始まりは裏切りから
しえり
第1話 騎士
「動くな。王立騎士団である」
男が声高らかに叫んだ。二人の甲冑騎士を従える彼は驚くほどの軽装で、ほとんど剣一本というていである。
踏み入ったのは辺境にある村の小汚い酒場。給仕を兼ねた娼婦は薄いドレスを翻して奥に引っ込み、髭が世界でもっとも大切であるという風貌の男どもは皆一斉に剣を抜いた。十数人とはいえ彼らは王国にとっての不穏分子、テロリストである。
「神罰の代行者を気取る犬っころめ、何しに来た」
犬呼ばわりに、彼の部下のひとりが激昂した。
「貴様ァ! 今すぐ叩っ斬ってくれるァ!」
キンキンとした高音が激しく罵ったせいで、お互いの殺気が香ばしく薫る。男はまあまあとそれらを宥め、部下を諌めた。苦みのある顔を一層けわしくさせる鋭い目つきのくせに、気が長い。
「クリス、口が悪いぞ。あんたらも落ち着いて聞いてくれ」
男の顔には傷がある。縦に長い一本の傷が左目を潰している。そして一呼吸置いて咳払い。
「悪党諸君、あんたらには殺人と強盗の疑いがある。間違いないな?」
悠長なことを。とクリスと呼ばれた女が兜の中で呟いた。
「神の剣たる俺たちはそれを罪さなければならない。素直に投降してくれ」
優しく諭すような物言いが気に入らない荒くれどもは激しく反発した。
「たった三人で、この人数を相手にする気か?」
一歩前に出たその男が突然に倒れた。床に倒れた衝撃で頭が胴体から転がる。
悪党連中は無音の斬撃に息を飲んだ。何かしらの攻撃ではあるのだろうが、その発生源を探ろうにも、死体から目が離せない。
「クリス、俺は指示を出したか?」
男のため息はこんなことが過去幾度もあったことを証明している。その度に彼の意図とは反する結果になっていたし、おそらくは今回もそうなってしまうだろう。
「ロードレッド隊長、あなたは優しすぎる。こいつらは罪人で、どうせ死罪になります。今ここで死んでも誰も文句は言わない」
暴論を聞き流し、男はできる限りの優しさでテロリストに向き合った。
「きみたち、部下の非礼を詫びよう。これ以上の惨状を見たくないし、どうか抵抗せずに捕まってほしい」
テロリストたちはこの男から後退りした。「ロードレッドって……」
その名が意味するところを彼らはよく知っていた。すなわち決して関わってはいけない人間である。
クリスが叫んだ。畏怖させたいのではなく、彼女はならず者連中に自慢がしたかったのである。
「こちらにおわすを誰だと心得るか。神聖ティレル王国騎士団第七軍団辺境守護部隊小隊長、
兜に隠れていてその表情はわからないがきっと笑っている、声だけでもその判別がついた。
「か、勘弁してくれ! 言う通りにするから!」
給仕の女も含めて全員がひれ伏した。
それはあまりに突然のことで、意気揚々のクリスもどうしようかとベルティアの影に隠れた。
「それでこそ神の子らだ。ユーディ、村長に脅威は去ったと伝えてきてくれ」
今まで黙っていた騎士は機敏に甲冑を鳴らして出て行ったが、クリスはなぜか不満げである。
「なんであの子ばっかりに指示を出すんですか。私にはあのくらいのこともできないとお思いですか」
「いいから奥まで行って残党がいないかさがしてこい。いれば、ようくと話をつけるんだぞ。無論、会話によってだ」
ブツブツと文句を言いながらクリスは足音高く調理場へと消えた。ひれ伏したままの怯えた男たちはそのまま自らの運命となるベルティアの宣託を待ち望んでいる。
「いいか、俺たちはこの村の長に依頼を受けたんだ。居座る悪党をなんとかしてくれとな」
媚びることを許さない悪党よりも不気味な片目、悪党はそれだけで体の震えが止まらなくなった。
「お前ら、全部で何人いる」
質問の意味がわからずきょとんとしていると、答えろとの催促。ひっと小さな悲鳴があがった。
「十と少しです」
「逃げたいなら好きにしろ。裏口は使えない。今、使えなくなった。俺の部下は馬鹿だが無能じゃない」
もうひとつ。ベルティアは死体を指差した。
「拒否すれば、もしかするとあれと同じになる。どうだ、嫌だろう」
漂う失禁の匂い、男も女もこの凄みに脱力していた。しかしそれは彼の意図するところではないらしく、全員を椅子に座らせ、割れたグラスを集めて水をついでやった。
「俺も怖い時は漏らす。糞もな」
自分は酒を飲んでいる。店で一番いい酒だった。
泣きじゃくる給仕、真っ青な顔色の男ども、リーダー格がわななく唇をいっぱいに動かした。
「あ、あんたは」
俺たちをどうする気なんだ。言葉にはできなかったが、ベルティアは深く頷く。
「基地がな、ここから少し離れたところにある。馬で二日くらいのところだ」
処刑される。当然の思考からはじき出された答えに息を飲んだ。が、ベルティアはそれを察し、腰に提げた剣を外した。その動作にも恐々とされ、穏やかに笑った。
「殺さないから安心しろ。結論から言おう、騎士団で働かないか。人手が足りないんだ。密偵と料理人と雑用が欲しい。この中で料理ができるやつはいるか、手を挙げろ」
顔を見合わせ、おずおずと数人が挙手した。
「ちょうどよかった。他は密偵、まあ聞き込みとかそんな感じの緩い仕事だ。誰でもできる」
「あ! 隊長、また犯罪者を仲間にしようとしてる!」
やかましく戻ってきたクリスをひと睨み。彼女は喉奥で唸り、
「異常ありません。それとシチューが美味しかったです」
と、聞いてもいない感想を述べた。
「こんなのでも騎士になれる。お前らならすぐに一流だ」
「どーゆーことですか!」
「黙れ。ユーディと一緒に馬車を借りてこい」
歯ぎしりして酒場から出ていった。呆気にとられる悪漢はこの男が本当に騎士なのかどうかすらも不思議がるが、しかし逆らうことはできなかった。
「村長や村人の目があるから一応は縄を打つ。手首に軽く巻いておけ」
ロープを投げ渡し、剣をとって彼も外へ。念押しするように殺さないよと言った。酒場の店員にも閉じている方の目でウインクし、黙っているよう伝えた。
外には馬車が停まっている。二頭で引く大型のものだ。
「おう、ユーディ。ご苦労」
こくんと頷いた甲冑騎士、その鋼のすねをクリスが蹴っ飛ばした。
「このアマ、隊長に色目使ってんじゃないわよ」
「罰走、罰金、懲罰房で三日。そして棒叩き十回」
「ああん! 隊長ってば意地悪ゥ!」
ふざけたやりとりだが、このクリスは先ほど目にも止まらぬ速さで人間の首を切り落としている。それを知っているためどの口からも文句は出て来ず、そうでなくともベルティアの前であるから言えようもない。
「さあ、帰ろう。俺たちの家に。そしてお前たちの家に」
ユーディとクリスが御者を、ベルティアは元悪党たちと荷台に乗って街道を行く。基地に到着する頃にはすっかり打ち解けていて、彼らはもう片目の男がそれほど恐ろしいとは思っておらず、実に気っ風のいい騎士だという認識に変わっていた。
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