1章 魅力特化の有翼ヒーラー

1話 TSしたから新作VRMMOのトップ配信者をめざす

 社会人1年目の休日のことだった。

 スクランブル交差点で信号待ちをしていると、向かいのビルの巨大な液晶に広告映像が流れていた。


 砂霧だ。白霧の遺跡を必死に走る影があった。

 凶悪な牙と鋭い鉤爪を持った四足の獣が、物陰から飛び出し鋭利な爪を人影につきたてる、まさにそのとき。


 閃光が走り、獣の体は切り捨てられていた。

 否、獣だけではない。

 土埃が三度舞い、遺跡全体を覆っていた濃霧が切り払われる。


 霧の晴れた廃都に、人影が立っていた。

 月明かりに照らされる荒城の影を背負った女性が、こちらに手を差し出す。


 ――"Hello Cursed World, New Legend"


 ……ひとことで言えば、ゲームの広告だった。

 ゲームのタイトルはパンドラシアオンライン。

 完全没入型フルダイブのVRMMOという点を除けば、どこにでもあるティザーPVだ。


 そのCMに起用されている女性が知り合いであることを除けばの話だが。




『わたしは辞めませんけど』


 1年前のことだ。

 正確に言えば、11カ月と2週間前。

 俺はバーチャル配信者として中規模の配信グループに所属していた。


 でも、辞めた。

 理由は簡単。

 社会人になるから、なったからである。

 昔は現在形、今は過去形。


 スクランブル交差点の巨大ディスプレイに映っている女性は、その時のメンバーだ。

 彼女は俺よりふたつ年下だけど短大生で、就活の時期は俺と被っていた。


 だけど、彼女は辞めなかった。

 彼女はグループに残った。

 辞める俺を非難する言葉を突き立てて。


『うそ、つきぃ』


 胸がチクリと痛んだ。

 口の中の唾液が酸味を帯びて、口端をきゅっと結ぶ。胸中を苛む罪悪感は強烈だった。

 なぜなら俺たちは『いつかみんなで、未知の先へ』というスローガンのもと活動していたからだ。


 二度と叶わない約束。

 俺が立ち止まっている間に、彼女はずいぶん遠くへ旅立ってしまった。

 この手はもはや彼女のもとに届かない。


「……俺だって」


 あのまま活動を続けていたらと口にしようとして、言葉に詰まった。

 本当に? 本当に活動を続けていたら彼女のように未知の先へ辿り着けたのか?


 辞めた理由が社会人になるからというのは嘘じゃない。でも、全部じゃない。

 当時の俺は、伸び悩むチャンネル登録者数に頭を抱えていた。他のメンバーと比較しても、俺のところは半分以下だった。


 足りてなかった、カリスマ性が、圧倒的に。


 いつも不安と焦りを感じていた。

 足手まといになっている自覚があった。

 だから、社会人になるのを言い訳に、俺は……


「痛っ」


 首筋にチクリと痛みが走って、反射的に手で叩いた。硬い殻をつぶしたような感覚と、べちゃりとした液体が飛び散る感覚が手の平に伝わってくる。


「……蜂?」


 ぺしゃんこになった遺骸は、銀と青のツートンカラーの蜂だった。


「おい兄ちゃん、信号青だぞ」

「あ、すみません!」


 こんなカラーリングの蜂なんていただろうか。

 そんな疑問を抱きながら帰路につく。

 家はすぐそこだし、気分が悪いわけでもない。

 救急車を呼ぶまでもないだろうと高をくくる。


 とはいえ家についたら患部の確認に走る。

 洗面台へと向かい、鏡の前に立つ。

 刺された箇所が腫れている。でも痛みは無い。


「……んー?」


 流水で刺し傷を洗い、指圧で血を押し出した後。

 洗面台の鏡に映った顔に、どこか違和感を抱く。

 ……俺ってこんな顔してたっけ?

