1-4
五月一〇日、午前七時四四分、白華学園、視聴覚室。
『先日、アメリカにて、武装集団が政府施設を襲撃、多数の死傷者が出ました。この事件を受けて政府は、特殊部隊の設立を発表し……』
「あたしのジャーナリズムが騒いでいる……あたしはこんな学校でとどまるようなやつじゃないっ!」
ニュースを読み続けるアナウンサーの声が漏れているスマホを掲げながら、少女が叫んだ。
「マリナせんぱ〜い、目下の報道部廃部の危機に向き合いましょうよ〜」
「うるさい!あたしだってちゃんと考えてるわ!この学校の地下に眠る、超古代の遺跡の探索許可さえ下りれば、報道部の未来も明るいってもんなのに……。あの
口を尖らせながら言うマリナに、後輩の女子は爪をぴかぴかにみがきながら、どうでもよさげに口を開く。
「ホントに遺跡なんてあるんですかね~?」
「さぁね。でも、この学校に隠された秘密があるっていうのは、確かよ。あたしのジャーナリスト魂が叫んでいるの。この学校には、何かとんでもないものがあるって」
ツインテールの髪を揺らしながら、マリナは自信満々に言った。
「それより今日から転校生が来るらしいですよ〜。イケメンだといいな〜」
マリナの後輩は呑気にそう言って笑った。
「あんた口開けばそれね。イケメンか化粧の話以外レパートリーがないわけ? もっとアタマ使って生きなさいよ」
「ありますよぅ」
「何がほかにあるっていうのよ」
「どうやったら可愛く盛れるかな~とか」
上目づかいで自撮りを続ける後輩を得体の知れない物でも見るような目で一瞥してから、マリナは大きくため息をついた。
と。突然どこかから悲鳴が響いて、マリナは文字通り椅子から跳び上がった。
「い、今の何!?」
「さあ? ガラスでも割れたんじゃないですかねえ」
「――事件の匂いがするわ! 急行よ急行ー!」
「いってらっしゃーい」
後輩はどうでもよさそうにマリナを見送って、SNSに上げた自撮りの写真の反応数を真剣な面持ちで見つめていた。
数分前、白華学園、昇降口前――。
「何じゃ己、見ん顔じゃな?」
鶴木ウメタロウは自慢のリーゼントを撫でながら言った。
目の前に立つ少年を見下ろして、不快そうに顔を歪めながら。
「わし以外に学ラン着とる奴なんぞおらんはずじゃけど。 転校生かなんかけぇ?」
鶴木は白華学園の制服であるブレザーではなく、自前の学ランを着ている。これは彼の戦闘服であり、この白華学園の番長である彼の正装なのだ。
だから自分以外に学ランを着ている者などいるはずはない――鶴木は眉間にシワを寄せて言うと、少年は鶴木を見上げてきた。
眼は大きく、髪の色と同じ黒い色をしている。背丈はそれほど高くなく、鶴木より三〇センチも低い。しかも童顔で、中学生くらいにしか見えない。
「そうだ。本日よりこの白華学園に編入してきた。この制服は確かにこの学校の指定の制服ではないが、スポンサーのご厚意で特注の物を支給された。理事長の許可も取ってあるので、問題ない」
淡々と言う少年の言葉を聞き、鶴木は口角を上げた。
鶴木には、分かる。この少年は、ただ者ではない。幾度となく様々な漢と拳を交えた鶴木だからこそ、分かるこの感覚。
小動物のような容姿の癖に、肉食獣のようなするどさを、この少年は持っている。
こいつは、面白そうな匂いがする。
そんな予感めいたものを感じつつ、しかし自分以外に学ランを着ているというのは、メンツが立たない。
「スポンサーだかなんぞか知らんが、学ランは番長の証。それを着てるっちゅうことは、それなりの覚悟は出来とんじゃろうなぁ?」
「バンチョウとは何だ? 何故学ランを着ているだけで、覚悟をしなければならない?」
ようやく口を開いたかと思うと、少年は不思議そうにそう尋ねて来ただけだった。
「己がわしに殴られてもええっちゅう意思表示じゃけえのう!」
鶴木はそう言い放ち、容赦なく拳を振り上げる。
少年は目を細めて鶴木の拳を弾くと、腰を落とし、構えを取った。
