外伝——「伊藤弘樹の日常」


 あれ‥‥ここって、俺の部屋?


 なんで?俺さっきまでホテル街に————ッ!?


 脳内で再生される昨夜の地獄。反射的に両手で両目を抑えると、声にならないうめき声を上げた。


「ちょっと弘樹起きてるの?早く下に降りて朝ご飯食べちゃいなさい!」


 下でクソババアが何か言ってやがるが今はそれどころじゃない。そうだ‥‥俺は昨日ホテル街で死にかけたんだ。


「ちょっとどうしたのあんた。具合でも悪いの」


 突如として開けられたドアに過剰に体を跳び上がらせて反応する。これも全部昨日の出来事のせいだ。


「うっせぇ勝手に開けてんじゃねぇよ。てかお前の作った飯なんか不味くて食えねぇからストックしてあるコンビニ弁当出しとけクソが」


 そういうとお袋は黙って俺の部屋から出ていくと、今日も夜勤らしく朝早く家を出ていった。


 時計を見るといつも起きている時間よりかなり寝過ごしていることがわかった。俺はすぐ身支度を整えると早々と登校した。


「おーす弘樹。どうした?顔青いぜ?」


 教室に着くなり俺を出迎えたのはいつもの4人だった。コイツらは高校に入ってからずっと連んでる気のいい奴らだ。いや、


 俺は片手に拳を握ると、仲間の1人に向かって振りかざした。


「昨日はテメェらよくも——————ッ!!」


 すると突然。目の前が真っ赤になると同時に眼球が抉られるような激痛が走った。


「あっがぁぁぁぁ!!!」


「お、おい。本当に大丈夫かよ?」


 激しく切れた息を吐きながら俺はゆっくりと立ち上がり、その場にあった適当な机に身を預ける。


「バイトの疲労か?昨日お前あんまりサボってたじゃねぇか」


「それな!つかコイツずっと近くの木の下で寝てただけだろ」



「昨日‥‥だ?お前ら昨日俺に何したか忘れてるわけじゃねぇよな?」


 俺以外の4人が全員首を傾げながら見合わせると、その中の1人が俺に向かって言った。


「何言ってんだ?昨日俺たちはホテル街の空き缶掃除のボランティアに参加してたろ?」


 ‥‥‥‥‥‥は?


「いやお前何言って———————」


「いい汗かいたよなー。やっぱ人のために頑張るって気持ち良くね?」


「それな!弘樹も寝てばっかじゃなくてたまには俺らとやろうぜ!結構ハマるからよ!」


 コイツらは何を言っているんだ?ボランティア?今までの俺たちとは無縁の話だろうが‥‥いや、もしかしてほんとは全部夢だったのか?あのよく分からんやつに眼球抉られたのも、途方もない時間永遠に殴られ続けたのも、コイツらに拘束されたのも。

 

 全部、俺の夢?


