あの森には近づくな!

@kumosennin710

第1話

 あの森には近づくな、と言う言い伝えが残っていた。

 世は、文明が栄えた二十二世紀。国内を自由に車が移動する時代。かつて『自動運転だ。手を離しても運転は車任せ』などと言って『最新式』と謳っていた自動車は、今やタイヤもなくなって空中移動に代わっている。もちろん、運転は全自動でコントロールされる。車が認識したドライバーであれば、口先の指示だけで移動できる。もちろん、ナビゲーションシステムや大昔に大流行したドライブレコーダーなど、今や交通博物館でしかお目にかかれない。かつて渋滞で都会の道を苦しめた国道は、今ではあの姿を変え、道らしきものはなかった。それもそのはずで、車が浮かんで移動する際、それぞれの車が空いているスペースを瞬時に見分け、そのスペースを目的地に向けて法定速度で移動するからだ。だから、衝突や接触、追突等、地面を走っていた時に、頻繁に起こっていた事故は皆無になった。また着いた先では、玄関の入り口に立つだけで、頭に埋め込んだ個人の情報を詰め込んだカードの、遺伝子ナンバーのチェックにより個人を判断するので、玄関ナビが呼び入れるまで待っていればよかった。そんな時代に『近づかない方がいい森』とは……。

 百年ほど前は、社会福祉に金がかかって仕方がない、と邪魔者扱いだった高齢者も、サーチュイン遺伝子と、細胞の復活技術の研究により、サイボーグではなくクローンに近い肉体を維持できるようになったため、今やかつての高齢者ではなくなっていた。残念ながら、細胞自体の寿命を延ばす技術はまだ開発途上のため、幸い?なことに、人は確実に死を迎えることができ、百歳以上がそこらじゅうを闊歩することはあっても、高齢者が世の中にあふれることはなかった。しかも、地球上では墓地のための土地が少なくなってきたため、まもなく細胞寿命を迎える高齢者用の、プラネットストロールと言うシステムが大人気だった。これは、簡単に言えば消滅するカプセルに生きたままの人間が入り、眠りながら細胞も同時に眠らせていくもので、眠る前にタイマーを合わせていれば、好きな時に細胞の寿命が切れてそのまま黄泉の国へ旅立ち、最後はカプセルと一緒に消滅していくと言うものだった。しかし、中には昔ながらの『墓に入りたい』と言う人もいて、政府も、生命の倫理との関係ではっきりどちらを推奨するとは決めきれずにいた。

 そんなある日のこと、一つのニュースが巷をにぎわせていた。西山博の家庭でも同じだった。

「ねえ、あなた。このニュースって不思議よね」

 と、妻の絢が博の顔を見た。

「ん?何」

 朝食の固形物をなめながら、博は生返事をした。と言っても、壁面にディスプレイはなく、二人とも視線は眼前だった。

 この時代の人間は、生まれるとすぐに前頭葉に埋め込まれる、ナノサイズのICチップに向かって発せられる情報の入った、あらゆる電波を受信できた。その情報を神経を逆走させて瞬時に視神経に伝え、網膜を通じて角膜に映写され、それを脳が視聴しているように錯覚させる仕組みだった。その伝達スピードはかつての倍となっていて、それで満足感を得るように設定してあった。

 絢は、指で前頭部を何回か滑らせた。博の画面は自動的に、社会のニュースになった。

 ニュースには『またもや蒸発!高齢者が消えた』と言う表示がされていた。ニュースを見ながら手を壁際に向け、好きな飲み物を思い浮かべ手をかざすと、その手にカップが浮かび上がり、湯気が出てたちまち実物になった。うまそうにそのコーヒーをすすった。このシステムは、頭の中で思い浮かべるだけで、その電気信号をチップへ送り、そこから家じゅうを網羅している受電装置が受け取る。それをIC内蔵のオートマテリアルアジャスターと言う機械で、瞬時に物質を調合して手元に送る。物質の原料は、やはり内蔵された栄養素からICが選択する。この間、一秒もかからず、無駄な時間はない。

「ふ~ん。またまた……。でもいいんじゃないか。高齢者の人って、『そう長生きしてもなあ……』って言う人が多いんだろう?」

 博がそう言うのも当然だった。かつて高齢者を悪者にした年金問題は、火星の土地ころがしで政府が他国から収益を上げたおかげで解決されたし、福祉問題だって細胞医学や遺伝子医学の研究開発が進み、医療費や生活費の問題も解決した。これで何の文句もあるはずはないのだが。

「こんな豊かな時代に、何が不満なのかわからないけど。おとなしくカプセルで消えてくれればいいのに……」

 一般社会では、高齢者の問題はすでに解決したと言う認識だった。しかし、どんな年代であれ『人がいなくなる』と言う現実は、放ってはおけない出来事ではある。すぐに、警察が捜査を開始した。警察も、人間が足で情報を得ていた時代と違い、すべて機械が人の手足となっていた。操作方法も、データ収集から分析、事件か事故かの判断まで、犯罪行動学、犯罪心理学、犯罪社会学等を修了した専門家と、人工知能が擦り合わせて実行していたので、検挙率ほぼ百パーセント。だから、当初は警察も余裕をもっていたのだが、犯罪かどうかもはっきりしない、蒸発とはまた別な案件とも関係がありそうで、なかなか踏み込めずにいた。

「智は、もう学校に行ったの」

「いいえ、今日は学校からいらっしゃる日よ。あんまり出歩かせると、足腰が痛むから気を付けてくださいって言われてるの」

 少子化に歯止めをかけられなかった国は、とうとうクローンの製作を許可した。しかしそのクローンはあくまで、子どもが成人するまでの仮の姿である。筋肉や心肺機能、五感を育てたりするのは、成人してから本人にその能力を引き継ぐまでの仕事だ。そのため、子ども自身は極力健康維持だけを目的に成長していけばよかった。無事に成長したらクローンの能力をコピーして、一人の人間が完成する。

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