第35話 痴話喧嘩

 何事もなく一夜明け、俺とトーチカが即席の小屋から出ると。


「はぁー、魔法使いっていいなぁ。この状況でも二人きりのイチャラブ空間を作れるなんて……」


 先に起きて朝食の準備をしていたサーシャが、心底羨ましそうに呟いた。

 サーシャが想像しているだろうことまではしていないのだが、しようと思えばできたわけで、サーシャが羨むのも無理はないのかな。

 ちなみに、サーシャ以外も全員起きていて、なおかつ隠密集は普段の服に着替えていた。全員若い女性で、俺としては少々落ち着かない。


「えっと……サーシャ。まぁ、おはよう」

「サーシャ、おはようございます」

「ん。おはよ。はぁ……すっきりした顔しちゃって……」


 それはたぶん、一晩ゆっくり眠ったからだよ。見張りの必要もなかったからな。

 とはいえ、真実を話しても納得はしてくれまい。俺は苦笑するばかりだが、トーチカが提案。


「しばらくあの小屋を使いますか? 防音魔法もかけなおしますよ?」

「いいの? でも、大丈夫? 後から他の人に入られるのって恥ずかしくない?」

「大丈夫ですよ。問題ありません」

「なるほど……。二人ほどのレベルになると、むしろ事後の空間を他の人に見せつけてやりたい、と……」

「そこまでは言いませんが、気にするほどのことではありません」


 ま、何もしてませんしね、とトーチカが小さく付け加える。


「じゃあ、ちょっと借りようかな。兄さん、ちょっといい?」


 サーシャはタッタを呼んだが、ここでエヴィリーナがやってくる。


「い、一体、朝っぱらから何をしようとしているんですの!? だいたい、タッタの婚約者は私です!」


 エヴィリーナもタッタと呼ぶようになったんだな。

 それはさておき。


「婚約者だからなにー? 婚約者なんて、親が勝手に決めたことじゃない。兄さんが本当に愛しているのは私で、あなたはまだお友達。愛し合う二人が何をしようと、お友達のあなたには関係ないことでしょー?」

「関係あります! 私の見ていない間に二人がどんな関係だったかは、この際もう問いません! しかし、今後は私を差し置いて恋人ごっこをすることは許しません!」

「恋人ごっこねぇ……。最愛の人と一つになる喜びも知らないあなたに言われても、別に気にもならないわ」


 サーシャがとてもとても意地悪そうにクスクスと笑う。

 あの……すっげー怖いんだけど、昨日の気さくなサーシャはどこ行った?


「いちいちムカつくのですわ! こんないけ好かない女、タッタには相応しくありません!」

「婚約者ごっこで一人勝手に舞い上がってる女よりはましだと思うけどー?」


 エヴィリーナが顔を赤くして拳を握る。おいおい、こんなところで乱闘なんて止めてくれよ……?

 二人がいがみ合っているなか、俺は一歩引いてトーチカに助けを求める。


「……なぁ、トーチカ。俺にはどうにもできそうにないんだが、丸く納められないか?」

「それは無理でしょう。というか、別に喧嘩させておけば良いのではありませんか?」

「……いいのかなぁ」

「レイリスは、あの感じ、懐かしくありませんか?」

「……え、全然懐かしくないんだけど。あんな喧嘩始めて見る……」

「そうですか? わたしたちもたぶん、あれくらいの勢いで喧嘩ばかりしてましたよ? お互いのこと、心底嫌い合って」

「ああ……そういうこと」


 女性同士のいがみ合い、という視点でしか見えていなかったが、ああやってお互いの素の感情をぶつけ合うのは、確かに昔の俺たちに似ているかもしれない。


「わたしは放っておけばいいと思いますよ。これからずっと一緒にいる可能性もあるのですから、吐き出せる感情は全部吐き出してしまった方がいいでしょう」

「それで関係が完璧にこじれたら?」

「そこまでの関係だったということです。とにかく、わたしたちはゆっくりご飯でも食べましょうか」

「……おう」


 俺とトーチカは、ティーノからパンとスープを受け取り、たき火の前に座ってそれを食べ始める。

 なお、タッタはおろおろと二人の喧嘩を眺めているだけだが、ティーノは落ち着いている。

 その素顔を見るのは今朝が初めて。緑色の長髪を後ろで三つ編みにした、穏やかながらも芯のある女性に見えた。


「ティーノさんは仲裁に入らないの?」

「エヴィリーナ様の個人的な喧嘩について、余計な口出しはしない」

「あ、そうなの。……女性から見ると、さほど気にする状況でもないのか……?」

「私には、むしろエヴィリーナ様が生き生きしていらっしゃるように感じる。領内にいらっしゃったときには、いつも寂しげだった」

「そう……」

「昨夜のように自身に短剣を向けるような場合は話が別。だが、今は放っておいて構わない。とはいえ、騒がしくしてしまってすまない」

「まぁ、いいよ。女性から見て大丈夫だってんなら、大丈夫なんだろうし」


 女性同士の諍いにはビビってしまうが、俺とトーチかも確かに昔は仲が悪かったし、きっと大丈夫なんだろう。それなら、あまりビビってばかりいる必要もない、はずだ。


「……あの三人、いい関係を築ければいいな」

「そうだな。しばらくは、タッタには苦難の日々かもしれないが」

「……だなぁ」

「三人の将来のことはまだ不明だが、妻を二人娶ることになれば、それはそれで大変なものだ。……レイリスは、タッタが羨ましいか?」

「あれを見てると……そうでもないなぁ」


 妻二人が仲良くしてくれるならまだいいけれど、間に挟まれて神経をすり減らすのは勘弁。


「なら、わたしだけを愛してくださいね?」


 トーチかがにっこり笑顔を見せてくる。なんか、怖いな。


「……ん。それがいい。俺は二人も同時に愛せるほど器用じゃないし、トーチカがいればそれで幸せだよ」

「わたしも、レイリスだけがいてくれれば幸せですよ。……決して、誰にも渡しません」


 最後の一言は、やはり威圧感があって肝が冷えた……。

 愛されるってのは、嬉しくもあるし、恐ろしくもあるんだなぁ……。

 そんなことを思いながら、タッタの無事も祈るのだった。

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