 性差は曖昧で、パッと見ただけでは女か男か判断しかねるレベルだ。


「はあ、もっといい顔と体つき、あとついでに美声に生まれていたらな」


 時計を見れば午後7時。眠るにはまだ早い時間だ。

 だけど蜂に刺されたということもあり、俺は布団で安静にすることにした。



 玄関のチャイムが鳴って目を覚ました。

 頭がガンガンする。

 横になっているうちに眠ってしまっていたらしい。


「くそ、誰だよこんな時間に――」


 布団からはいずりながら、照明のスイッチに手を伸ばし、違和感に気づく。

 喉の調子がおかしい。音の響く場所が違う。


 どうなってんだと喉に手を当てると、おかしなことがあった。いや、おかしなことに無かった。


「は?」


 無い。喉仏が。


「どうなってんだ、これ」


 照明をつけると、手が浮かび上がった。

 見慣れた、骨ばった男の手ではない。

 柔和でかわいらしく色白なおててだ。


「――え?」


 ぶかぶかな衣服に混乱しながら立ち上がると、姿見に人が映っていた。俺の衣服を着た少女が、鏡越しに俺を見つめている。


「な……なんじゃこりゃあぁぁぁぁぁ⁉」


 一段下がった視界、透き通る声、そして毛先にかけて淡青色にグラデーションが掛かった奇麗な銀髪。

 絶世の美少女がそこにいた。


 現状が理解できずに口をパクパクしていると、もう一度玄関のチャイムが鳴った。オートロックなんてない安アパートだ。ドア一枚隔てた向こうに誰かがいる。その誰かが声を発する。


『郵便です』


 男の、怒声だった。

 ただそれだけなのに、ぞわぞわと、背筋から指先にかけて嫌な寒気が駆け巡った。

 脳が警鐘を鳴らしている。


 顔を出すな、目を合わせるな。己が身を案じろ。

 男なんて股間でしかものを考えられない害獣だ。

 うかつな行動を取れば食われると心得ろ。


 本能の叫びが、俺を金縛りにした。


 足がすくんだ。心を支配しているのは恐怖だった。

 しばらくその場に立ち尽くしていると、扉の向こうから「郵便です!」といら立った様子の声がする。


「い、いま行きます」


 泣きたくなりながら、戸口を少しだけ開いて受領証を受け取りサインして返す。荷物はそこに置いて帰るようにお願いし、気配がなくなったのを確認してから荷物を部屋に招き入れた。ずいぶんと大きな段ボールだったので、戸を全開にしてようやく運び込めた。

 筋力の衰えを感じながら息をつき、段ボールにプリントされたイラストを確認する。


 ノアズアーク社開発のVRハードだった。


 見間違いかと目をこする。

 VRハードが家に届いたから、ではない。

 心当たりのない差出人の名前が、よく知った人物のそれだったからだ。


 ――ぴろりん。


 スマホがメッセージの受信を伝える。

 そこに、懐かしい名前があった。


 ――"先輩。2週間後が何の日か覚えてますか?"


 夜見坂よみさかユノ。

 かつてのメンバーで、パンドラシアオンラインの宣伝大使が、メッセージの送信者でありVR機器の差出人だった。

 彼女とはもう、1年近く連絡を取り合っていない。

 つまり、それが2週間後の答え。


 答えがわかったから、スマホをスリープにした。

 未読無視というやつ。

 俺はもう彼女の知るメンバーではないし、彼女は一般人が連絡を取り合えるほど安い相手ではない。

 俺は身の程をわきまえているのだ。

 だから、何があろうと返信することは決して無い。


 ――"無視するつもりですか? それとも、玄関口まで迎えに来てくれと誘っていますか?"


『俺の卒業1周年ですね』


 返信した。

 爆速で変身した。違う、返信した。

 女体になった姿を見られたらどんな誤解が生じることか……考えるだけで恐ろしい。


 ――"That'sライRight。荷物は届きましたよね。追跡番号控えてるんでわかりますよ。見てくれました?"