「あははは、そうだよな。じゃなきゃ普通あんなこと起きねぇよ」


 頭を抑えながら俺は淡々と笑いだした。それは無意識といえるほど反射的に。


「てことは愛ちゃんも架空の存在で、まだ俺は綾乃を手放していない?」


 よく考えればそうだよな。あんな華奢な美少女に蹴り飛ばされたこともありえねぇことだし、あの黒ロングコートの男に殴り飛ばされたことだって全部。


「夢かぁ」


 そう考えているうちに黒いモヤに染まりかかっていた心が晴れていく。すると一眼目の授業開始のチャイムが教室に響き渡った。


「お前ら。もうすぐ試験も近いから今日はテスト勉強の時間に当ててやる。各自自習な」


 お、マジか!なら食っちゃべってても何も言わねーな。


 俺はいつものように前の席にいるタケルに声をかける。だがこちらを振り向かない、いつもだったら変顔かましてこっち向くのに。


「おいタケル!今日綾乃呼び出してホテルで乱交すんだけどお前来るっしょ?結構道具揃えてっから」


「やめろよ弘樹。今俺テスト勉強したいから話しかけんな」


 は?なんだコイツ。つまんな。


 なんか周りの奴らみんな勉強してるし。そんなんやって何の意味があんのかね。ほんと。


 俺はクラスの連中を嘲笑いながら机に突っ伏すると、この1時間は睡眠に使うと決め、静かに意識を闇へと沈ませていった。



 大体コイツらが俺を裏切るなんて有り得ないしな。よし、そうと決まれば今日こそ乱交だ。さっそく綾乃の奴を夜呼び出そう。






      【王子と18人の花嫁】


「ねぇ起きて。起きてよ弘樹君!」


 肩を叩かれ意識を覚醒させると、そこには見覚えのある顔があった。


「ん‥‥あれ?お前、確か」


「あ!起きた!大丈夫眠いの?」


 コイツは確か、俺が初めて他クラスの陰キャ男子から寝取った豊崎ひかり。


「ありがとね。今日はこんなオシャレなレストランに連れて来てくれて」


「え?あぁ、うん」


 これも夢か?随分鮮明な夢だな。眠りが浅いと疲れてる証拠って言うし、最近女抱きすぎて疲れてんだな。


「私の誕生日にはどこに連れてってくれるのかなー?楽しみー!」


「誕生日?そうだな。楽しみにしとけよ」


 夢でもモテるとか俺やばっ。やっぱ顔がいいからだよな。この女も顔はいいんだけど胸が小さいからなー、夢ならいいけど現実じゃいらねぇわ。捨てて正解っと。


「————ねぇ弘樹君。私の誕生日覚えてるよね?」


「たん、じょうび?」


 は?知るかよ。そんなん覚えてるわけねぇだろ。最初の女のなんか。


「もしかして、忘れちゃった?」


「あーわりぃ、もっかい教えてくんね?」


「‥‥‥‥」


「いいだろ別に一回くらい。そんくらい許せ——」


「私を愛してくれるって言ったのに」


 何が起こったのか分からなかった。ただこの痛みは覚えてる。眼球が自分の元から無くなったこの感覚。顔面に包丁を突き立てられるような、激痛。


「がぁッ!—————何、してんだ。おまえ」


 夢?夢なのにこの痛さはなんだよ!まるで、ほんとに味わってるような。


「どうして忘れてるの?私を愛してるって言ってたのに」


「待て、やめろ‥‥やめてくれ‥‥」


 テーブルナイフを右手に握ると、豊崎でナイフで俺の心臓を貫通させた。


————


———


——


「ガッあぁぁぁ!!!」


「ど、どうしたの?弘樹君」


「———あぁぁぁ‥‥あ?」


 俺の身を庇うようにその場にいたのは昔俺寝取った女、、名前は‥‥


「ねぇねぇ弘樹君。私の名前、覚えてる?」


「は?な、名前?えっと‥‥そうだ!沙耶!沙耶だろ!?」


「‥‥‥‥苗字は?」


 全身の血の気が降りる。苗字?そんなの覚えてるわけ———————


 後頭部に強い衝撃を覚えると、俺は短い距離だが吹き飛ばされた。怯えながら痛みを覚えた箇所を触ると、手のひら全面に血が付着した。


「が、あぁぁ—————」


「忘れたの?私を愛してくれると言ったのに」


 頭の整理が追いつかず、その場に項垂れていると、躊躇ちゅうちょなく鉄製のハンマーが伊藤の頭目掛けて振り下ろされた。


—————


———


——


 そこからはもう何回死んだか覚えていない。刺殺から始まって撲殺、絞殺、射殺、銃殺、薬殺、毒殺、圧殺、殴殺、斬殺、轢殺れきさつ色んな殺され方をした。


 それも今まで寝取ってきた女全員からだ。今分かっていることと言えば、質問に答えられなかったらその瞬間に殺されるということだ。


「もういい‥‥夢なら、早く覚ましてくれ。早く、休ませてくれ」


「弘樹君?」


「————ッ!?やだ、やめろ!もうこれ以上俺を殺さないでくれ!」


 腰を抜かしてその場に縮こまると、伊藤は声主の方向に振り向いた。


「あ、綾乃ッ!!?」


 目の前に救いを求めるかのように伊藤は四足歩行で綾乃の足元にすがる。


「頼む!助けてくれ!俺はお前のことを愛している!俺の彼女だろ!?だったら—————ッ!」


「愛している?それはほんと?」


「あぁ!マジで愛してるって!だから俺を」


「そうやって貴様は今まで寝取った相手全員に囁いたんだな?伊藤弘樹」


 綺麗な高音の声がトラウマを思い出させる重々しい低音の声に変化すると、伊藤は咄嗟に顔を上げた。


「あんたは‥‥なんで、あれは夢じゃ」


「夢?」


「そ、そうだ!だって俺の目はお前に抉られて本当はないはずなのに‥‥こうして無事だってなら、もう夢しかッ!!」


「そうやっていつまでも現実から目を背けていればいい。昨夜のことを誰よりも身に覚えているお前が忘れるわけないというのに」


「———な、なら!これは何なんだよ!何回も何回も何回も殺されて!」


 滑稽に地面で暴れる伊藤を見て、ハデスは高らかに笑った。


「ここまでお前を殺してきた奴はお前が愛していると囁いてきた女達だ。その言葉の重みを軽んじたお前にもはや救いなどない。永遠にこの地獄を味わい、朽ちるといい」


「永遠‥‥?だってこれこそ夢、なんだろ?」


「女性を軽んじたお前に一時の休養など与えると思うか?お前には意識を失うたびにこのエンディングをなんどもループさせる。それが授業中のうたた寝だろうが夜の睡眠だろうと。18人の花嫁達はお前をなんども殺し続ける。安心しろ、お前の好きな夢の中でな」


 ハデスは伊藤の首を掴み上げ、その身体を持ち上げると再び邪悪な笑みを浮かべた。


「————無様だな、伊藤弘樹」


—————


———



「ハァハァハァハァハァハァハァッ!!!!!」


「ど、どうした弘樹?汗凄いぞ?」


 目を覚ますといつのまにか授業が終わっていた。いつもの4人が俺の席を囲んでいる中、そいつらの間を掻き分けて窓辺へと走った。


「お、おい!どうしたの弘樹!!」


 無意識のうちに、俺はクラス内のあらゆる椅子や机の障害物をはねのけて窓にたどり着くと、その身を投げ出した。


 あぁ‥‥‥ようやくこれで休める。


 落下先は国道。俺は強い衝撃を持ってその身を打つと、迫り来るトラックの車輪に身体を捻じ曲げられた。



—————


——




 「死」?そんなものでお前の罪があがなわれると?


 言っただろ。意識を失う限りお前はエンディングを迎える。


 


 老衰死するまで永遠にな。わざわざ無限ループの道に走るとは恐れ入る。



 ほら。また1人花嫁がお前の元へやってきた。




「大丈夫?弘樹君。私の名前覚えてる?愛してるって言ってくれたもんね?」



 その瞬間。王子は花嫁を前に目を閉じた。


 



 

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