第18話 冬の気配。

「王女殿下!」


 医療院の建設現場へ視察に向かう為、王城の門を出たリリア達の目前に、長身の男が颯爽と現れた。彼は素早くリリアの手を取ると、その甲に口づけを落とす。 


「! ア、アルビオン侯爵……」

「ジェラルド、とお呼びください」


 驚くリリアに笑みを向けている男は、旅装姿のジェラルド・アルビオン侯爵だった。その背後には彼と同じく旅支度を整えた従者達が数名、荷を乗せた馬を引いて出発の時を待っているようであった。


「……領地へお戻りになられるのですか?」

「ええ。もう少しこの王都に滞在したいのですが、長居をしてしまうと、雪で帰れなくなってしまいますからね。名残惜しくはありますが、今から我が領地へ戻るとところです。殿下は今から建設現場に向かわれるのですか?」

「はい、そうです」

「では、私共もご一緒させてください。幸運なことに向かう方向も同じだ。それに、出資した者として、この目で建設中の建物の様子も見ておきたいですからね」


 どうやらジェラルドはリリアを待ち伏せしていたようだった。王女の予定を把握していることも驚きだが、同行することを断れないように笑顔で先手を打ってくるところはさすがと言っていいだろう。


「あんな言い方されたら、姫様は嫌とは言えないじゃないか!」

「ルイ!」


 リリアの背後でムッとしながら呟くルイに対し、ガルロイが小声で窘める声が聞こえてくる。

 だが、今のジェラルドにとってリリア以外はどうでもいいようだった。それ以外の者などまるでいないかのような態度だ。

 しかし、この前の舞踏会の夜のような思いつめた雰囲気はなく、貴族の好青年らしい爽やかな笑顔を浮かべている。その柔和な笑顔の下で、実際何を考えているのかを読み取ることは出来ないが、何を考えていようと、リリアの夢への実現へ手助けをしてくれていることには変わらなかった。


「賛同していただき、感謝しております。出資下さった方々のお陰で、工事も滞りなく進んでいるようです。もう間もなく、案内の者が到着しますので、ご一緒に参りましょう」


 背後にいるガルロイとルイが緊迫した空気を放つ中、リリアは丁寧に言葉を返す。

 とはいえ、内心の戸惑いが消える分けではなかった。

 義父であるシュティルからは、ジェラルドが婚約者になることはないと聞いていただけに、なぜこれほどまでしてリリアとの接触を図るのか、彼の意図がまったく見えないのだ。

 しかし、ジェラルドはリリアの戸惑いを知ってか知らずか、とても満足そうに微笑んだ。


「では、私の馬に乗ってください。ご一緒してくださるのでしょう?」

「え?」


 驚きのあまり無防備に突っ立っていたリリアの体を、ジェラルドは強引に抱き上げ、あっという間に彼の馬の背へ座らせる。

 そして彼自身も、すぐにリリアと向かい合うように騎乗した。


「「姫様!」」


 突然の出来事に、ガルロイとルイは同時に声をあげた。慌てってリリアの元へ駆け寄って来た。


「ガルロイ! ルイ!」


 リリアはガルロイとルイに救いを求めるように手を伸ばす。


「侯爵殿! 何のまねでございますか?!」


 さすがにガルロイもジェラルドの暴挙に怒りを抑えきれなくなったのか、険しい表情で、ジェラルドに詰め寄る。

 だが、ジェラルドはまるで返答の必要なしとでもいうように、ちらりとガルロイへ一瞥をくれただけで、すぐに自分の従者へ声を掛けた。


「先に行く」

「はい。ジェラルド様」


 初めから申し合わせてあったのだろう。彼の従者達が驚いている様子は無い。すぐに自分たちの馬へ次々に騎乗しはじめた。

 その間にも、ジェラルドはガルロイとルイからリリアを引き離すかのように、馬首を巡らすと、一気に馬を駆けさせはじめた。


「! ルイ、急ぐぞ!」

「くそっ! あいつは、何がしたいんだよ!」


 ガルロイとルイは大急ぎで自分達の馬を引き出してくると、飛び乗った。

 そして、わき目もふらずリリア達の後を追う。


************


「きゃっ!」


 急に馬が走り出したので、リリアは悲鳴を上げた。思わずジェラルドの左腕にしがみ付く。

 だが、腕に摑まっているだけではあまりにも不安定で、落馬の恐怖がリリアを襲う。


「それでは怖いでしょう? さあ、私の体にしっかりと摑まりなさい」

 ジェラルドは怯えるリリアを宥めるが、馬を止めるつもりはないようだった。

 それどころか、リリアにしがみ付かれ、嬉しそうに声を弾ませている。その様子を見た彼の従者達はお互いの顔を見合わせた。長い年月をジェラルドの傍に付き従ってきた彼らであったが、いまだかつてこれほど楽しそうな様子を見せる主の姿を見たことがなかったのだ。


