第15話 大きな友の木の下で
「うーむ……」
少弐氏が滅亡してから、約二か月後の永禄二年(1559)三月。
佐嘉城の書斎では、顔をしかめ、時折唸りながらも、薄高く積まれていた書状に目を通す、隆信の姿があった。
「何々、
「左様にございます。肥前においては、先日、吉弘鑑理様が就任され、統治に張り切っておられるとのこと」
「その方分とやらに、逆らったらどうなるのだ?」
「方分は、当主義鎮様への取次も担っておりますゆえ、良からぬ印象を持たれると、いずれ討伐勢がやって参りましょう」
「何だと、それでは暴れられないではないか!」
「あ、暴れるなど滅相もない。守護の役目は境目静謐(※平和で穏やかな事)。勝手に戦を起こしたりしたら、秋月、宗像、筑紫など、筑前で歯向かって没落した国衆達の二の舞でございます」
「おのれ……」
隆信は舌打ちすると、その場でごろんと横になる。
彼の目の前にあったのは、間者や山伏達から送られてきた、大友領内における統治の様子を記した書状であった。
肥前において、新たに始まった大友の直接統治。それがどの様な体系を成し、どの様な経営戦略を目指しているのか。すでに統治下にあった豊後や筑後の例から、隆信は学ぼうとしたのである。
だが分かって来たのは、隆信にとって不都合なものばかり。
その詳細をまとめ、提出してきた長信に対し、隆信は呆れ、いつもの様に愚痴をこぼすのだった。
「つまらん世になりそうだ。これなら、冬尚を生かしておいた方がマシであったわ」
「良いではございませんか。今の大友の勢いは昇龍の如し。従っておれば、当家もしばらくは平和を謳歌出来ましょう」
「たわけ、乱世だぞ。周辺にわしの首を狙っている勢力がごろごろいるのに、のほほんと大友の忠犬に成り下がっておられるか」
「では、何か考えておられたので?」
「和睦を破棄して、勝利と決着を付けようかと思っていたのに」
「ええ……」
今度は長信が呆れる。
和睦したのは去年の十二月のこと。いくら何でも早過ぎる。
もし、そんな事をすれば、龍造寺と和睦するのは危険であると、近隣の国衆達に警戒心を生むだけだろう。
(だが、そんな兄上の思惑も諦めざるを得ないのだ。大友家様々ではないか)
長信は隆信の目を盗み、ひっそりと安堵の息を漏らす。
するとそこに、一人の家臣がやって来て
「申し上げます。大友家より御使者到着。目通りを願っております」
※ ※ ※
それからしばらく後──
肥前の東端にいた長信は、具足を付けたまま、しかめっ面になって立ち尽くしていた。
(ああ、無情だ……)
長信は曇天を見上げて思わずつぶやく。
永禄二年(1559)四月、大友家の要請を受け、隆信自ら率いる龍造寺勢は、肥前の東端付近に赴いていた。
この周辺で勢力を張る国衆、
筑紫惟門は、かつて中国地方と豊前筑前などを支配下に置いた巨大勢力、大内家に従う国衆であった。
しかし大内家が滅びゆく中、後ろ盾を失った彼は、弘治三年(1557)、筑前平定を目指す大友家に敗れ没落。大内家に替わってのし上がって来た、毛利家を頼り落ち延びていた。
そして永禄二年、彼は帰郷を果たすと大友家に対し挙兵。二月には博多を襲い、代官を殺害した上で占領してしまう。
この逆襲を憂慮した大友家は、四月から筑紫討伐を本格化させていた。そして作戦に加わる様、龍造寺に軍勢の派遣を求めて来たのである。
しかも、ただの派遣要請ではなかった。
──神代勢と合流し、西から筑紫領を攻めるべし
まさか勝利と
長信は憂鬱極まりなかった。つい前年まで刃を交えていた者達と共闘するのだ。筑紫勢と戦う前に、両家の間で、将兵達がいらぬ衝突を起こさないか、危惧しない訳にはいかなかったのだ。
すると、噂をすれば何とやら。
筑紫勢と龍造寺勢が交戦している真っ只中において、立竜木瓜──神代家の家紋が描かれた旗指物が、不意に長信の目に留まった。
(あれは……?)
