秘めた望みが


「待てって! あれは俺に恨みを持つ誰かの意志――のはずだろ? だから、あいつは俺をブチのめそうとするって……エルトがそんなことを望むわけ」

「望みますよ。貴方が重傷を負えば、聖女の務めを果たせるのですから」


 何を言われたのかわからず、敵の真ん前であることも忘れて、バッシュはルゥルを振り返り、呆然と彼女を見た。


「何を……言ってるんだ?」

「それなりに勘の働く男だと思いましたが、このテの機微はわかりませんか……。つまりですね、エルト様は貴方の怪我を癒やしたくて――」

「言わないで!」


 エルトが叫び、じたじたと暴れて、バッシュの腕から逃れ出た。


 勇者から遠ざかるように、自ら後じさりする。

 そちらには巨人がいて、こちらにゆっくりと近付いてくるのだが、エルトは気にも留めない。


「そう――そうなんですね……」


 たたずみ、つぶやく。


「わたし、いつの間にか……そんなにも……病んで……」

「エルト! 違う!」

「こないでっ!」


 こんなふうに拒まれるのは、初めてだった。

 さすがの勇者も戸惑って、不用意に近付けなくなる。


 どうにか落ち着かせようと、バッシュは慎重に言葉を選んだ。


「……聞いて、エルト。君は真面目だから、考え過ぎてるだけだ。ルゥルさんの毒舌を真に受ける必要なんかない。この人は単純に意地悪なんだ」

「聞こえていますよ、勇者バッシュ。無礼な男ですね」

「だって、わたし……思ってしまったんです……!」


 ぎゅっと聖杖を握りしめ、エルトは悲痛な声で言った。

 己の罪を告白するように――自白するように。


「ゆうべ……バッシュ様の手当てをしながら……」


 バッシュの寝息が安らかになり、熱が引いたのを確認して、エルトは安堵した。

 峠は超えた。後は体力の回復を待つだけでいい。

 バッシュの寝顔を眺め、幸せなため息をつく。

 内緒で彼の手を握り、そっと頬擦りをして――


 思わず、こうつぶやいたのだ。


「『この時間が、ずっと続けばいいのにな』……って!」


 それが事実だとしても、バッシュには罪とも思えない罪だ。


 しかし、聖女はそれを赦さない。


「バッシュ様が苦しんでらしたのに……わたしはそれを喜んでいたんです!」

「――そうじゃない! 君は自分の仕事に満足しただけだ。成し遂げたことに、果たした役割に。それは当たり前のことなんだ。俺だって!」

「だって、あの瞬間だけは!」


 バッシュの慰めを聞き入れず、エルトは叫んだ。


「バッシュ様をひとりじめできて……わたしだけのバッシュ様だったから……っ」


 両手で顔を覆い、泣く。


 あまりにも純に過ぎる、罪の意識。

 透明な涙の理由が、バッシュの胸に突き刺さった。


 この純真な乙女を、自分がどれほど追いつめていたのか、今さら思い知る。


 そんなにも、俺を想って――

 そんなふうに、想って――


「ルゥルさん……でしたね」


 初めて、エルトはその名を呼んだ。

 魔族でも、邪教徒でもなく、ルゥルと。


「これがわたしの生き霊なら……倒すのは簡単です」


 儚げに微笑む。何をするつもりなのかを察し、バッシュは動転した。


「待て! エルト!」

「バッシュ様。あの旅をご一緒できて――」


 バッシュが直感した通り、エルトはとんと地を蹴って、


「エルトはとても、幸せでした」


 巨人の猛威の正面に、小さな体を投げ出したのだ。

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