【中編】ほーみたい -俺だけを殺す彼女の魔法-

夏目くちびる

第1話

 近所に、イギリス人の家族が引っ越してきた。



「Hello boy」


「は、はろー」



 当時はまだ小学生で、身長と鼻が高い異国人に結構ビビっていたりもしたが。



 ある日、そんな俺に母は一つの命令を下したのだ。



「ミヒロ、クララちゃんと遊んであげなさい」


「……誰だよ」



 クララとは、そのイギリス人家族の一人娘だ。



 金髪の碧眼で、マジで人形みたいな。あまりにも綺麗すぎて、全然親近感が湧かない。多分、神様がオーダーメイドでもしたんだろうなって。



 絵画の天使にも似た、そんな造形。



 そして、俺より一つ年下で、日本語が喋れなかった。



「めんどくせぇなぁ」



 だから、良すぎる容姿も相まって、小学校で孤立して、結構寂しい思いをしているらしい。



 そんな事を、ちゃんと両親に相談したのだろうか。それとも、別口からバレたのかは分からないが。



 とりあえず、一人で抱え込まないで、助けを求めた。



 その相手が、たまたま俺になったのだ。



「おはよう」


「ぅおは、よー」



 だから、本心を隠さない素直な性格の、頑張り屋さんな女の子なんだなぁと、当時は子供ながらに思っていた。



「クララは、学校つまらないんか?」


「……?」


「どぅー、ゆー、のっと、ふぁにー、すくーる? ……合ってるのか? これ」



 すると、クララは伏し目がちに俯いて、小さく縦に首を振った。



「じゃあ、俺が日本語教えてやっから。ちゃんと喋れるようになって、友達作れよ」


「Thank you」



 それから、俺は一年生の頃に使っていた国語のドリルを引っ張り出して、クララに日本語を教えた。



「あ、い、う、え、お」


「うぁ、いる、うー、うぇー、うるぉー」


「だから違うって、日本語は喉から声出しちゃダメなんよ」


「らめ、なんよ」


「なんでそれは出来るんだよ」



 そんな感じで、結構雑なやり方ではあったけど。それなりに、一生懸命教えた。



 彼女の両親は仕事で忙しいらしく、ロクに言葉を教える時間もないようだった。だから、家ではほとんど独学でやっているんだとか。



 しかし、クララは頭が悪いというか、要領が悪いというか。



「分かんないか」


「わかない」



 とにかく、時間がかかった。一つ言葉を覚えるのに、一日は必要になったくらいだ。



 教育というモノが、如何に大変かが分かる。そりゃ、先生もキレ散らかして職員室に引きこもるわ。



「なんてな」


「なん、てぃな」



 でも、俺がそれをやるワケにはいかない。



 乗り掛かった舟だ。最後まで頑張ろう。



「仕方ねぇ」


「しかた、なぁ」



 だから、俺は母親との『遊べ』という約束を破って、ずっと真面目に日本語の『勉強』をした。



 まぁ、俺も前にハワイへ行った時、迷子になって言葉が通じなくて本気で人生終わったと感じたから、そんな寂しい思いをしながら生きるのは可愛そうだと思ったのだ。



 はっきり言って、同情だった。



 別に、好きとか。そういう感情は無かった。



 年下だしな。



「おい、ミヒロ。そいつ、お前の彼女か?」



 公園で教えていると、時々こうしてクラスの奴らがからかいに来た。



「ちげぇよ」


「嘘ばっか。お前、いっつもそいつと一緒にいるじゃんか〜」



 そのたびに、俺は恥ずかしくって。だから、何も言い返せずに殴りかかって、囲まれてボコられたりしていた。



「……I'm truly sorry」


「最後の言葉は知ってる。まぁ、お前は悪くないし、別にいいよ」



 そんなこんなで、気が付けば一年が経ち、俺は5年生に、クララは4年生になった。



 クララは、日常会話が出来るくらいにはなっていた。多分、家でもたくさん練習したんだろう。



「よく頑張ったな」


「うん。あたし、がんばた」



 小さく笑うと、クララは後ろで手を組んで体を揺らし、ワンピースの裾をヒラヒラと動かしている。



 どうやら、これが照れたときの癖らしい。



「まぁ、そんだけ喋れりゃ上等だろ。新しいクラスには、友達はいんのか?」


「いりゅ」


「そうか、これからは学校を楽しめよ」


「うん」



 そうやって、彼女に別れを告げた。



 父の事情で、俺は都内へ引っ越す事になっていたからだ。



「そんじゃな」


「……ミヒロ」


「ん?」


「ほーみたい」


「あ?」



 急に、何を言い出すかと思えば。みっちり教えた日本語ではなく、英語だった。



 そこは、成果を示して日本語で感謝するところじゃないのか?



