第14話 少弐最期

 勢福寺城内にいた少弐家の一族家臣達は、外の光景を見て青ざめていた。

 その中で当主冬尚は、思わず城壁を殴ってしまう。

 突如やって来て城を埋め尽くした軍勢。その旗に印されていたのは、龍造寺家の家紋こと日足十二紋。

 その時になって彼は悟ったのだ。隆信は和睦を反故にして襲い掛かって来たのだと。



「すぐに武種を呼べ! 神代にも援軍の催促をするのだ!」


 声が裏返りそうになるのを堪え、冬尚は近臣にそう命じる。

 歴然たる戦力差と、援軍が間に合いそうもない状況下にあって、落城は避けられない。だが彼はそれでも戦うと、己の意志をはっきり示さなければならなかった。

 なぜなら──


(わしが城から落ち延びる時間が、無くなってしまうではないか!)



 やがて北を除く三方から、龍造寺勢が怒涛の如く攻め寄せて来る。

 その最中にあって、冬尚の姿は忽然こつぜんと消えていた。

 まさか龍造寺に裏切られ、冬尚に見捨てられたなどと、思いもよらない兵達は唖然茫然。ろくな抵抗も出来ないまま離散し、城は呆気なく陥落してしまうのだった。  

 


※ ※ ※ 



 冬尚が向かった先は勢福寺城の北だった。

 肥前と筑前の間には、神代家が治める山内さんないを含む、広大な山岳地帯があった。今で言う背振せふり山脈である。その山々に通じる裏道が、城の北に存在したのだ。


 現在は登山道として整備されており、所によっては麓から平野部の広大な景色を一望できる。

 当時も同様に景色を楽しめたはず。だが落ち延びていた冬尚は、それどころではなかった。普段山歩きをしない彼にとって、その行程は苦行でしかない。息使いはすでに荒くなっていたのだ。


「はあ、はあ…… 援軍はまだか⁉ 江上と神代から何も報せはないのか⁉」

「未だございませぬ」

「おのれ……!」


 やがて音を上げた彼は、止む無く小休止を取り、近くにあった岩に腰を下ろす。

 なぜ名族である自分が、山中を苦闘しながら、傘下の者共の城に出向かわねばならんのだと、悪態を付きながら。

 しかし追手の存在はどうしても頭をよぎるもの。彼は休憩を程々に切り上げ、引き続き山中を西へ目指そうとする。


 そんな時に事件は起きた。



「な、何だ、そなた達は……⁉」


 突如、山陰から冬尚の前に姿を見せたのは、謎の一団だった。

 驚いた冬尚が身構え、声を荒げて尋ねるものの、彼らは無言のまま動こうとしない。

 

