03 V-ハロー、ワールド


「さて、では手始めに、皆さん自分の体を軽く動かしてみましょう。VR空間内で身体アバターを操作する原理は一年次の座学で習っているかと思いますが――」


 教員たる和歌と二年二組の生徒四十名弱がいる、だだっぴろいこの空間。

 一見どこまでも続いているような草原だがその実、ここは百合園女学院が所有する学習教材用ローカルネットワークサーバー内の一角である。したがってゲームの本サーバーとは繋がっておらず、各人のアバターも現実世界での体をそのまま模したものとなっていた。


「まあ正直、基本的には現実で体を動かすのと何ら変わりないですね。加えてこちらのセカイでは、慣れてくると髪の毛とか耳とか尻尾とかも、自分の意思で動かせるようになりますよ」


 言いながら和歌は、自らの二つのおさげをぴょこぴょこと動かして見せる。

 シナプスがどうとか、電気信号がどうとか。そんなことを一々意識しなくとも、基本動作の範囲内であれば、アバターは自由に動かせるものなのである。

 現実の肉体も、全く同じであるように。


「おー」


「かわいいー」


「わたしもできるよそれ」


「ほんと?すごい、どうやってやるの?」


「えっとねー」


 去年一年間、散々座学で学んできたVR技術。遂に実習という形でそれに触れられるとあって、特に未経験者などは、テンションが上がってしまうのも致し方ないことだろう。

 しかしそこはやはり、間口が広いとはいえ歴史ある女学院の生徒たち。はしゃぎ方も、どこか華があるというかなんというか。具体的にいうと百合とかそこら辺のやつ。


「わかるわかる。初めてこっち・・・来ると、やっぱはしゃいじゃうよねぇ」


「そうね」


 経験の浅い者たちを中心に自然と造られた人の輪の、どちらかというと外縁の方で、華花と未代も一言二言交わしながら、簡単に動きをチェックする。そこからほど近いところでは、蜜実が同じように軽く手足を動かしていた。


「黄金さんはこのゲームやったことあるの?」


「うーんと、まあ、そこそこかなー?」


「私は初めてなんだけど、ほんとに凄いねこれ。現実みたい」


仮想バーチャルだけど、ここまで来ると文字通り現実リアルだよねー」


 仮想現実バーチャルリアリティに感動する女生徒と、非現実バーチャル高精度リアルさを称賛する蜜実の会話は、噛み合っているようないないような、端から聞くと妙に気の抜ける謎の空気感があった。


「黄金さんって、もしかして結構天然なのかな?」


 会話を聞いていた未代が、思わずそう言ってしまうほどには。


「そうかもね」


(さっきから思ってたけど、この子ちょっとミツに似てるかも……はぁ、ミツ可愛い。私の脳内ミツも本物の百分の一くらいには可愛いな。……いや、それだと脳内ミツに失礼かな……?妄想とはいえミツはミツだし……いやでもやっぱり本物の方が……)


 華花が空返事をするときは九割九分ミツについて考えているのだが、生憎とそれを知るものは現時点では、誰一人として居なかった。 




 ◆ ◆ ◆




「ひとしきりバーチャルの体にも慣れてきたところで、先ほども言いましたが二人組に分かれてもらいます。名前を読み上げるのでペア同士で集まってくださいね」


 十分程度の軽いフィッティングを済ませた後、和歌の呼びかけによって生徒たちが二人一組に分かれていく。


「基本的にはVR経験者と未経験者のペアになるんですけど……このクラスは経験者が少し多かったので、一組だけ経験者同士で組んでもらうことになりました」


「それが私たち?」


「みたいだねー」


 華花と蜜実であった。


「よろしく」


「よろしくねー」


 朝の一幕と同じように軽く挨拶をする二人であったが、内心では。


((ペアで行動……これって浮気にならないよね……?))


 同じ様なことを考えていた。ちなみに、どう転んでも浮気にはならない。


「よろっすー」


「よろしくお願い致しますね。わたくしこういった分野は全くの未経験でして……迷惑をかけてしまうかもしれませんが……」


「だいじょぶだいじょぶ。そのためのペア行動じゃん?」


「陽取さん、お優しいんですね」


 一方未代は、各クラスに一人二人紛れ込んでいるホンモノのお嬢様とペアになっていた。


「ではでは皆さん。皆さんにはこれから、ちょっとした運動・・をしてもらいます」


 それぞれの挨拶が終わったころを見計らってかけられた和歌の声。それに従って生徒たちは、各ペアごとに少しずつ距離を置いて広がる。


「まずは皆さん、自身のステータスと所持品を確認してください……と言ってもまあ教材なので、全員ほとんど初期値で共通なんですけれども」


 言われるがままに華花と蜜実がメニューを開くと、そこに並んでいた数字は確かに、上から下まで始めたての頃に見たような水準。所持品も、剣、盾、弓、杖の初期装備四種のみ。


 最初期から[HELLO WORLD]の世界にどっぷりと浸ってきた二人からしたら、もはや懐かしさすら感じるようなラインナップであった。


「ステータスは……現時点では良し悪しも何もないので、取りあえず好きな武器を装備してみましょう。手順は――」


「装備?」


「こうかな?」


「わっ、でてきた」


「そうそうそんな感じ」


 VR未経験者たちは、武器・装備といった日常生活では聞き慣れない言葉に戸惑いながらも指示に従い、経験者たちはこの後起こりうる運動・・とやらに目星がつき身構える。


「装備出来ましたか?では、いよいよお楽しみのお時間!」


 教員用コンソールを操作し、チュートリアルプログラムを起動する和歌。


「やはり仮想現実のセカイに来たからには、現実ではあり得ないものと相対し、現実ではあり得ない手法でもって対応する。これこそが基本であり真髄だと、先生は思うんです!」


 教員らしい綺麗な笑顔を浮かべながら、その指でスタートボタンを押下。


この子たち・・・・・はチュートリアル用に調整されていますから、初期状態の皆さんでも十分に対応できるはずですよ。二対一ならなおさらです!」


 立ち昇る光のエフェクトと共に各ペアの前に一頭ずつ現れたのは、体長二メートルほどもある、イノシシを模したモンスター。 


「対処法は実戦で学んでください。剣、弓、魔法に徒手空拳、ここは何でもありの夢のようなセカイなんですから!」


 当たり前の話だが、通常一つの学校には、特定の科目を専門とした教員が複数人ずついるものである。百合園女学院ほど大規模な教育機関であればなおのことであり、また近年急速に取り入れられているVR教育の分野においても、もちろんそれは例外ではない。


「マジで戦わせるんだ……」


「しかも戦い方の説明はなし……と」


「美山先生の鬼!」


「悪魔!」


「「廃人!!」」


 すなわち、百合園女学院にもVR実習担当の教員が複数人おり。その誰もが[HELLO WORLD]にどっぷり浸ったヘビーユーザーでもあるのだが。



「大丈夫!『痛覚反映フィードバック』も『流血表現ショッキングレベル』も最低値に設定してありますから。皆さん安心して、初めての方は存分に、初VRを楽しんでくださいね!」



 にこやかにそう告げるVR担当最年少教諭、美山 和歌(二十四歳・独身)は、他の追随を許さないほどの、熱狂的な戦闘狂バトルジャンキーであった。



「あ、そうそう。黄金さんと白銀さんは経験者同士のペアということで、ほかの皆さんよりもちょっと強い子を用意してありますよ!」


「……ちょっと?」


「……ちょっとかなー?」


 いい仕事してやったわと、和歌のメガネはVR世界でも得意げに輝いていた。

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