そして旗指物と共に、ちらりと姿を見せる十数人の一団。
彼は見間違いかと思い目をこする。神代勢は離れた場所で、同じく筑紫勢と交戦中であり、ここにやって来る余裕はないはずなのだ。
だが、再び目をこすっても現実は変わらない。
一団は龍造寺、筑紫両勢が火花を散らしている戦場の中を、まるで物見湯山に来たかの様に、のんびりと通過すると、この陣目掛けて進んでくる。
(馬鹿な、あり得ん!)
やがて一団が姿をはっきり見せると、長信は目を丸くせざるを得なかった。頭痛の種ともいうべき人物が、そこに混じっていたのである。
「上々、上々! 流石は龍造寺殿の軍勢! これなら筑紫はひとたまりもあるまい。はっはっは!」
勝利の不意の来訪だった。
その周囲は、江原石見や阿含坊他、屈強の者達数人で固められている。
和睦した間柄とは言え、かつての仇敵の陣に乗り込んできたのだ。勝利が来たと知れば、斬りかかって来る者がいるかもしれないのに、何と大胆不敵な行為だろう。
だが唖然としてばかりはいられない。
長信は慌てて頭を切り替える。この一団を陣中に招いたりしたら、隆信の機嫌は間違いなく悪くなる。何とか穏便に帰ってもらわねば。
彼は慌てて深呼吸し平静を装うと、一行を出迎えに向かった。
「こ、これは神代様。突然の御来訪、いかなる御用向きにございましょう?」
「なに、我らの前線を視察するついでに、ここまで足を延ばして来ただけだ。隆信殿は息災か?」
「あ、生憎、兄は陣を離れておりまして、今は……」
「そうか。ならば、しばし待たせてもらうとするか」
「いや、それが、暫くは帰って来ないものかと」
「はははっ、そう邪険に扱うでない。本当は中におるのであろう」
「えっ?」
「隆信殿はいつも床几の上で指揮を執る大将だ。陣を空けるというのは稀なこと。そして戦は優勢のため、右腕たるそなたは、ここで戦況をぼんやり眺めているだけ。つまり、火急の事態は起こっていない」
「…………」
「おそらく隆信殿は、側近達と共に中で暇しておるのであろう。そういう訳で通らせてもらうぞ」
そんなに正確に見抜かなくても良いではないか。
青ざめた長信は、愚痴を零したくなる気持ちを何とか堪える。だが、募る焦りだけはどこにぶつけてよいか分からず、右往左往するばかり。
その横を勝利一行は悠然と過ぎてゆく。もはや長信に出来たのは、隆信に来訪を知らせるべく、傍にいた家臣に目配せをして、勝利より先行させる事だけだった。
※ ※ ※
やがて、勝利は従者達と共に陣の中へと案内された。
彼は周囲の諸将に目もくれないまま進むと、隆信に挨拶した後、その右隣に用意されていた床几に腰を下ろす。そして兜を外し、手拭いで汗を拭き始める。さらに竹筒を取り出すと、中の水を飲み始めた。
まるで自陣にいるかの様な、くつろいだ振る舞い。
当然、その場にいた龍造寺の者達は、苦々しい表情を浮かべるのだが、彼は意に介せず隆信に話しかけるのだった。
「龍造寺の先陣でな、良い武士を見た」
「…………ほう」
「黒い鉢巻きをした、立派な体格の者だ。敵の一団を見つけるや否や、「突貫!」と叫んで一目散に斬り込んでいきおる」
「…………左様で」
「あの様に死に物狂いで戦う者は強い。実際、その敵一団は十数人いたが、彼一人に敵わず逃げ出しおった。正に先陣にうってつけの者と──」
「広橋一遊軒」
「ん?」
「それが、かの者の名にござる」
鬱陶しそうな表情を浮かべ、ボソボソと返事する隆信。
逆に、それを聞いた勝利は晴れやかな笑みを浮かべ、顔を近づけてきた。
「一遊軒か、欲しい」
「はい?」
「我が家中に迎えたい。今、何の職に就いておるのだ?」
「お
「そうか、ならば侍大将でどうかと誘ってみるか」
「…………」
「睨むでない、冗談だ」
と、隆信をおちょくって一笑した勝利は、再び竹筒から水を飲む。
その間、面白くない隆信はやはり憮然としたまま。
一人の家臣が報告にやって来たのは、そんな陣中が沈黙に包まれていた時だった。
「報告! 先陣の一隊が進み過ぎて、敵に囲まれてしまったとの事!」
「何ぃ?」
「救出のため後詰を動かしていただきたく、お願いに上がりました!」
「たわけ、わざわざ本陣に来る奴があるか! 先陣の敗は二陣の不覚! 二陣に救援を頼めばよいであろうが!」
