十月一日2330

中秋の名月の光は【道】の全てを分け隔てなく照らし、静かに夜を見守っている。掃海艇達の住まう屋敷も例外ではなく、各々気に入った場所で酒を飲んでいたり、自室でぼんやりしていたりと文字通り自由に過ごしている。俺達はというと、豊和の提案でP箱を椅子にして灰皿を囲んでいる。霊抜きを控えた身には夜風がどうしようもなく滲みる。対策として豊和の上っ張りを白い単の上に羽織っているので格好としては随分と間抜けだ。

「そろそろ【げんかい】が来るな」

豊和の腕時計を盗み見て言えば、長哉が取り出そうとしていた一本を指で箱に押し戻した。

「ああ、もうそんな時間か」

明るい月を見ながら最期の一本を灰皿に押し付けて火を消すと、それと同時に名残惜しそうに煙が溶けて無くなった。そろそろ立ち上がろうかと顔を上げたその時だった。目の前に静かに涙を流す豊和がいた。

「豊和どうした?」

「本当に泣いた。じゃなくて、俺らまだ生きてるぞー」

わしわしと豊和の頭を乱暴に撫でてやる。いつもならそれで機嫌を直すのに、一向に泣き止む気配がない。

「寂しいのは俺だけなのか」

「は?」

「え?」

自分達より一回り大きな男が鼻声で言うにはあまりにも可愛いセリフに二人して戸惑ってしまう。

「……邪魔したか?」

別れ話をするカップルのような沈黙と気まずさの中、いつの間にか来ていた【げんかい】が俺達に声をかける。その無駄に綺麗な顔が、呆れているような表情をしているのは気のせいではないだろう。

「悪い、【げんかい】俺達も予想外だ」

「ちょっと待って、すぐ収めるから、ほらー、豊和、泣きやめー」

いつもよりたくさん頭を撫でた、おまけに背中だって叩いたが豊和の涙は止まらない。こうなれば最後の手段だ。

「泣くな【ぶんご】」

【ぶんご】と言う響きに反応して豊和の肩が揺れる。

「俺と長哉はここまでだけど、新しい艦が来て新しい風が吹く。それを引っ張っていくのはお前の、【ぶんご】の仕事だ」

「大丈夫、【ぶんご】ならなんの心配もない。お前の仕事を誇れ、俺たちは世界一の掃海屋だからな」

俺と長哉の頭で豊和の頭を挟んで小さな子供に言い聞かせるように交互に言葉をかける。

「分かってる。分かってるよ、弓哉、長哉、じゃあね」

「おう」

「またな」

そうして、ゆっくりと豊和から離れる。能仁の時の菅仁のように着いてくるのかと少々心配もしたが豊和は大人しく見送ってくれた。

「待たせたな【げんかい】」

「ああ」

「俺らもちょっとヒヤヒヤした」

「そうか」

【げんかい】の後ろについて真夜中がすぐそこにまで迫った【道】をいく。中秋の名月の下、風に吹かれて揺れるススキ、虫の合唱に、楽しそうについてくる【魚】。見慣れた風景も本当にこれが最期の最後、見納めだ。歩きなれた夜道、【ニシノ】の待つ屋敷にはあっという間に着いてしまう。【げんかい】が屋敷の戸を開け、俺達に入るように視線で促す。素直に従い敷居を跨げば、いつも何ら変わりの屋敷で少し拍子抜けだった。

「弓哉、長哉」

「なに?」

「上着を脱いでくれ」

「あっ、忘れてた」

「【ぶんご】に返しといて」

「分かった」

上っ張りを脱いで【げんかい】に渡す。【げんかい】は上っ張りを素早く畳むと入口の隅に置いた。そしてため息を一つ。今年の【げんかい】は定期的にある除籍のせいで、その度に大忙しだ。

「【ニシノ】」

【げんかい】が呼びかけ椿の絵が描かれた襖を開ける。襖の先には白地の着物に白い糸で刺繍された椿、【座敷童】の正装に身を包んだ【ニシノ】が待っていた。

「観艦式みたいだ」

「去年は残念だったなあ」

長哉が言うと【ニシノ】は目尻を下げて応える。

「ところでちょっと遅かったが、なにかあったのか?」

「まさかのまさか、豊和が玄関でゴネた」

「赤ちゃんみたいにピーピー泣いてる豊和を見る【げんかい】の顔がもうね、面白かった」

「おい、盛ってやるな」

掃海屋敷の玄関で起こった騒動をほんの少しだけ盛って話せば、【げんかい】からのツッコミもといチクリが入る。聞いている【ニシノ】が楽しそうなのできっと問題はないだろうに、【多用途支援艦】の頭は少々硬いのかもしれない。

「楽しかったか?」

「ちょっと物足りなかったかな」

「まあ、コロナウイルスが悪い」

「そればっかりはなあ」

【ニシノ】が俺達の頭を優しく撫でる。今生の別れを惜しむように、時間にして約四半世紀の俺達の生を労うように、その手は温かい。

「2358(フタサンゴオハチ)」

【げんかい】が時刻を告げる。俺達の命もあと六十秒だ。二人並んで【ニシノ】の顔を真っ直ぐ見つめ、同時に口を開く。

「愛してくれてありがとう」


俺たちの前に道はない

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