「王女殿下、そのようなに腕に摑まっているだけでは、本当に落馬してしまいますよ? さあ、早く私の体に腕を回しなさい」


 そう言いながら、ジェラルドは自分の腕に縋り付いている小さな手を掴むと、自分の胴へと誘導する。

 だが、リリアはジェラルドの思惑に抗うように、涙で潤んだ目を彼に向けた。


「う、馬を止めてください!」


 リリアは、必死だった。

 だが、リリアに見つめられ、ジェラルドは僅かに頬を緩めただけでリリアの訴えを聞き入れてくれる様子はみられなかった。リリアの表情が失意で強張る。その一方で、ジェラルドの眼差しは徐々に熱を帯びはじめていた。


「………このまま、私の領地へ来ませんか?」


 一瞬恐怖を忘れてジェラルドの顔を凝視したリリアは、いつのまにか彼の表情が舞踏会の夜のように酷く思いつめたものになっているのに気付く。


「………貴女は、私がこれほどそばにいるというのに、頬を僅かにでも染めてはくださらないのですね?」


 とても切なげに、ジェラルドはリリアに向かって訴えてくる。


「月光の下で貴方の姿を見つけた時、私の凍り付いていた心が震えたのですよ。何もかも諦めていた私のところへ飛び込んで来たのは貴方の方だ。今も貴方のその可憐な姿を目にし、鳥のさえずりのような声を聞き、柔らかな身体の温もりを感じて、私の再び流れ出した熱い血がまるで行き場をなくした激流のように体中を駆け巡っている。リリア王女、………いえ、私のリリティシア」


 リリアの本当の名前を呼ぶと、ジェラルドは感極まったように手綱を持ったまま、リリアの体を両腕で強く抱きしめる。


「! く、苦しい………。は、離してください! お願いっ!」


 馬上であることも忘れて、リリアはジェラルドの腕から逃れようと身をよじる。


「リリア?!」


 突然聞こえてきたシャイルの声に、リリアの目は救いを求めるようにその声の主の姿を探す。坂の下から、シャイルを乗せた馬が上がって来る姿が目に留まった。城で待っているはずのリリアがこのようなところにいて、シャイルは目を見開いて驚いているようだった。


「シャイル!!」


 リリアはあっという間にシャイルの横を通り過ぎていた。異変に気付いたシャイルがすぐに手綱を引き、棹立ちになった馬の嘶きが辺りに響く。


「シャイル殿!」


 馬首を反転させリリアを追うように駈け出したシャイルの両脇に、後から追いついて来たガルロイとルイが並ぶ。彼らの焦った表情を見てシャイルは何事か起きていることを確信する。


「あの男は誰なのですか?!」


 馬を駆けさせながら、怒りも露わにシャイルは並走する団長へ疑問をぶつける。


「ジェラルド・アルビオン侯爵だ」

「ジェラルド? ………あの元婚約者候補の男か!」


 先日、国王の執務室で聞いた話を思い出したのか、シャイルの表情がさらに険しくなる。


「あの男はリリアを乗せて、どこへ向かっているのです?」

「建設現場へ向かっているはずなのだが………」


 不安を隠せない様子のガルロイの姿を目にし、シャイルの瞳の奥に剣呑な光が灯る。それに気づいたガルロイが焦った声を上げた。


「まだ侯爵の意図がはっきりしていないのだ。シャイル殿、決して早まってはならんぞ!」

「……」


 無言でリリアの後を追うシャイルを気にしつつ、馬を並走させていたガルロイの耳に、背後から馬の嘶きが聞こえてきた。振り返ると、ユーリック・オークスが血相を変えて追ってくる。


「王女殿下! お待ちください!」

「ユーリック卿?」

「ガルロイ卿! 王女殿下はどちらにおられるのですか?」


 追いついたユーリック・オークスがひどく焦った様子でガルロイに問うてくる。


「もう少し前を、アルビオン侯爵殿の馬に乗って建設現場に向かっておられます」

「侯爵殿と?」


 一瞬驚く表情を見せたが、すぐに口を引き結びユーリックは馬の速度を上げた。


「王女殿下! アルビオン侯爵殿! どうかお待ちください!」


 ユーリックの声に気付いたジェラルドが馬の速度を落とす。


「止まれ!」


 ジェラルドの命令に従い、彼の従者達が次々に主を取り囲むように馬を止める。

 その間、ジェラルドはリリアを乗せたまま駆け寄って来るユーリックを怪訝そうな眼差しで待っていた。馬がやっと止まったことで、安堵したリリアはぐったりとしていて、ユーリックに気付いていなかった。


「王女殿下!」


 ユーリックはリリアを乗せたジェラルドの馬の横へ馬を並べてきた。そこで、やっと顔を上げたリリアはユーリックに気付いた。そして、彼の今までにないあまりに深刻な表情を見て、目を見張った。


「! ユーリック? どうしてここに?」

「王女殿下、すぐに王城へお戻りください」

「え? どうしたのですか? お城で何か、あったのですか?」


 不安そうな眼差しを向ければ、ユーリックが顔を強張らせたまま口をひらいた。


「陛下が、お倒れになりました」


 ユーリックが発した言葉はリリアだけでなく、その場にいた者すべてから一瞬にして動きを奪ってしまった。

 北から乾いた冷たい風が吹き抜けて行く。

 もう間もなくベルンシュタイン国は厳しい冬を迎えようとしていた。

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