 数は十人ほど。皆、黒の頭巾ときんに白衣を纏い、首に法螺貝を加工した笛をぶら下げた山伏達だった。

 その中の一人が笛を鳴らす。すると音に反応して、背後から姿を見せたのは同数の山伏達。そして彼ら全員が、所持していた長柄の先端に巻かれていた布を外し始めた。


「まさか……⁉」


 山伏と言えば錫杖。だが布の下から現れたのは鋭利な刃だった。

 その先端が、呆気に取られていた冬尚達に向けられ、間合いを詰めて来る。

 敵襲──冬尚近臣達は悟り、直ちに抜刀するが、疲労困憊の状態では成すすべがなかった。一人また一人と討ち取られ、ついに冬尚ただ一人にされてしまったのだ。


「そ、そなた達、龍造寺の手の者か!」


 太刀を持つ手を震わせ、冬尚は尋ねる。

 彼らはやはり返事をしない。しかしただ一人、後方から壮年の山伏が進み出る。

 そして周囲の山伏達がかしこまる中、彼は冬尚に近づくと、一礼して応対したのだった。



「これはこれは大宰少弐の御館様。御家来衆に手荒な真似をいたし、真に申し訳ございません」

「貴様がこの者達の頭か!」

「頭とは、山伏に相応しくない呼び名にございますなあ。せめて導師と呼んで下さりませ」


 謝罪する導師だったが、その吊り上がった頬は、嘲りの色を強く滲ませる。

 そして更に冬尚に近寄ると、槍先を彼に突き付けて告げた。


「我らは主の命を受け、御館様に会うべく待ち伏せておりました。ぜひ御同行下さりませ」

「ふ、ふざけるな! 隆信の前にわしを突き出すつもりなのであろう! その様な不埒な願い誰が聞くもの──ひっ!」


 冬尚は最後まで拒絶の意思を告げられなかった。

 彼の顔面すれすれまで、導師の槍先が突き付けられていたのだ。


「貴方に拒むことは出来ませぬ。己の置かれた立場を御理解いただけないのなら、まずその体で覚えて頂くところから始めましょうか?」


 導師の恫喝に続き、周囲の山伏達も立ち上がり、一斉に冬尚に刃を向ける。

 すると冬尚の手から太刀は零れ落ちていた。

 その様を見て導師は満足気に頷くと、彼もまた槍を収め、落ち着いた声色で告げる。


「結構。ならば参ると致しましょう。主命により、この度の戦について種明かしをして差し上げる」 

「種明かし……だと?」



※ ※ ※ 



 冬尚と山伏一行がやって来たのは、城の裏道から大きく逸れ、麓の景観が一望出来る、小さな広場であった。


 その道中、冬尚は訝しがるしかなかった。

 この素性の分からない山伏達の、目的や動機は何なのか。主命と言うが、主は誰なのか。彼は何度も尋ねるものの、誰一人として返事をしようとしない。

 その答えが聞けたのは、広場に着いた後、周囲を配下の山伏達に囲ませた、導師の口からだった。

 

「さて、どこから始めましょうか…… そうだ、貴方は先程、我らを龍造寺の手の者と仰った。それはおそらく、龍造寺が和睦を破って城を攻め、御身を捕えに来たと、お考えだからでございましょう?」

「当たり前だ、それ以外にあるか!」

「では、和睦の起請文は御覧になられたので?」

「起請文? 和睦は武種に一任していた。見る訳ないだろうが!」


 睨みつけながら冬尚は吐き捨てる。

 その様が余りにも堂々としていたので、導師が思わず吹き出してしまうと、彼は激しい剣幕で怒鳴りつける。


「何が可笑しい!」

「ははははっ、これは失礼。しかしあの和睦、実は龍造寺、神代、江上の三家で交わしたもの。起請文に少弐の名は入っていないのですよ」

「だからどうした! 龍造寺が江上と和睦したのなら、それは江上の主家である、わしと和睦したと言うことだ! そう考えて何の不思議もあるまい!」


「ふふふっ、しかし現実として、江上神代は未だに援軍にやって来ない。貴方にとってさぞかし不可解な事でしょう。そこで──」


 すると導師は、懐から一通の書状を取り出し、冬尚に手渡した。


「我が主から預かって参りました。與止日女よどひめ神社に納められた、起請文の一部を写したものにございます」

「我が主……?」


 冬尚はまたいぶかしがる。

 わざわざ主の名を伏せるのは何故か。もしかして、この者の主は隆信ではないのか。

 しかし答えは出ないので、憮然としたまま書状を受け取ると、開いて中を読み進める。そこには次の一文が記されていた。


 三家の勇力を合わせ、荊棘けいきょくの賊徒を誅する──


「荊棘の賊徒だと……?」

「さァ、お考え下さりませ。この起請文を納めた後、龍造寺は勢福寺城に押し寄せた。江上神代は動こうとしない。この和睦がどういった形で成立したのか、そろそろ察して頂きましょうか」


 嘲りを含んだ口調で、導師は冬尚を威嚇する。

 対して冬尚は侮られまいと、顔をしかめて洞察するのだった。


 龍造寺が勢福寺城を攻めた事から、「荊棘の賊徒」とは自分を指している。

 それを「三家の勇力」を合わせて行う。つまり江上神代は、龍造寺の勢福寺城攻めを事前に知っており、その上で黙認していたのだ。


 だが、長者林の戦で味方だった江上神代が、なぜ自分をいきなり敵とみなしたのか。そこには何らかの理由があるはずだ。

 例えば、大いなる力が働いているとか……

 三家にそう仕向けさせた、大いなる力が働いているとか──


「そ、そうか!」


 冬尚は思わず叫ぶ。

 真実に辿り着いた彼は、拳をわなわなと震わせ、導師を睨み叫んでいた。

 

「分かったぞ、そなたの主が誰なのか!」

「ほう?」

「三家の和睦はわしではない。そなたの主の意向で結ばれたのだ!」

「ふふふ、御賢察にございます。数年前から、三家とも我が主の傘下だった。そして今回、彼らは主の意向のとおりに働いた。肥前における真の統治者が誰なのか、皆よく理解しているようで、主も満足しておりましょう! ははははっ!」

「おのれ……!」


 人目を憚らず冬尚の目から一粒の涙が零れ落ちる。

 一連の企てを見抜けなかった己の甘さ。それを面と向かって嘲笑される屈辱。大宰少弐のプライドは裂かれ、堪えていたはずの涙は、いつの間にか止まらなくなっていた。


「忘れんぞ! 当家とそなたの主家は、長年友好を築いてきたはず。なのにそれを踏みにじってこの仕打ち、決して忘れんぞ!」


「これは言いがかりも甚だしい。我が主は境目静謐せいひつという、守護の役目を果たそうとしているまで。なのにその領国内に在って、国一揆を形成して龍造寺と戦い続け、主の顔に泥を塗り続けた貴方こそ、全ての元凶にございましょう」