(――こいつ、強い)
本能的に察し、鶴木は気を引き締めた。
「何故殴ってくる。俺は君に攻撃する意思はない」
「うるせえ! わしにはあるけぇの! さあ来い! 殴り合おうぜ!」
叫ぶなり、鶴木は突進してくる。
「……まさか登校初日からこのようなアクシデントが起きるとは」
呟いて、少年は騒がしくなってきた周囲を一瞥した。喧嘩か、とやじ馬ができてきているようだ。
「よそ見しとらんで、かかって来んかい!」
そう言ってきた鶴木に、応えてやるとばかりに少年は拳を振るった。その一撃を鶴木は紙一重でかわすと、カウンターの蹴りを繰り出してくる。
少年はそれを手で払いのけると、そのまま回し蹴りを放つ。鶴木はそれを避けずに受け止めた。小柄な体躯に似合わない威力に、鶴木はつい口角を上げる。
幾度となく、拳と蹴りの応酬を互いに繰り返した。鶴木が渾身のストレートをかましても、少年は涼しい顔でそれを避けて見せる。
対する少年は無表情で息ひとつ乱さない。鶴木は肩を上下させながら呼吸を整えていたが。
「へっ、やるやないか。けど、まだ本気を出しとらんじゃろ? ほれ、もういっちょう来んかい」
楽し気に鶴木は言うが、少年は腕時計に眼をやると、再び口を開いた。
「すまない。職員室に向かわなければならない。教官殿を待たせるわけには行かないんだ。訓練ならまた付き合おう」
「待てい! わしはまだ満足しちゃあいねえ! おめーの強さの底を見てからじゃ! ほれ! もう一回かかってこんかい!」
挑発するように手招きをする鶴木だったが、少年は無言のまま背を向けた。
「おい! 逃げるのか!? くそったれ!」
鶴木は少年の肩を掴む。反射的に少年はぱっと素早く回転し、鶴木の手から逃れると、少年は体勢を引くし、強く床を蹴った。
「ふっ――!」
一息で鶴木の懐まで踏み込み、右ストレートを放つ。
その拳が直撃した瞬間、鈍い音が響いた。
鶴木は数メートル吹き飛ばされ、やじ馬たちの方へ突っ込んで行った。悲鳴を上げながら、やじ馬の生徒たちが蜘蛛の子を散らすようにその場から離れて行った。
鶴木は咳き込んだ後、目を見開いたまま近づいてきた少年を見上げた。
「あまり動かない方がいい。加減はしたつもりだが、内臓が損傷している可能性がある。適切な処置を取らなければ命に関わるかもしれない。以上だ」
「ま、待ちやがれ……」
鶴木はよろめきつつも立ち去ろうとする少年の手を掴んだ。
「……お、お前、名前は?」
「……天原ミコトだ。階級と所属は明かせないが、いたってごく普通の高校生だと自負している」
「フッ……ごく普通、ね。覚えておくで、その名前。次に会った時は、今度こそ本気で戦ってくれよ?」
鶴木が痛みに顔を歪めつつ、口角を上げると、ミコトは眉をひそめた。
「本気……? 殺人は犯罪だ。日本の法律に触れる事は出来ない」
「そういう意味じゃないわぁい!」
鶴木は叫びながら立ち上がると、ミコトの前に拳を構えた。
「……わしは
「バンチョウ……なんだかよくわからないが、鶴木か。よろしく頼む」
「また会おうぜ、
「……決着とは、相手の命を絶つまで戦うという事だろうか。それは良くない。法律を破れば俺は警察に捕まる。それは困る」
「だからちげえ! なんなんじゃ、その極端な思考回路は! ああ、もうええわ! とにかく、次に会う時まで首を洗って待っとけっちゅーことじゃ!」
頭を掻きながら叫ぶと、鶴木は走り去っていった。
「……何故、首を洗わなければいけないのだろうか? 彼は偏った強迫神経症でも患っているのか? あるいは宗教上の理由か何かか?」
ミコトは首をかしげて不思議そうに声を上げた。
「……しかし、タフな相手だった。もし同じような事があっても、日本の高校生にはもう少し力を出してもいいかもしれない」
ミコトはほこりを払ってから、職員室へ真っすぐに向かった。
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