 見てくれましたというのは、段ボールのことだろうか。だとすれば俺の答えは『開梱はまだ。外箱は見た』である。


 ――"見たのはそれだけですか?"


『CMも見た。おめでとう』


 少しの間、チャットのやり取りが途絶えた。

 秒針の音色というモノクロが、静寂を引き立てている。用がそれだけならとスマホを手放そうとした時、しゅぽんと新たなメッセージが届いた。


 ――"先輩、復帰するつもりはないですか?"


 今度は俺が返信に困る番だった。


『俺に戻る気があると?』


 だから、曖昧に返した。

 俺の意思は答えない。

 質問に質問で返してみる。

 ユノからの返信は早かった。


 ――"願望です。未知の先へ行くなら、やっぱりみんなでがいいじゃないですか"


 先輩は、違うんですか?

 そう聞かれて、嬉しくなかったと言えば嘘になる。

 誰かに必要とされるってのは劇薬だ。

 応えたいと心から思う。

 でも。


『許されないよ、それは』


 この界隈、卒業って言葉は軽くない。

 なんだったら死者の蘇生のように禁忌として扱う層も存在する。世間の風潮は配信者の転生に批判的だ。


 ――"先輩の意思を聞いてるんです"


「……」


 それでも、彼女が引き下がらないものだから、俺ははっきり『戻らないよ』と返信した。

 きちんとした段階を踏んでお別れを済ませたのだ。

 何食わぬ顔で戻るのは不義理じゃないか。

 戻れるわけがない。


 ――"勝負しませんか、先輩"


 送られてきた文章は、鬼気迫る何かを発していた。

 ただの電子の文字列だ。そのはずだ。

 だが、ピリピリした緊張感が肌を焼く。


 ――"ノアズアーク社のVR機器には配信機能があるんです。名前は自由に決めていただいて結構ですので、毎日最低1時間、週で10時間は配信してください"


『社会人になんてこと要求するの』


 ――"必要なら退職代行サービスを手配しますよ?"


 勝手に失職させようとするな。

 ……と打ち込もうとして手を止めた。


 俺の上司は性欲の権化なのだ。

 でっぷりと太ったヒキガエルみたいな容姿でセクハラ発言を繰り返すものだから、彼の下についた女性は1年と経たずに退職してしまう。

 男だから、だったから気にならなかったけど、こんな姿で出社なんてしたら――


 最悪の事態を想像して、体が震えた。

 これほど出社を憂鬱だと思ったのは、社会人になって初めてだ。

 歯車として誰かに使われる自分の姿を想像すると吐き気がする。気持ち悪い。


 ――"あれ? もしかして仕事うまくいってなかったりします?"


 生存本能が「渡りに船だ」、「この際仕事なんて辞めちまえ」と叫んでいる。

 いやいや待て待て俺の上腕二頭筋。

 仕事を辞めて生活費を工面するなんてできるのかい、できないのかい、どっちなんだい。

 でーき、ない!


 ――"私が先輩を特定出来たら1周年企画に参加。見つけられなければ私が先輩の生活費を一生払います"


 いやできる。


 俺はこんな体だから、彼女が俺を探し当てるなんて不可能だ。出来レース。始まる前から勝負が決まっているタイプの賭け事。負けるビジョンがない。


『言ったな?』


 正直この体でまともな職に就くのは厳しい。戸籍は男だし、体は女。偽造を疑われて、不審を買って、採用取り消しになるのが目に見えている。

 養ってくれるというなら万々歳。

 俺は全力でたかるぞ?


 ――"二言はありませんよ。まあ、私が先輩を見つけられないわけありませんが"


 わかりやすいフラグをご丁寧にどうも。


 このやり取りをきっかけに、俺はパンドラシアオンラインの世界にダイブすることを決めるのだった。

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