「黙れ! 長年肥前をまとめて来たのは、この少弐だぞ!」


 前髪を乱しながら冬尚は声を張り上げると、書状を丸めて導師に投げつける。

 そしてひざまずいてしまった。それが今の自分に出来る、精一杯の抵抗なのだと悟り、襲ってくる無力感に絶望してしまったのだ。

 

 対して導師は、書状が胸に当たった事など、気にする素振りを一切見せず、相変わらず嘲笑を浮かべたまま、話を進めようとする。


「だが、お喜びなされませ。我が主はこれまでの友好を重く見て、貴方に餞別まで用意しておられた」 


 導師は懐から一つの短刀を取り出す。

 鞘には鮮やかに光る黒漆が塗られ、鞘の先端とつばには銀細工が施されている。見た者は大陸からの舶来品か、とある高家の家宝かと思っても不思議ではないだろう。そんな逸品を彼は、冬尚の前に差し出したのだ。

 

 さァ、その短刀で自害するがいい。

 贈り主の意図を察した冬尚は、導師を睨みつけるとまたしても投げ返す。


「見損なうな! 我らはかつて三前二島(※1)を治めた一族。その末裔として誇りくらい持ち合わせておるわ!」

「ほう、ならばしかと、名族の御最期を拝見致しましょうか。ここは余りにも寂しすぎる。格好の場所にお連れ致しましょう」

「格好の場所……?」


 きょとんとしている冬尚に対し、導師は槍先にて指し示す。

 それは広場から下って、勢福寺城の麓の方角だった。


「せめてもの情けにございます。城近くの寺にて御自害なされませ。そうすれば地元の者達が哀れみ、永くその墓と少弐の名を語り継ぐことでしょう」

「騙されんぞ! 本当の狙いは、少弐の世は終わったと、いち早く地元の者に、知らしめるためなのであろう!」


「ふふふっ、好意を素直に受け取っておけば良いものを。まあ、良いでしょう。始めに申しましたが、貴方に拒む事はできないのです。者共、連れてゆけ!」

「何をする! ええい、触るでない!」


 たちまち数人の山伏達に冬尚は取り押さえられる。

 声を荒げその無礼を糾弾するが、彼の声は山伏達以外、誰にも届かない。

 

 そう、彼の声はもはや誰にも届かなかった。

 悲願である大宰府奪回のため、外敵との抗争を繰り広げた結果、その声は上位権力を求めた東肥前の国衆、地侍達にしか響かなかった。

 

 そして今回、その僅かな支持者にもそっぽを向かれた。

 それは大名少弐家の存在意義の消滅。

 冬尚が拘束された上、連行されてゆく姿は、まるで羽をむしられた鳥の如くであり、消えゆく家の象徴としか言えない光景であった。


 一行は山を下ってゆく。そして山陰から彼等の姿が見えなくなる瞬間、一際大きな叫び声が響くのだった。



「呪ってやる! 呪ってやるぞ‼ 大友如きが、この肥前を無事治められると思うでないぞ!」

 



※ ※ ※ 


 

 冬尚自害。

 一報が隆信の元に届けられたのは、翌日の事であった。


 彼の墓は勢福寺城の南麓にある、家臣の西善道と教道親子によって建立された寺、真正寺に設けられ、今でも残っている。

 武藤資頼が大宰少弐の位に就いて以来、十七代に渡って北九州で威勢を振るった大名少弐家は、ここに滅亡したのであった。

 


「祝着にございます」


 戦いから戻って来た隆信は、佐嘉城内にて一族家臣達から、次々に祝意を告げられる。しかし彼の顔に笑みはなかった。


「所詮、わしは大友の操り人形よ」


 居間にて、長信相手に愚痴をこぼす。

 冬尚の指示で、龍造寺一族が粛清の目に遭ったのは、十四年前のこと。

 以降も名家の権威を振りかざし、傘下の国衆達と同心して、龍造寺を襲い続けたのだ。その報いを、この手で喰らわせてやりたかったのに。



「しかし兄上、問題はここからにございます。大友が、この肥前をどう治めようとしているのか、見極めねばなりませぬ」



 未来を見据える長信に、隆信は頷く。

 そして彼は、大友領国の統治手法について、間者や山伏達の伝手を使って洗い出す様、長信に命じたのだ。


 大友家配下には、政事軍事問わず一流の武将たちが揃っている。

 その監視の下、これまでの様な、活発な軍事行動が行えなくなるかもしれない。

 そんな暗雲漂う未来に、隆信は危機感を抱くのだった。

 


※1 豊前、筑前、肥前、壱岐、対馬のこと。

   少弐家は最盛期、この五か国の守護職を有していた。



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