氷像と少女

「冬美ちゃん。話聞いてるの?」

「ほぇ?あぁ、ごめん聞いてなかった」

「はぁ、相変わらずお熱だねぇ」


 時は流れ昼休み。私、陽向ひなた冬美ふゆみは幼馴染の秋風あきかぜかおりと机をくっつけて昼食をとっていた。購買のカツサンドと焼きそばパンにミネラルウォーターと華のない私の昼食に対し、かおりはしっかり手作りしたお弁当だ。


 相変わらずの女子力の高さに感心しつつ、さっきまで私の意中の人、氷見ひやみ春華はるかにむけていた視線をかおりに戻す。


「そんなに氷見さんっていいの」

「えっ、逆にあの美しさがわかんないの」

「そりゃ、氷見さんの見た目が凄くいいってのはわかるよ。でもそこまでなるかなーって」


 かおりは呆れたような口調でそう言った。……確かに彼女が転校してきてから、ずっと彼女ばかり見て授業を聞かなくなり、ただでさえダメだった成績がさらに低くなった。教室にいる時は常に彼女を目で追い、一挙手一投足を目に焼き付けている。こうして自分の行動を振り返ってみると完全にストーカーである。


「かおりは彼氏いるからそんな事言えるんだよ」

「そうかなぁ。じゃあ改めて聞くけど、なんで氷見さんのこと好きなの?」

「大人でクールでカッコいいから」

「即答だね……」


 早口で捲し立てる私にかおりは苦笑いした。かおりは私の言ったことにすこし納得がいかないようで、ほんの少し思案する様子を見せたけど、すぐに投げ出して椅子に寄りかかった。


「そういう恋もあるってことかなぁ」

「何考えてるのかよく分かんないけど、そうなんじゃないの?」


 私はカツサンドにかぶりつき、かおりは残していた好物に手をつけ始めた。それで自然と恋バナは打ち切られたのだった。


 ○○○


 その日の帰り道、私は今日かおりが言っていたことについて考えていた。私にとって氷見さんはどんな存在なのか。彼女とはそれなりに話したことはある。でも、見た目通りクールな彼女はすぐに話を打ち切ってしまう。


 そんな中で頑張って入手した情報は、彼女がロシア人と日本人のハーフで、日本に住むから日本人の名前にしたということと、普段は本を読んでいるということ。そして、放課後になったらすぐに帰るか図書室に行くという観察から得たものだけだ。


「改めて考えると氷見さんのことあんまり知らないな」


 私は氷見さんの好きな食べ物すら知らない。かおりが不服そうにしていたのはこれが原因だろうか。かおりは昔から人の感情について感覚的に分かっている節があるし、私より恋愛経験が豊富だ。なら、少し参考にしてもいいかも。


 そんな事を考えていたら、本屋の前で誰かと話している氷見さんを見つけた。人と話しているなんて珍しいと思って立ち止まる。


 話している相手は背の高い髪を染めたチャラそうな男二人。クールで無口な彼女の話し相手とは到底思えないので不思議に思っていたら、なんだか不穏な空気になってきた。後ろからだったから表情は見えなかったけど、なんだか嫌がっているみたいだった。


 男二人もニコニコ笑っているけど、その顔からはなんだか圧を感じる。ヤバいと思って間に入ろうとした瞬間、片方の男が詰め寄って氷見さんの腕を掴んだ。


「いやっ」


 恐怖する彼女の声がハッキリ聞こえた。その瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。


「おい」


 氷見さんの繊細な腕を乱暴に掴む不埒な男を睨みつける。しかし、男たちより小柄な私ではあまり効果がないようで、そいつらの気に食わない表情は変わらない。


「なんだい?俺たちは今からこの子と」

「その手を離せ」

「は?嫌にきま、イダダダ!」


 聞き分けのない男の腕を強く握って、無理矢理手を離させる。幼少期から空手で鍛えておいてよかった。


「テメェよくも!」


 凄んではいるが、拳は構えていない。まだ混乱しているのだろう。顔面を一発ぶん殴ると、男はぶっ飛ばされて後ろの自販機に叩きつけられた。もう一人の方はこの強烈な反撃に萎縮している。この隙に乗じて氷見さんをこの場から連れ出した。


 逃げているうちにだんだんと頭が冷えてきて、高校にスポーツ推薦で入った私はこの件で謹慎か、最悪退学を言い渡されるかもと不安になってきた。だけど、もしそうなったとしても氷見さんを助けられたなら後悔はないとも思った。


「ここまで来れば安心かな」


 とりあえず本屋から離れようと適当に逃げてきて辿り着いた場所は、小学生の頃よく遊んだ公園だった。最近の子は家の中で遊ぶからか、たまたまタイミングが良かったからか、そこには誰もおらず閑散としていた。


「いやー、災難だったね」


 氷見さんの方を振り向く。彼女が不安にならないよう、軽い感じで話を切り出す。しかし、彼女から返事はない。彼女は俯いたまま震えていた。本屋からずっと繋いだままの手は強く握られていて離してくれそうにない。


「……大丈夫?」


 自分でも信じられないくらい優しい声。それを聞いた瞬間、彼女の青い瞳から一粒の涙がこぼれ落ちた。そっと雫を拾い、目を合わせる。普段は氷のように冷たい気を放つ彼女の瞳は、完全に溶け出してしまっていた。


 怖かったんだ。急にあんな奴らに絡まれて、腕を掴まれて。


「大丈夫。落ち着くまで一緒にいてあげるから」


 私より一回り小さい彼女をそっと抱き寄せてやさしく囁くと、彼女の氷の双眸は完全に溶け出してしまった。彼女の雫が落ちないように、彼女の声が私以外の誰にも聞かれないように、私の熱で彼女が安心できるように、触れることすら憚られた氷像を強く抱きしめる。


 私の幻想の中にいたクールな彼女とは全然違う、弱々しく子どものように泣きじゃくる彼女。大人なカッコよさとはかけ離れた、恐怖に震えて私を離そうとしない彼女。


 氷像は今だけ、私の腕の中で一人の少女になった。

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