「それが、どなたも手が回せぬと、断られてしまいまして」
隆信は思わず溜息をつきたくなった。
だが隣で興味津々でニヤリとしている勝利の存在が、それを許さない。
仕方なく気を取り直して、後詰を送る事を伝えようとするものの、それは勝利の質問に遮られた。
「待てよ、それはもしかして、広橋一遊軒の部隊ではないか?」
「はい。しかし、なぜ御存じで……?」
家臣のきょとんとした表情に、勝利は再びニヤリとしてみせる。
まるで脊髄反射の様に、敵を見つけた途端、襲い掛かってゆく。そんな様子だった彼なら陥りかねないだろう。
見かけたのは僅かにもかかわらず、その性格を的確に見抜いたのだ。勝利は勝ち誇った様に隆信に振り向く。
「どうだ隆信殿、苦労しておるのなら、我らの軍勢から一隊回してやっても良いぞ」
「謹んでお断り致す!」
語気を強めにした隆信の拒絶。
それを勝利は一笑に付すと腰を上げた。
彼にしてみれば、隆信は十八歳年下にあたり、息子をからかっている様なもの。その扱いには余裕が窺えた。
「さて、邪魔者は消えるとするか。貴殿は前線に出向いてみないのか? ここにおるだけでは見えない事もあるはずだぞ」
「結構。
返答する隆信の顔には愛想がない。
しかし聞いた勝利は「そうか」と余裕の笑みを残し、陣を去っていった。
嵐が去り静まった陣中。
すると途端に、隆信は「ふん!」と鼻息を荒くすると、地団駄を踏んでいた。
余裕がある神代勢に対し、今の我らは、先陣が囲まれ苦戦を強いられている。
その違いから生まれる勝利の笑みが、勝ち誇ったかの様なあの笑みが、隆信の脳裏に強く焼き付いて離れなかったのだ。
すぐに彼は、その場にいた家臣全員に対し、声を荒げて下知をする。
「全軍に知らせろ! 神代勢に侮られるなと! 必ず奴等より先に敵本陣に乗り込むのだ!」
※ ※ ※
そしてしばらく後、筑紫討伐は終わりを迎えた。
筑紫惟門は筑前
しかし翌年、大友家に降伏し赦免を願い出たため、後に領内の五箇山(五ケ山)にて蟄居する事となった。
また、惟門を追放した筑紫一族も大友に従い、翌年大友家から御家再興を認められている。後に鎮恒と名乗る、幼少の一族を当主に迎え、筑紫家は大友傘下の家として、再出発を果たしたのだった。
一方、領国内の一大事を無事鎮圧した大友家は、更なる隆盛を遂げていく。
この年、豊前、筑前の守護職を獲得。九州の三分の二にあたる、六か国の守護職に任じられると、同年ついに、九州を統括する九州探題の地位に就いた。
まさに王者と言う言葉が相応しい。
その圧倒的な権威と武威により、領国内で立ち向かおうとする者は殆どいなくなった。
長らく大内対大友、少弐という、巨大勢力の対立が続いていた北九州であったが、ここに大友一強の新時代が到来したのである。
そして龍造寺。
筑紫討伐からしばらく後、大友家からの書状が佐嘉城に届いた。
──敵を多数討ち捕らえたと聞き、働きぶりに感じ入った。龍造寺、神代両名の才覚に今後も期待している。
「良うござりましたな、兄上! 大友は大いに喜んでおりますぞ!」
「くだらん、ちぎって鼻紙にでも使っておけ」
「ええっ!」
長信に書状を渡し一読させた隆信は、そう返事すると、その場でごろんと横になる。
すると漠然と察していたものが、突然はっきりと言葉になって頭に浮かび始めた。
従わねば暗黒、従っても暗黒。
これからの龍造寺は、大友の手足として、こき使われる未来が待っている。そして龍造寺隆信という男の一生も、大友の犬として惨めに終わったと、後世に語り継がれるのだと。
「違う!」
目を見開いた隆信は、咄嗟に上体を起こし、その未来を否定する。
するとその眼前には、突然の叫び声に驚き、何事かと心配そうに近づいてくる長信の姿があった。
だが、隆信はそれを無視して立ち上がると、襖を開け外の景色を窺う。
そして大友領のある東の空を睨み、決意するのだった。
(変えねばならん! 変わらねばならん! 領国を守るため、大友と伍して戦う力を、わしは手に入れねばならん!)
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