第12話 契約締結
「なんか、驚くほど拍子抜けだったね」
採用面接対策と称してありとあらゆる場面を想定し、準備したわりにはなにもかもスムーズだった。
お互いの両親はあっさり私達の結婚を認め、両家顔合わせも穏やかに幕を閉じた。
大変だと思っていればいるほど、実際は大したことがなかったと感じるのかもしれない。
「まあ、対策が完璧だったってことじゃないかな」
ちなみに瀬凪は謎の自主練とやらによって名前呼びとタメ口をマスターしていた。
どんな自主練だったのかは非常に興味をそそられるが、秘密と言っていたからには恐らく教えてくれないだろう。
ぬいぐるみでも前に置いてひたすら話しかける練習でもしたのだろうか。そうだとすれば、微笑ましいことこの上ない。
兎にも角にも、私達は最大の難関と思っていたミッションをクリアしたのだった。
「いよいよ入籍だね」
「うん」
瀬凪はとても嬉しそうに婚姻届を鞄から取り出した。
「じゃあ、先に書きます」
そう言ってペンを持った瀬凪に、私はハッとして待ったをかける。
「ちょっと待って!」
瀬凪は私の声にビクリと体を硬直させる。
「な、何? どうかした?」
恐る恐る尋ねてくる瀬凪。
「一つ重要なことを決めてなかった」
私が重々しく答えると、瀬凪はゴクリと喉を鳴らした。
「……重要なことって?」
「それは」
「それは?」
「苗字をどっちにするかだよ!」
「え」
私がカッと目を見開いて答えると、瀬凪は驚きに固まった。
「そんなこと?」
瀬凪のその一言に、私は語気を強める。
「何言ってんの! すごい重要だよ! この選択次第でどっちかの名前が変わるんだよ⁉」
私の主張に対し、瀬凪はあからさまにホッとした様子を見せた。
「つまり、朱侑は長谷川になるのが嫌ってこと?」
「長谷川が嫌というより、
そう、私の苗字は古神子という。ちなみに今まで身内以外でこの苗字の人には会ったことがない。
「大体の人が一発で名前を覚えてくれて便利だし、古い神の子どもだよ? 自分で言うのも何だけど、めちゃくちゃカッコいいと思うんだよね。 別に長谷川をディスる気持ちはないけど、古神子の方が絶対いいって!」
私は熱弁した。断固として徹底抗戦の姿勢を見せる私に、瀬凪はクスッと笑った。
「別にいいよ、古神子で」
「本当は夫婦別姓にできたら良いんだろうけど、今の日本じゃ出来ないからね。瀬凪は譲りたくないだろうけ……え?」
今度は私が驚きに固まる番だった。
「だから、いいよ。古神子で」
瀬凪はニコニコと笑っている。
「……本当にいいの?」
私が訝しげにそう聞くと、瀬凪は更に笑みを深めた。
「もちろん。僕も古神子の方がかっこいいと思う」
そう言って、瀬凪は婚姻届の『婚姻後の夫婦の氏』の欄の『妻の氏』にチェックを入れた。
「ほら、これでいいでしょ?」
瀬凪がとてもイキイキとした様子でそう言うので、私は肩透かしを食らった気分で静かに頷くことしか出来なかった。
「また一つ、夢がかなっちゃったなぁ」
その後、ポソッと呟くようにそういった瀬凪の声が、妙に耳に残った。
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