ぬくもりをくれたのは
バッシュが魔族の置き土産――すなわち〈罠〉という可能性は十分にあった。生きた子どもを餌に使い、近付く者を爆殺するような手口が横行している。
マウサは怖じもせず近付き、腰に吊るした革袋から、何かを取り出した。
小鳥の卵ほどの、乳白色の塊だ。
指でそれをつまみ上げ――冷えて、硬くなっていることに気付いたらしい。何かの呪文を唱え、指先に火をともして、手の中のものを炙る。
表面がゆるみ、やわらかくなったそれを、バッシュに差し出す。
食べなさい、ということらしい。がっつきたいほど飢えてはいたが、手足もあごもうまく動かず、バッシュはちびりと先をかじった。
発酵した乳の香りが、少しきつい。
だが、ほんのり温かくて――優しい味だった。
もくもくと食べるバッシュを見て、マウサはほっとしたらしい。
革袋を振って見せながら、
「まだまだあるから。欲しかったら言って。あっためてあげる」
「――その餓鬼か?」
いつの間に現れたのか、連れらしき魔法使いが、外から中をうかがっていた。
髭もじゃの大男で、マウサと同じ眼の意匠の帽子をかぶっている。老人ではないが、頬やひたいには年輪が刻まれ、人生経験の豊かさを物語っていた。
しばし、大男はバッシュを観察した。わずかに同情めいたものをのぞかせたが、一瞬だ。この時代の旅人であれば、戦災孤児など見慣れている。
「マウサ。その餓鬼を連れて、先に街へ戻れ。墓は俺たちで立てておく」
マウサが小首を傾げる。大男は『深入りする気はない』というふうに、
「救護院に連れて行くんだ。そうすりゃ、後の面倒は教団が見てくれる」
「行かない」
「は?」
「私が育てる」
「は!?」
大男の声が高くなり、バッシュはびくっとした。
冷え切ったバッシュの体を、マウサが両手で包み込む。
バッシュをすっぽり抱え、取られまいとするように、仲間に背を向けた。
「あのな……。ベオルやトルトの仔を拾うのとは、訳が違うぞ?」
やれやれという顔で、大男は理屈を言って聞かせる。
「史上最年少の天才レガ・リスタつったって、おまえ、魔法以外は何もできねえだろが。餓鬼が餓鬼を育てるなんざ、無謀もいいとこだ。7年早いんだよ」
「餓鬼じゃない。私、もう大人だし」
「ナマ言ってんじゃねえ! 先月ダイムになったばかりの生娘が!」
「生娘じゃないし」
「まじで!?」
「……嘘」
「何なんだ!」
譲るつもりはないらしく、マウサは頑として言った。
「塔のみんなが、私を拾ってくれた。だから、私もこの子を拾う」
「――俺たちがおまえを引き取ったのは、おまえが智の聖痕を持ってたからだ」
大男は語調をやわらげ、彼なりに優しい顔で諭しにかかる。
「おまえの未来は、塔にしかなかった。だが、そいつは違うだろ? カタギの街で暮らして、カタギの人生を送った方が……」
マウサは納得しない。ただじっと、責めるような眼で仲間をにらむ。
うっ、と大男がたじろぐ。にらまれると弱いらしい。
既に根負けの様相を呈していたが、大男はしかつめらしく咳払いをした。
「親になったら、投げ出せねえんだ。ましてや、他人様が生んだ子どもだ。生半可な覚悟じゃあ、養い親なんて務まらねえ……」
「…………」
「せ、責任重大だって言ってんだよ! そいつが熱を出したり、死にかけたり、逆に悪さしたり――何かありゃ全部、おまえに降りかかってくる! それでも……」
「…………」
「し、死ぬ気で護るんだな!?」
「――うん」
「ちゃんと面倒見ろよ!?」
「うん!」
マウサはバッシュを抱きしめ、その小さな頭に頬を寄せた。
この瞬間のことを、バッシュはよく覚えていない。
だが、おぼろげな光景を思い出すたび――甦る感覚がある。
くすぐったさと、あたたかさ。
冷たく凍りついた自分の世界に、何か『いいこと』が始まったのだと。
そう信じられる何かを、マウサは確かに、バッシュに与えてくれたのだ。
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