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