「ぷりぃず……」



 悲しんでいるのか、喜んでいるのか、よく分からない半泣きの複雑な微笑だ。



 しかし、小学生の俺でも、それが無理やり作った表情なのは分かった。



 無論、幼い俺は彼女を受け止める事は出来なかったが。



 少しだけ、心がチクリと痛かった。



「意味分かんねぇよ、それどういう意味だ?」


「……また、こんど、あいましょ」


「へぇ。まぁ、そのうち会えるだろ」



 そして、俺は生まれた街を離れたのだった。



 ……事態が動き出したのは、もう出来事を忘れてしまった6年後の事だった。



「なんか、すっげぇかわいい一年が入ったらしい」



 俺が高校へ入学して、一年が経ったある日の朝。友人のカナタが、こんな話をしてきたのだ。



「へぇ、誰に似てんの? 栗山千明? シシドカフカ? あ、かしゆか?」


「それ、お前が好きなタイプ言ってるだけだろ。その子は、外人らしい」


「へぇ、若い頃のズーイー・デシャネルくらいかわいいんかな」


「だから、それはお前の好きなタイプだろうが」



 俺とカナタは、一年の時に映研で知り合った。映画の趣味が重なっていた事で仲良くなり、それ以来常に一緒に行動している。



 身長は、俺より少し低い。体は痩せ型で、茶髪の前髪を垂らした爽やかヘア。瞳の色が赤いのが、日本人じゃ珍しい。



 好きな映画は、『シェフ』と『セッション』。俺とおんなじだ。



「なら、どれくらいだよ」


「わからん、俺も噂しか聞いてないからな」


「ほんじゃ、飯食う前に見に行こうぜ。多分、似たようなヤジウマがたくさんいるだろ。そこに混ざろう」


「ミヒロって、意外とノリがいいよな」



 ということで、昼休み。



 俺たちは、部室へ向かう前に一年五組の教室を覗きに行った。



「それっぽい奴、いないぞ?」


「あぁ、マジか」


「部活選びに出掛けてるんじゃねぇの?」


「そうかもな、また今度にすっか」



 言って、部室へ向かう。俺とカナタは、いつも映画を見ながら弁当を食っているからだ。 



「そういえば、俺ってガキん時に外人の子に日本語教えてたな」



 ふと思い出して、道中にそんな話を口ずさんだ。



「嘘っぽいな、そんな事ある?」



 しっかり聞かれていたらしい。カナタが、暇つぶしとばかりに食い付く。



「マジマジ。頭悪い子でさ、その子に教えるために逆に英語勉強したもん」


「お前、そういうとこあるよな」


「かーちゃんの命令だったんだよ」


「あぁ、お前のかーちゃん恐いもんな」



 そんな話をして、部室棟へ辿り着いた。



 ……気のせいだろうか。さっき、やけに周囲から注目されていたような気がしたのは。



「で、その子はどんな子だったん?」


「ブロンドの青目でよ、なんか柔らかい印象の子だった。性格も、内気で弱っちい感じ」


「めちゃくちゃかわいいっぽいな、絶対に嘘だろ」


「嘘じゃねぇって」



 言いながら、階段を登って部室の前へ。すると、そこには一人の女子生徒が立っていた。



「あなたのはレビオサー」


「ふははっ。……あ、カナタ。あれ見ろ」


「ん?」



 指差して、呟く。



「ほら、部室の前の子。ちょうど、あんな感じの雰囲気の子だった」


「……ミヒロ?」



 突然、気が付いたその女子に名前を呼ばれた。前を見ると、彼女は俺を見て、手に持っていた入部届を地面に落としている。



 身長は、167センチ程度。金の髪は肩の辺りでナチュラルに切り揃え、やや高い鼻に白い肌。少し短いスカート、垂れた青い目。



 成長しているが、確かに見覚えのある顔だ。



「あれ、マジでクララじゃん。久しぶり」


「は? ミヒロ、知り合いなん?」


「うん、この子だよ。今話した、日本語を教えてた子。名前はクララ」


「マジか。つーか、ビジュアル的に噂の一年ってこの子だろ。すっげぇ偶然だ」



 実際、すっげぇ偶然だと思う。あまりにも予想外の展開すぎて、何だかリアクションを取ることも忘れてしまった。



「み、み、ミヒロ。あの、ひ、久しぶり」


「久しぶり、クララ。お前、だいぶ背ぇ伸びたな」


「でも、前よりミヒロと差があるよ」



 10センチくらいか。あの頃、サイズは大して変わらんかったからな。



「映研入んの?」


「うん。映画、好きだし」


「そうか。立ち話もなんだし、中に入りなよ。俺ら、メンバーなんだ」


「うん、ありがと」



 ……多分、向こうもおんなじだ。



 実際の再会というのは、フィクションと違ってこんなモノなのだろう。



 ドラマティックに抱き合って、笑顔で喜びを分かち合うだなんて。そんな事は、起こらない。



