第50話 紅蓮の炎。

ヒュンヒュンヒュン


 風を切る音と共に、火の付いた矢がベルンシュタイン国の東の砦に向かって飛来する。さすがに砦の高い防壁を越えてくるものは少ないとはいえ、火矢には油の入った袋が括り付けられていた。その袋が破れると、中から油が飛び散り、その油に引火した炎は石でできた床の上を燃え広がっていく。


「うわあっ! 助けてくれ! 火が! 火がっ!」


 不運にも油を被ってしまった兵士が、悲痛な叫び声を上げながら甲冑に燃え移った火を消そうと床の上を転がる。近くにいた他の兵士達が慌てて駆け寄り、マントなどで仲間の体に着いた火を懸命に叩き消す。


「飛んでくる火矢に気をつけろ! 外壁の近くにいる者は、必ず盾を持て!」


 再び敵の攻撃を受ける砦の指揮をとっていたのはガルロイだった。


「くそっ!」


 その隣でイライラと言葉を吐き捨てているのはルイだ。目の前に飛んできた火矢を剣で切り落とし、憎々し気に炎を足で踏み消している。いつもの明るさは鳴りを潜め、表情には疲労と怒りが見て取れた。

 こんな表情をさせる事になるなら、王都へ置いて来るべきだったと悔やんだ。言葉にしたことはないが、ルイには幸せになってほしいと願っている。

 両親を亡くし、生まれた村から一人王都へやって来ていたルイは、酷く痩せていて、ぼろぼろの服を身にまとっていた。

 だが、目だけはどこまでも澄んでいて、瞳を輝かせながらガルロイに騎士になりたいのだと言い寄って来たのだ。たまたま王都で取り押さえた暴漢を警備兵へ引き渡していたガルロイの姿を見て、ガルロイを王宮の騎士か何かと勘違いしたようだった。結婚もする気がなかったガルロイは、単なる思い付きだけでルイを養子にしたのだった。身寄りのない子供一人ぐらい面倒をみてもいいだろうと思ったのだ。

 ガルロイはルイの姿を横目で見ただけでそのまま視線を王女とクロウを飲み込んだ渓谷を流れる濁流に向ける。

 無意識に剣を掴んでいた手に力がこもる。


『追うな! 追ってはならん! 王女殿下は無事だ! すでに救助に向かっている! 殿下は必ずお戻りになる! それまで、我々は砦を死守するのだ!』


 濁流に王女の姿が消えた瞬間、ルイを含めその場にいたベルンシュタイン国側の兵士達はすぐにその後を追おうとした。

 だが、それをすんでのところで止めたのはガルロイだった。動揺するベルンシュタイン騎兵達を叱咤激励しながら隊を立て直し、自ら殿(しんがり)をつとめ、敵味方が入り乱れる戦場から、いくらかの負傷者を出してしまったとはいえベルンシュタイン国の兵士達を全員砦へ連れ帰って来た。それができたのは、『王女殿下は無事だ』というガルロイの言葉を皆が信じたからだ。あの場で不思議な光を放つ剣を持ったクロウの姿を目の当たりにしていなかったら、王女の後を追おうとした兵士達を止めることはできなかっただろう。

 ガルロイは騎士達を止めた事は正しかったと信じている。

 だが、リリア王女を危険に晒し、さらに安否が分からないこの状況を招いたことが、酷く彼の心を苛んでいた。

 思わず強く目を閉じる。


(私は、どうすれば良かったのだ……)


 脳裏に、ガルロイが敬愛してやまない二人の男の顔が浮かぶ。まさに太陽のように国を繁栄に導いたアルフレッド王の不敵な笑みと、まるで暗闇を照らす月のようにどん底にあったベルンシュタイン国を立て直したシュティル王の静かな笑みだ。

 

「陛下……」


 改めて二人の偉大さを痛感する。

 突如、ガルロイの耳に悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。その後、ざわめきが波のように広がっていく。


「ガルロイ殿!」


 名を呼ばれ、心の闇に囚われそうになっていたガルロイがはっと顔を上げた。遠くの山々の影へ太陽は隠れ夕闇が近づく中、砦を囲む森のあちこちから煙が上がっている。


「愚かな! 蛮族どもめ! 聖なる森に火を放ったか!」


 ギリギリと奥歯を食いしばるガルロイの喉の奥から憎々し気な言葉が放たれた。

 ボルドビア軍はベルンシュタイン国の砦の鉄壁の防御に業を煮やし、村を焼くだけで飽き足らず、精霊の住まう聖なる森にまで火を放ったのだ。

 月も星もない漆黒の闇が辺りを包み始める頃には火は勢いを増し、バチバチと音を立てながら紅蓮の炎が森を蹂躙していく。

 時折、はらはらと粉雪が舞う中、森が燃えゆく様子を、ベルンシュタイン国の人々は砦の外壁の上からただ愕然と見つめるしかなかった。

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