 というか、別にそういう関係でもないし。あくまでドライに、事実を噛みしめる程度だ。



 いや、感動はしてるよ。うん、めちゃくちゃしてる。ちゃんと、喋れるようになってるし。



 でも、表には出さないってだけ。



「日本語、うまくなったな」


「……っ! う、うん!」



 何故か、クララは急にウキウキになった。



 多分、死ぬほど練習したんだろうな。



「映画見て、学んだのか?」


「うん、日本語の映画。いっぱい見た。ジブリ好き」


「なるほどな。あぁ、こっちのメンズはカナタ。俺のダチ」


「ダチ?」


「友達、フレンド」


「なるほど。よろしく、カナタ君。あたし、クララです」


「うん。よろしくね」



 こういう時、無駄口を叩かないのがカナタの長所だ。



 彼は、基本的に物事を中立的に見るために、調べて確かなモノとしてから話すクセがある。



 だから、俺と彼女の関係を見極めて、改めて口を突っ込むをつもりなんだと思う。



 そのぶん、ムカつくいじられ方をするけど。



「今日は何を見るかな」


「せっかくだし、ジブリの映画を見よう。クララ、お前なにが一番好きなの?」


「まじょたく、好きだよ」


「じゃあ、魔女の宅急便だな。カナタ」


「がってん」


「クララ、お前も弁当持ってこいよ。一緒に見ながら食べよう」


「が、がってん」



 そして、俺たちは三人で弁当を食べながら、魔女の宅急便を見ていた。



「でも、どうしてこの学校に来たんだ? あの街からじゃ、電車でも2時間近くかかるだろ」



 すると、ボソリ。



「えっと、ミヒロが通ってるって聞いたから。一緒の学校行きたくて」


「へぇ、俺が通ってるって聞いたからかぁ」


「うん」



 ……は?



 ――ガッシャン!



「きゃあ! な、なに!?」



 クララの言葉の後、俺とカナタはベンチごと後ろへひっくり返って天井を見上げた。そのままの状態で、一歩も動けない。



「なぁ、聞き間違いか? あの美少女は、偶然なんかじゃなくて、貴様に会いたくてこの学校に来た。そう、聞こえたが?」


「わ、分からん。もしかすると、俺の脳みそが都合のいいように解釈した可能性もある」


「なら、どうして俺も同じように聞こえてるんだ?」


「お前は、自分より俺の幸せを願ってくれてるんだろ」


「そこまで大人じゃねぇよ」



 下らない話をしていると、クララがスカートを抑えながら俺たちを覗き込んだ。



「ヴィーナスだ」



 髪の毛が垂れて、ライトに照らされて光って。まるで、有名ブランドのポスターのようだと思った。



 神々しさ、ある。



「……アノ、だいじょぶ?」 


「あ、あぁ。まぁ、大丈夫。カナタ、立てるか?」


「イテテ。タンコブになってるけど、いけそう」



 ベンチを直して、カナタに手を貸す。何だか、本気で痛そうだ。



 クララは、そんなカナタの後頭部に弁当の保冷剤を当てた。まだ、冷気は残っているらしい。



「ありがと、クララちゃん」


「気にしないで、ください」



 しかし、問題はそこではない。もう一度、言葉の意味をハッキリさせる必要がある。



「それで、マジで俺が通ってるからこの学校に来たのか?」


「う、うん」


「……なるほど」


「なぁ、ミヒロ。俺、消えた方がいいか?」


「いや、そんなことはない。この件は、一度家に持ち帰って考える事にする」


「まぁ、お前らしいな」



 こういった摩訶不思議に出会ったとき、俺は一度保留して考えるクセがある。



 そうしないと、何だか生き方を失敗してしまう気がして。だから、じっくりゆっくり、真面目に考えるのだ。



「顔、赤いよ?」


「そりゃ、赤くもなるだろ。俺だって、面と向かって言われたら照れる」


「ミヒロ、かわいい」



 イギリス人の女というのは、こうも直接的に愛を表現するモノなのか。それとも、クララだからなのだろうか。



 距離感がバグってる。少なくとも、俺はそう思った。



「かわいいってよ、ミィちゃん」


「やかましいよ」



 それにしても、まさか6年も前の事を忘れずに、会うためだけに学校を選ぶだなんて。



 イカれてる。普通、そんなに思い続ける事なんて出来ないだろ。



「……まぁ、とりあえず映研に入ることは歓迎する。部長にも、俺から話しておく」


「熱烈歓迎だよ、クララちゃん」


「ありがとございます、よろしく」



 ということで、その場はひとまずお開きとなった。午後の授業が頭に入らなかった事は、語るまでもないだろう。

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